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過去の礼拝説教

「主こそわたしの幸い」

2013年04月28日 聖書:詩編16編1節~11節

あるドイツの神学者が、神学校の学生たちに「キリスト教とは何かを一言で答えなさい」と問いかけました。とても難しい質問です。

もし、皆さんが同じ質問を受けたら、何と答えられるでしょうか。自信をもって即答できる人はそう多くないと思います。その神学校の学生たちも答えられずに、もじもじしていました。すると、その神学者は言いました。

「それは、交わりだ。神との交わりだ」。これは、まさに、正解だと思います。

キリスト教の本質とは、神様との交わりです。愛の交わりです。

その、神様との交わりの道を拓くために、主イエスは十字架にかかってくださったのです。

教会とは、何よりも神様との交わりに生きる者たちの群れです。

その交わりに、すべての人が招かれているのです。

先程、詩編16編を読んで頂きました。この詩は、神様との交わりこそが、すべての幸いの源であることを、力強く詠った詩です。

詩人は1節でこう詠っています。『神よ、守ってください。あなたを避けどころとする私を』。

この詩人は、何の根拠もなく、ただ闇雲に神様の守りを祈り求めているのではありません。

この言葉は、「苦難の中にあっても、主が必ず守ってくださる」という、確かな信頼から出た祈りなのです。

「主よ、あなたは、今まで、どんな時にも私を守ってくださいました。そのように、これからも、私を守ってください。私はあなたを避けどころとしているのですから。いえ、あなた以外に私の避けどころは無いのですから」。詩人はこのように詠っているのです。

「苦しい時の神頼み」という言葉があります。しかし、私たちは、往々にして、「苦しい時の神離れ」をしてしまうことが多いのではないでしょうか。

困難に出会った時、先ず神様の守りを祈るべきであるのに、人間的な解決を探そうとして、右往左往してしまう。そういうことが多いのではないかと思います。

しかし、そんな私たちも、後から気付かされるのです。

私たちが、神様から離れて、右往左往していた時も、神様は片時も私たちから離れずに、私たちを守ってくださった。そのことを後になって知らされます。

この詩人も、神様が、どんな時にも共にいてくださり、守ってくださったことを、様々な体験を通して、知らされて来たのです。

ですから、2節の言葉を、心から詠うことができたのだと思います。

『あなたは私の主。あなたのほかに私の幸いはありません。』

この詩人は、「どんな時にも私を守ってくださった神様、あなたは私の主です」、と賛美しています。

神様を自分の主とすること。それはどんな時にも、神様を第一として、神様に従って行くということです。詩人は、「私はこれからもそのように生きて行きます」と力強く告白しています。

いえ、「そのようにしか生きられません」、と言っているのです。

なぜなら、『あなたのほかに私の幸いはない』からです。

ここで使われている『幸い』という言葉は、もともとは『善い事』という意味の言葉です。

つまり、『あなたから離れては、私には善い事などありません』と詩人は言っているのです。

この告白に辿り着くまでに、詩人はこれまで、様々なものに幸いを求めて来たのだろうと思います。詩人だけではありません。

私たちも、幸いを求めて、あの事、この事に、善いことを探します。

あの幸せ、この幸せに自分の人生を賭けようとします。

しかし、私たちが善いものだと信じて、望みを懸けてきたあの事、この事が、自分にとってまことの幸いではなくなることがあります。その時、人は生きる力を失います。

銀行で働いていた時のかつての同僚が、しみじみと語った言葉が忘れられません。

彼は言いました。「私は銀行が、私の幸せを保証してくれるものと信じて生きて来た。

しかし、銀行が合併の嵐のなかで混乱していく時、私は全く無視され、自分が泡の様な存在に思えた。」

これこそが、私の幸せを保証してくれると信じていたものが、もろくも崩れ去ってしまう。

そのような経験をされた方は少なくないと思います。

この詩人も様々な経験をした後に、「どんな時にも、決して変わらずに『私の幸い』と言い切ることができるのは、神様、あなただけです。あなたのほかには『私の幸い』はありません」、と告白するに至ったのだと思います。

5節、6節において、詩人は、そのような幸いを、様々な言葉で言い換えて詠っています。

『主は私に与えられた分、私の杯。主は私の運命を支える方。』

ここに、少し分かりにくい言葉が出てきます。

『与えられた分』という言葉は、以前の口語訳聖書では「嗣業」という難しい言葉で訳されていました。簡単に言えば、「財産」と言う意味です。

「主は私に与えられた財産」である、と言っているのです。

『杯』は、霊的な渇きを癒す神様の恵みを表しています。

そして『運命』と訳された言葉。この言葉は大変面白い言葉で、もともとは土地の分配の時に引かれる「籤」のことなのです。

ここでは、『主が籤を引いて、私の土地を決めてくださり、それを支え続けてくださっている』という意味が込められています。

詩人は、『私の幸いは主です。主は私に与えられた最も大切な財産です。そして、主の恵みは私の霊的な渇きを癒し、私の人生を支え続けてくれました』、と主を賛美しているのです。

