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過去の礼拝説教

「数えてみよ、主の恵み」

2013年12月29日 聖書:詩編 103:1~5

今朝は、今年最後の聖日礼拝をご一緒に献げています。

振り返ってみられて、皆様方の今年一年の歩みはどうだったでしょうか。

多くの恵みに満たされた一年であったかも知れません。

しかし、良い事ばかりではなかったと、いう方もおられると思います。

様々な悲しみや、苦しみの中で、主に叫んだ事が何度もあった。

そういう方もおられると思います。

この朝、もう一度静かに、この一年を想い起し、そのような困難の中にも、確かに共にいてくださった主と、その恵みに目を向けたいと思います。

私は、毎年、年の瀬が近づくと、ある宣教師のことを思い出します。

その方は安東栄子先生という方で、アンテオケ宣教会からインドネシアのカリマンタンに派遣された宣教師でした。

インドネシアの伝道は、インドネシア人の手によってなされなければならない。

このビジョンのもとに、安東先生は他の宣教師たちと協力して、カリマンタンにインドネシア人のための神学校、アンジュンガン神学校を作りました。

そして、第一期生を送りだす喜びの卒業式が終わり、自宅に帰る途中で、交通事故に遭って天に召されました。

1990年1月9日のことでした。先生はまだ40歳をちょっと過ぎた位の若さでした。安東先生が召された後に、先生の日記が見つかりました。

その中で、召される11日前の1989年12月29日の日記に、多くの人が感動を覚えました。

ちょうど24年前の今日、12月29日の日記には、このように記されていました。

聖歌604番がプリントされている週報の織り込みの裏に、その日記の全文が記されていますのでご参照ください。

『12月29日(金)

