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過去の礼拝説教

「クリスマス―素朴な喜び」

2015年12月24日 聖書:2015年クリスマスイブ賛美礼拝説教

皆様と共に、救い主イエス・キリストのご降誕を、お祝いできますことを、心から主に感謝いたします。

2千年前、私たちを愛し、私たちを救いたいと、切に願われた神様は、独り子イエス・キリストを、この世に送ってくださいました。そのクリスマスの恵みと喜びが、今宵、皆様方を、豊かに覆い包んでくださいますように。そして、あのクリスマスの夜、幼な子イエス様が、飼い葉桶に眠られたように、今宵、皆様方の、心の中に、主イエスが、宿ってくださいますように、お祈りいたします。

さて、会社や色々な団体で、クリスマス・パーティーを、企画した時、幹事さんは、先ず、何を準備するでしょうか。ご馳走と飲み物は、十分に用意するでしょう。それに、クリスマスの飾り付け。クリスマスケーキ。クリスマス・キャロルも流したい。できれば、サンタクロースにも登場してもらいたい。クリスマス・パーティーに、欠かせないものは、たくさんあります。

今日、世界中で、多くの人々が、様々な形で、クリスマスを祝っています。しかし、今から二千年前、世界で初めてのクリスマスを、お祝いしたのは、ごく少数の人たちでした。マリアとヨセフ、羊飼いたち、そして、東から来た、占星術の学者たちだけです。もちろんそこには、ツリーも、飾りつけもなく、ケーキやプレゼントも、ありませんでした。 いえ、世界で初めてのクリスマスには、何もなかったのです。

しかし、そこにはただ一つ、確かな神様の御業がありました。それは、「飼い葉桶」に寝かされた、幼な子イエス様です。主イエスが、そこにおられたから、そこに集まった、僅かな人々の心は、「喜びにあふれた」、のです。そしてこの喜びは、その後二千年に亘って、世界中に伝えられ、今や、東洋の果て、日本にまで及んでいるのです。今日、世界中のクリスマスには、ツリーやケーキやプレゼントがいっぱいです。でも、肝心の主イエスは、そこに、いらっしゃるでしょうか。 今宵、私たちは、何はなくても、主イエスと一緒のクリスマスを、お祝いしたいと思います。

クリスマスは、まことに素朴な形で起こりました。神の御子は、ユダヤのベツレヘムという、小さな村の、家畜小屋で、お生まれになりました。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」、と聖書は伝えています。

ヨセフは、「飼い葉桶」を借りてきて、そこに藁を敷いて、幼な子イエス様を、布にくるんで、飼い葉桶に寝かせました。これは素朴というよりも、まことに粗末なものです。

クリスマスが、このような粗末な状況の中で、起こったということは、私たち人間の常識に反しています。全世界の救い主が生まれる、というのであれば、鳴り物入りで、これ以上ないという、華やかな場面を、私たちは、想像します。それが、人間の常識です。

しかし、実際のクリスマスは、そうではありませんでした。何よりも素朴なのは、「幼な子」です。粗末な布にくるまれて、飼い葉桶に寝かされている。神様は、この「幼な子」に見るような、素朴さの中で、私たちに出会ってくださるのです。ですから、私たちも、華やかに着飾ったり、見栄を張ったりして、自分を良く見せようとする、必要はありません。そのまま、ありのままの姿で、主イエスに会うことができるのです。そのような、素朴な出会いの中でこそ、真実の交わりが、為されるのです。私たちの心を、揺さぶるものは、華やかな演出ではなく、心のこもった素朴さの中に、あるのではないでしょうか。

私が、神学校の学生であった時、毎年クリスマスに、東京の狛江市にある、愛光女子学園という、女子の少年院を訪れて、一緒にクリスマスを祝いました。そこには、何らかの犯罪を犯した、14歳から20歳までの少女が、甦生のために、収容されていました。

クリスマス会の第一部は、講堂での礼拝でした。そして、第二部は、場所を、食堂に変えての、祝会です。

職員さんたちが、心を込めて作った、ケーキやお菓子が、振舞われました。そして、最後に、プレゼントタイムがありました。サンタに扮した職員さんが、少女たち一人一人に、紙の袋を、配って歩きました。

私は、何が入っているのか、興味深く、眺めていました。少女たちが、袋を開けます。 中に入っていたのは、鉛筆や消しゴム、ボールペン、ノートなどの文房具でした。

私は、それを見て、がっかりしました。終戦直後の、物不足の時代ならいざ知らず、今、物があり余っている、この時代に、このプレゼントは、お粗末すぎる。いくら少年院だからといっても、もう少し、ましなプレゼントを、用意できないのだろうか。

私が、秘かに、そう思っていた時、はす前に座っていた少女が、しくしく泣き出しました。涙を流しながら、泣いているのです。私は、「どうしたの、どこか具合が悪いの」、と聞きました。すると、その少女は、泣きながら、答えました。「いえ、私、嬉しいんです。私、生まれてから今まで、こんなプレゼント貰ったことなかったから」。少女は、嬉しくて、泣いていたのです。