主がいてくださるなら、もうほかに何も要りません。それだけで十分です、という全き充足の中に詩人は身を横たえています。

この時、詩人は、人間的には、恵まれた環境にはいなかったかもしれません。

しかし、主という最高の財産を与えられているので、私は豊かなのだというのです。

私はこの詩人の言葉を読む時、もう一つの詩を想い起します。

それは、原崎百子さんという牧師夫人が作った詩です。原崎百子さんは、この教会の柴田兄弟の同窓生でICUの第一期卒業生です。

その原崎百子さんが、肺がんのために召される直前に詠んだ詩です。

『わたしが共にいる、治らなくてもよいではないか。わたしが共にいる、長患いでもよいではないか。わたしが共にいる、何も出来なくてもよいではないか。わたしが共にいる、それでよいではないか。或る晩 キリストが そう言って下さった』

原崎さんは病の床にあって、何もする事が出来ない重病人でした。

しかし、彼女の心は豊かに満たされていたのです。すべてを益としてくださるキリストが共にいてくださったからです。

私にはキリストが共にいてくださる。キリストとの交わりが与えられている。

「それでよいではないか」、という思いに導かれていたのです。

詩人も、同じような充足の中にいて、この詩を詠んでいたのだと思います。

それは、私たちも同じです。私たちも、主という最高の財産が与えられていることの幸い。主が共にいてくださることの幸いの中に、生かされているのです。

詩人は更に、彼の受けた幸いを、言葉を換えて詠っています。

6節です。『測り縄は麗しい地を示し、私は輝かしい嗣業を受けました』。

測り縄というのは、土地を測量するための道具です。

ですから、測り縄が地を示したということは、自分の「居場所が決まった」、ということです。

もっと俗な言葉で言えば、「縄張りが決まった」ということです。

皆さんもそれぞれに、ご自分の縄張り、つまり居場所を持っておられます。それぞれの人生をお持ちですから、測り縄がその所を、皆さんの居場所として示したのです。

或る方はそれに満足されておられるでしょう。また、或る方は不満をお持ちかも知れません。「主こそが自分の幸いである」と告白したこの詩人は、自分の居場所は麗しい地だといっています。

そして、輝かしい嗣業、つまり輝かしい財産を譲り受けたと言っています。

自分の居場所に満足しているのです。詩人は地上的な祝福を与えられているので、そのことに満足をしている、と言っているのではありません。

たとえ与えられた地が、他人から見て悲惨とも思われるような困難な地であったとしても、それが神様によって備えられ、神様によって与えられた地であるなら、それを喜んで受け取ることが出来る。

それは私にとっては麗しい地であり、輝かしい宝なのだ、と言っているのです。

数年前、私はある聖会で婦人牧師の話しを聞く機会を得ました。

その先生が或る教会に遣わされた時の事です。先生は必死の努力をされましたが、信徒が増えるどころか、一人また一人と減って行き、遂に4人になってしまったそうです。

先生は主に訴えて叫びました。『主よ、あなたの御計画は一体何なのですか?』、『これがあなたが私に期待されることなのですか?』

先生がこのような嘆きを神様にぶつけていた時、突然のように、この6節の御言葉が先生の心に飛び込んできたそうです。

『測り縄は麗しい地を示し、わたしは輝かしい嗣業を受けました。』

その時、先生はハッと気付かされたそうです。そして、残されたその4人の信徒の方々を、本当に欠け替えのない存在として、素晴らしい恵みとして受け止める事が出来たそうです。

そしてその4人の方々を、心から愛することが出来たそうです。

「その4人の信徒の方々を、主から与えられた宝として心から感謝し、愛した時、遣わされたその教会は、私にとって麗しい地となり、輝かしい嗣業となりました」と先生は語られました。

『神様のご計画、神様の御心を、自分の思いで評価してはいけません』。

そう語られ先生のお顔は、恵みに満ち溢れていました。

自分の思いで自分の居場所を評価するのではなく、そこに置いてくださった神様のご計画を感謝をもって受け取り、御心に委ねていく時、そこは麗しい地となり、輝かしい嗣業となるのです。