1989年も風のようにすぎ去ろうとしている。私の歩んできた道のなんとけわしかったことか。でも神の前に静まった時、はっきりと神のみ手の跡がみえる。

神の恵みの数々をかぞえてみよう。

私は不忠実だったけれども、神様あなたの真実はかわることなく私を支えて下さいました。

私は汚れ、罪を犯したけれども、あなたのゆるしは私を聖めつづけ、ゆるしつづけて下さいました。

私は高慢で、自己中心だったけれども、あなたはいつもへりくだって、誠実をもって教え続けて下さいました。神様ありがとうございました。

私は知恵がなく思慮が欠け、軽率な者でしたが、あなたは折にかなった助けとみことばによって私を諭していて下さいました。

私には愛がなく、人を憎み、傷つけ、悲しませる者でしたが、あなたはそんな私の本当の姿をご存知でなおかつ私をつくりかえようとしていて下さいました。

痛い、苦しい、悲しい経験をくり返して、はじめてあなたのみこころに気づくにぶい者ですが、あなたはあきらめずに私を見ていて下さるのですネ。

ありがとうございます。

神様、あなたの前に私は裸です。何も飾ることはできません。

人生がもうこの年で終わってもいいと思うほどです。何も思い残すことがないんです。私の人生の大半はもう終わってしまったように感じます。』

この日記を書かれてから僅か11日後に先生は天に召されました。

日記というのは、人に読ませるために書くものではありません。

ですから、そこには、偽りのない自分の気持ちが、素直に書かれている筈です。

不思議なことに、安東先生の日記は、まるで、ご自身の不慮の死を予め知っておられたかのように書かれています。

そして、もし、人生がこの年で終ってしまったとしても、何も思い残すことがない、と書いておられます。

苦労の末にやっと神学校を建て、第一期生を送り出し、さぁこれからだ、という時に40歳そこそこの若さで召されたのです。

人間的にみれば、苦労続きの人生。そしてやっとこれから少しゆとりのある活動が出来そうに見えた時でした。

それなのに、何故主は先生を召されたのですか、と叫びたくなります。

しかし、この安東先生の死をきっかけに、アンジュンガン神学校の学生たちが、事故現場に近いプニティの町に伝道を始めました。

イスラム教が優勢な地での伝道は容易ではなかったと思われますが、今、この町にはプニティ教会と三つの伝道所が立てられているそうです。

そして、アンジュンガン神学校は、現在百五十名が学ぶ正式な神学大学となっているそうです。

まさに安東先生は、カリマンタンの地に蒔かれた「一粒の麦」として、その命を献げられました。そして、その麦が、今、多くの実を結んでいるのです。

先程の先生の日記を拝見しますと、苦難の連続のような毎日の中でも、先生は主の大きな恵みに生かされ、もう何も思い残すことがない、と思うほどの全き充足の中に置かれていたことが分かります。

不忠実で、罪深く、汚れに満ちた自分。高慢で、思慮に欠け、軽率な自分。

愛がなく、人を憎み、人を傷つけてばかりいた自分。

そのように、神様の期待を裏切ってばかりいる自分であるにも拘らず、いつも変わらぬ真実をもって、私を赦し、私を助け、私を聖め、私を教え続けてくださった神様。その神様の恵みの数々を想い起し、安東先生は感謝と喜びに満たされています。

この日記は、罪赦され、聖められた安東先生の、心の奥底からほとばしり出た、感謝と賛美の記録です。

先程読んでいただきました詩篇103編も、そのような感謝と賛美の歌です。

1節~5節だけを読んでいただきましたが、その先も読みますと、この詩を詠んだ詩人は、かつては罪の苦しみの中を通っていたことが分かります。

けれども、今やその罪を赦され、神様の恵みの中に導き入れられた喜びを、心から歌っています。

11節、12節を見ますと、そこには「天が地を超えて高いように、主の慈しみは高くて、大きい。東が西から遠いように、主は、私たちの背きの罪を遠ざけてくださる」、と歌われています。詩人は、これまでにも様々な神様の恵みを体験してきました。

しかし、自分の罪の深さに気付いた時、その罪を責め続けることをせず、赦してくださった主の慈しみこそが、最も大きな恵みであることを知らされたのです。

詩人は、この神様の慈しみを心から喜び、高らかに歌い上げています。

そして、このような小さい者をも慈しんでくださる全能の神様を、天にある者も、地にある者も、揃って賛美しよう、と呼び掛けています。

ある人が、「詩編103編は、聖書信仰の木に咲いた最も清らかな花の一つである」と言っています。また、「この詩は、詩編の中でも、最も新約的な詩の一つである」と言っている人もいます。

ですから、この詩編は、昔から人々に愛され、いくつかの賛美歌や聖歌にパラフレーズされてきました。

また、この詩の特色として、他の旧約聖書からの引用が多い、ということが挙げられます。特に、イザヤ書40章からの引用と見られる箇所が多くあります。

このことから、この詩は、バビロン捕囚と、そこからの解放という、歴史の出来事と深い関連があると見られています。

従って、1節の「ダビデの詩」とは、ダビデ自身が作った詩というよりも、「ダビデのための詩」、もしくは「ダビデを記念しての詩」と解釈したほうが良いと思われます。

1節で、まず詩人は、自分の魂に向かって、そして自分の内なるもの全てに向かって、「主をたたえよ」と命じています。

全身全霊をもって主を讃美せよと、自分自身に言い聞かせているのです。

「内にあるもの」とは、直訳すると「すべての内臓」という意味です。

心だけではなく、五体全部に属するすべての部分、すべての内臓。

その一つひとつが、こぞって主を賛美しなさい、と命じています。

「わたしの口も、目も、手も、足も、心臓も、胃袋も、何もかもが一緒になって、主を賛美しなさい」と命じているのです。

口だけではとても足りないのです。

手を打ち、足を踏み鳴らしても、なお足りないのです。

ですから、この体のすべてを使って主を賛美しなさい、と自分自身に命じているのです。それほどまでに、主の恵みに迫られているのです。

続く2節では「主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない」、と自分を諭しています。

ここで、「御計らい」と言われている言葉は、10節で「悪に従って報いられることもない」と記されている箇所の「報いる」と同じ言葉です。

ですから、2節と10節は、併せて、ワンセットで読むべき御言葉なのです。

その文脈から教えられることは、私たちが良い行いをしたから、主がそれに対して色々な計らいをして下さるのではない、ということです。

むしろ、私たちは、主に対して悪い者であった。それにも拘らず、主はその悪に対して咎めをもって報いることなく、慈しみをもって取り計らってくださった、というのです。ですから、詩人は、ほめたたえずにはいられないのです。