この少女が、今まで、どのような人生を歩んできたのか、どのような経緯で、少年院に送られて来たのか、それは分かりません。しかし、恐らく、クリスマスプレゼントなど、貰ったことがなかった。そんな、辛い日々を、送ってきたのだと思います。私は、こんな粗末なプレゼントなど、喜ぶ人はいないだろう、と思っていました。しかし、そのプレゼントが、嬉しくて、泣いている少女がいる。私は、自分の、浅はかな思いを、恥ずかしく思いました。

今、クリスマスプレゼントは、豪華になっています。何万円もするゲームソフトを貰う子もいます。貰った子は、「やったー!」、と言って喜ぶでしょう。しかし、涙を流して喜ぶ子は、いるでしょうか。

この少年院の少女は、粗末なプレゼントを、涙を流して、喜びました。プレゼントの中身よりも、職員さんたちの、優しい心遣いが、嬉しかったのでしょう。人の心を動かすものは、華やかなものよりも、むしろ、粗末とも思えるような、素朴なものの中にあることを、思わされました。

クリスマスの出来事は、素朴な出来事でした。華やかな出来事ではありませんでした。人々の目が、表面的な華やかさにとらわれて、その出来事に込められた、神様の熱い思いを見ることができない。そんなことがないようにと、敢えて素朴で、質素な出来事の中で、神様は、愛の御業を、なされたのです。

最初に、主イエスを礼拝した、羊飼いたちは、天使のみ告げを、素朴に信じて、「飼い葉桶」に寝かせてある、幼な子を礼拝しました。遠い東の国から来た、占星術の学者たちも、星に導かれるという素朴な仕方で、ついにベツレヘムに、たどり着いたのでした。そこで彼らは、幼な子イエス様を、まことの救い主と、素直に信じて、「黄金、乳香、投薬」などの、贈り物を献げたのです。このような、素朴な信仰の中で、神様が、私たちに出会ってくださった。それがクリスマスの出来事なのです。

何もない家畜小屋の、飼い葉桶の中に生まれる、という神様の素朴な愛。

その救いの出来事を、素直に信じて、家畜小屋に向かった、人間の素朴な信仰。その二つが出会った出来事。それが、クリスマスなのです。

今から140年前、1875年のクリスマス・イブのことでした。アイラ・サンキーというアメリカのゴスペル歌手がいました。彼はこの時、世界的な伝道者D・L・ムーディの伝道チームに加わって、音楽伝道者として活躍していました。この夜、彼は、デラウエア川を、汽船で上っていました。すると、甲板にいた人たちが、是非一曲歌ってください、と彼に頼みました。彼は、短く祈った後に、クリスマスの歌を、歌おうとしましたが、なぜか急に、違う歌を歌ってしまいました。

それは讃美歌459番でした。この歌です。♪「飼い主わが主よ….」♪

すばらしい賛美に、甲板のお客は、深い感動に包まれました。

歌が終わると、一人の男の人が、サンキーのところにやって来ました。彼はサンキーに、「あなたは軍隊に行ったことがありますか」、と尋ねました。彼が、「ハイ、私は1860年の春、北軍に入隊しました」、と答えました。するとその人は、「それではあなたは1862年の、明るい月夜に、見張役を勤めたことを、覚えていますか」、と聞きました。サンキーは、「ハイ、あります。覚えています」、と大変驚いて答えました。

するとこの人は、続けて言いました。「その時、私は、南軍の軍人でしたが、あなたが持ち場に立っているのを見て、小銃をかまえて、狙いを定めました。月の光が、こうこうとあなたを照らしていました。その時、一瞬早く、あなたが、目を天に上げ、歌いはじめたのです。その歌声を聞いて、私は、思わず指を、引き金から離しました。『あの男に、終わりまで、歌わせてやろう。その後でも射殺できる』と、私は独り言を言いました。あの晩、あなたが歌った歌は、今、あなたが歌った歌でした。

私は、その歌詞を、正確に覚えています。『われらは主のもの、ただ主を愛す』。あなたが歌い終わったとき、私は再び、あなたに狙いを、定めることはできませんでした。私は、『あの男を、死から救うことのできる、イエス・キリストは、偉大な御方であるに違いない』、と素朴に思ったからです。」

これを聞いたサンキーは、深く心を動かされ、かつて自分を殺そうとした、その人に抱きつき、その人をキリストに導くことができたと、伝えられています。

夜更けの戦場で、たった一人で歌った賛美。そして、冷たい川風が吹き付ける、船の甲板で、伴奏もなしで歌った賛美。 どちらも素朴な讃美です。しかし、その歌に込められていた、キリストに対する熱い思いが、一人の人の心を捕え、その心を動かし、遂には、救いへと導いたのです。サンキーが歌う、素朴な歌声の中で、この人は、神様に出会ったのです。

クリスマスも同じです。クリスマスの恵みと喜び。それは神様が、その素朴さの中で、私たちに出会ってくださる、という喜びです。

今晩、ぜひ、あなたも、生けるまことの神様に、出会ってください。そのまま、ありのままの姿で、神様に、出会ってください。あなたの心を、幼な子が眠る、飼い葉桶として、差し出してください。

そして、そこに、主イエスを、迎え入れてください。