茅ヶ崎恵泉教会の礼拝には、4名ではなく、もっと多くの方が来てくださっています。

しかし、数の多い少ないは問題ではありません。遣わされた牧師にとっては、皆様方お一人お一人は、神様から与えられた輝かしい宝です。欠け替えのない存在です。

この茅ヶ崎恵泉教会は、私にとって、麗しい地であり、輝かしい嗣業なのです。

前任の坐間先生も、そしてこの教会に仕えてこられた歴代の牧師先生方も、きっと同じ思いでおられたに違いありません。

さて、8節で詩人は、「わたしは絶えず主に相対しています」、と詠っています。

ここにある、『相対しています』という言葉は、口語訳聖書では『主を私の前に置く』と訳されていました。その方が原文に近い訳です。

都合の悪い時には、主をどこか片隅に追いやっておき、都合の良い時だけ主に相対するのではなく、『私は常に、主を私の前に置くのだ』、と詩人は言っているのです。

日本宣教のパイオニアといわれるバクストン宣教師は、この『常に主をわが前に置く』という御言葉を、とても大切にされていました。

ですから、バクストン先生に接した人たちは皆、異口同音にこのように証ししています。

「先生がおられる所では、いつも、思わず言葉を慎みたくなるような、それでいて安息に満ちた暖かい主のご臨在を覚えた。

それは先生が、『いつも自分の前に主を置いて』いたからだろう」。

ご臨在の主に相対している時、私たちは主の御顔の光に照らされています。

その時、そこには安息があります。聖さがあります。力があります。そして愛があります。

この詩人も、そしてバクストン先生も、主のご臨在の光の中を生きた人でした。

ご臨在くださる主は、また、私たちを助けてくださる主でもあります。

『主は右にいまし』とありますが、右は助け人、弁護者の立つ位置です。

詩人は、主が傍らに居られる限り、私は揺らぐことがない、と告白しています。

神様と共にある者は、どのような困難の中にあっても、揺らぐことなく神様の救いを確信して生きることが出来るのだ、と詩人は詠っています。

信仰者の強さは自分の強さではありません。自分が強いのではなく、共に居られる主の強さに信頼しているが故に強いのです。

ですから、9節でて詩人は、『私の心は喜び、魂は踊ります。からだは安心して憩います』、と続けて詠っています。

ここに心、魂、からだ、が出てきています。これらは彼の全存在を表しています。

神様との生きた交わりは、詩人の内なる心も、その魂も、そして外なるからだをも、この上ない喜びで満たし、平安をもたらしたのです。

この大いなる喜び、測り知れない恵みは、詩人に死にすら打ち勝つ確信を与えました。

10節、11節において詩人は、『あなたは私の魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず、命の道を教えてくださいます』、と詠っています。

旧約の時代に生きるこの詩人は、主イエスの十字架と復活の恵みを、未だ知らされていません。しかし、それにも拘らず、神様との交わりによって与えられる圧倒的な恵みは、死をも包み込んでしまっています。

生きている今、こんなにも大きな喜びで満たしてくださる主が、死んだ後に私を見捨てる筈がない。そのような事は、とても考えられない。

この神様との交わりが、死をもって断たれてしまうことなど、到底考えられない。

そんなことは断じて有り得ない。そう確信できる程、今与えられている恵みを喜んでいる詩人にとっては、もはや死は問題ではなくなっているのです。

彼にとって、陰府も墓も、神様との交わりを妨げる障害とはなり得ないのです。

詩人は、神様との交わりが、死をも克服する勝利の力であることを感じ取っています。

ある人が著名な神学者に質問しました。「天国には、どのような人が行かれるのですか」?

その神学者は答えました。「この地上で、天国を味わった人が行かれるのです。」

「今、この地上で、天国を味わっている人が天国に行けるのだ」、というのです。

この詩人は、神様との交わりを喜ぶことによって、この地上において、既に、天国の前味を味わっているのです。

ですから詩人は、『私は御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます』、と高らかに詠ってこの詩を結んでいます。

神様の御顔を仰ぎつつ、神様と共に歩む人生。それは、たとえ他人の目には不遇に見えようとも、喜びに満ちた人生なのだ、と詩人は語っています。

戦後間もないころ、一人の青年が、神学校を卒業して直ぐに、大阪の日雇い労務者の住むドヤ街で開拓伝道を始めました。中島誠という先生です。

真夏でも、襟巻き、手袋、靴下を履いて寝なければ、南京虫の総攻撃を受けるような部屋に寝泊りし、伝道されました。

結婚された新居も、ドヤ街の簡易宿泊所で、部屋にはドアも襖もなく、新婚の先生方ご夫妻の足元を、他の宿泊客が通ってトイレに行く、というような生活でした。

そんな中、お二人は「いずくまでもゆかん、愛する主のあとを」という愛唱聖歌を歌いながら、励ましあって、喜びを持って伝道されました。

やがて、少しずつ信徒が与えられ、40歳を過ぎた頃、小さな会堂を建てるに至りました。

まさに、「さぁ、いよいよこれから」という時に、先生は病に倒れ、天に召されたのです。

43歳の若さで召される時、最後に、先生は、ご夫人の手を取って、微笑みながら「楽しかったね」と一言いって、息を引き取られました。

人間的に見たら、苦労の連続で、何が楽しかったのか、というような人生でした。

しかし、先生は、「楽しかったね」と言われて、天に帰られたのです。

一体、何が楽しかったのでしょうか。

主が共にいて下さったことが楽しかったのです。共にいてくださった主が、嬉しかったのです。その主を喜んで生きられたのです。

この詩人も、中島誠先生と同じように、様々な信仰の戦いを経た後に、『主こそわが幸い』という確信に導かれたのだと思います。

私たちも、どんな時にも共にいてくださる主を、私たちの喜びの源とする人生を、共に歩んでまいりたいと思います。

『あなたは私の主、あなたのほかに私の幸いはありません』