詩人は、今までの人生を振り返っています。主に従う道は、決して順風満帆の平坦な道ではありませんでした。また、主の御心を悲しませることも多かったのです。

しかし、その一つ一つを省みると、そのどこにも主の恵みの御手の跡が見えるのです。ですから、主の恵みの数々を数えてみよう。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。そのように詩人は自らに言い聞かせているのです。

なぜそんなことを自分自身に命じているのでしょうか。

それは、そんなに大きな恵みであるのに、人間はいつの間にか、それを忘れてしまう危険があるからです。

ですから、詩人は、今日まで受けた恵みの一つ一つを、日々、新しい記憶の中に呼び起こしなさいと命じているのです。

3節~5節では、「主の御計らい」の内容が、具体的に示されています。

主は、罪をことごとく赦し、病を全て癒して下さった。

主は「命を墓から贖い出してくださった」とあるのは、死の恐怖から救い出して下さったと言う事だと思います。

主はまた、慈しみと憐れみを豊かに注いで下さり、良いものに満ち足らせて下さった。そして、鷲のような力を与えて下さった。

実は、興味深いことに、原文では、この3節から5節には主語がないのです。

ですから、直訳しますと、「私の魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何一つ忘れてはならない。お前のすべての罪を赦す方を。お前のすべての病を癒す方を。お前の命を死の恐怖からから贖い出す方を。お前に慈しみと憐れみを賜る方を。お前の一生を良いもので満たす方を」、というように何度も繰り返されているのです。

人の心を最も強く捕らえ、また最も重く支配する、罪、病、死、生活の糧。

それらのあらゆる面において、主の愛には欠けがない。いや、むしろ、そのようなものにおいてこそ、主の恵みは最も輝くのだ、と詩人は力強く歌っています。

主の御計らいを数える時に、詩人の最初の思いが、「罪の赦し」にあったことは、私たちに大切なことを教えてくれます。

罪の故に神様から離れているならば、まことの成功はないということを、詩人は良く知っていました。ですから、神様が罪をことごとく赦してくださったことは、最大の取り計らい、最大の恵みである、と詩人は歌っているのです。

主の道から逸れ、主を忘れることの多かった者であるにも拘らず、主は変わらぬ愛をもって、私を赦し続け、私が立ち返るのを待ち続けてくださった。

そのことを、先ず主に感謝し、そして、そのことの故に主を賛美しています。

更に、詩人は続けて歌っています。

主は、病を全て癒して下さり、また死の恐怖から救い出して下さった。

慈しみと憐れみを豊かに注いで下さり、これからも命ある限り、良いものに満ち足らせて下さる。そして、鷲のような若々しい力を、日々新たに与えて下さる。

そのような主の御計らいを、何ひとつ忘れてはならない。

他の誰が、このような恵みを与えてくれるだろうか、と詩人は歌い上げています。

さて、2節の御言葉、「主の御計らいを何一つ忘れてはならない」。

この御言葉は、昔から多くの人に親しまれてきました。

口語訳聖書では、「そのすべてのめぐみを心にとめよ」、と訳されていました。

新改訳聖書では、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と訳されています。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」。

この新改訳聖書の訳は大変人気があって、多くの人に愛されています。

この後ご一緒に賛美いたします聖歌604番で、「数えてみよ、主の恵み」と歌われているのは、このみ言葉が元になっています。

この曲を作曲したE.O. エクセルという人は、この歌の題を「Count your blessings」と名付けています。「Count your blessings」。

文字通り、「あなたに賜った恵みを数えなさい」という意味です。

この歌によって、生きる希望を与えられた人がいます。

蒲田シオン教会の牧師をされていた、砂山貞夫牧師の奥様の砂山節子先生です。

戦前、満州伝道の召命を受けた牧師たち数名が熱河省に赴きました。

砂山貞夫牧師もその一人でした。

しかしそれは、凄まじい困難や試練が待ち受ける過酷な道でした。

節子夫人は、結婚前は宝塚歌劇団にいたこともある美しい人であったそうです。

そんな方が、ご主人の伝道への熱い思いに従って、満州に渡り、伝道困難な熱河省興隆の地へと赴いたのです。

その伝道は困難を極めました。着任してから1年半後に、長男の正ちゃんがひどい下痢の末に天に召されました。十分な治療を受けられなかったからです。

この時の体験を節子夫人はこう語っています。「興隆教会の最初の一粒の麦として、わが子が召されようとは。…皆で輪になって正の遺骸を興隆の河原で賛美のなかに火葬にふしましたときは、涙が溢れてたまりませんでした」

このような試練の中でも、少しずつ伝道の実が実り、信者が与えられていきました。ところが、戦局が悪化すると、ご主人の砂山牧師が召集され、戦場へと送られてしまったのです。残された節子夫人は女手一つで、娘3人を何とか育てます。

戦後、ご主人の砂山牧師は奇跡的に家族のもとに帰ってきますが、間もなく侵入していた中国共産党の八路軍によって連れ去られ、行方不明になってしまします。

節子夫人は、ご主人の帰りを待って、興隆の地に残り続けました。

村の女性たちと一緒にミシンかけ、糸をつむぎ、靴下作りで食いつないでいくという生活でした。「一粒のとうもろこしも、真冬に一かけらの石炭もない」ことがめずらしくなかったということです。

そんな窮乏生活のため、次女が栄養失調のため召されてしまいます。そして、節子夫人自身も栄養失調のため失明してしまいます。

終戦から8年も経ってから、節子夫人は漸くご主人の帰りを待つことを諦めて、日本に帰る決心をします。

日本に戻る引き揚げ船の甲板に立った時、節子夫人は暗澹たる思いに捕らわれたそうです。

幼い娘二人を抱え、自分は目が見えなくなってしまった。あぁ、これから私は、一体どうして生きていけばよいのだろうか。

そう思った時、止めどもなく涙が流れたそうです。涙の中で、必死になって祈っていた時、節子夫人の耳に聞こえてきた讃美歌がありました。

それが聖歌604でした。「数えよ主の恵み、数えよ主の恵み、数えよ一つずつ、数えてみよ主の恵み」。

この聖歌の歌詞が、繰り返して節子夫人の耳に響いてきたのです。

「数えてみよ主の恵み」。

「そうだ、私は目が見えなくても、まだ耳は聞こえる。口はしゃべることができる。手も、足もある。そして、何よりも私には、イエス・キリストがいてくださるではないか」。

節子夫人は、この聖歌の歌詞によって、共にいてくださる主の恵みに目を向けることができたのです。

そうだ、困難の中でも、主はいつも共にいてくださったではないか。あの時も、そして、あの時も。だから、これからも主は必ず共にいてくださるに違いない。

節子夫人の心の中の、不安と恐れの荒波が静まり、平安が訪れました。

日本に帰った節子夫人は、盲学校に学び、卒業後は盲人伝道に広く用いられ、日本中の視覚障碍者の方々を励まし、慰めてきました。

「数えてみよ主の恵み」。

安東栄子宣教師のように、砂山節子夫人のように、そして詩編103編の詩人のように、この年の終わりに、私たちも主の良くしてくださったことを一つ一つ数えて、全身全霊をもって主をほめたたえたいと思います。