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柏牧師:過去の礼拝説教

「苦しみの末に生まれた私」

2017年12月31日 聖書:ガラテヤの信徒へ手紙 4:8~20

今日は、12月31日、大晦日です。今年最後の日に、このように、ご一緒に礼拝を献げ、感謝と賛美をもって、一年を締め括ることができる幸いを、主に感謝したいと思います。

何かと慌しい、この大晦日に、心安らぐ、静かな詩を、書いた人がいます。

ドイツの牧師で、優れた神学者でもあった、ボンヘッファーという人です。この人が、1944年12月31日に、1編の詩を書きました。

その時ボンヘッファーは、ナチスに抵抗したために、捕らえられ、獄に入れられていました。

悲惨な戦争の最中、しかも獄中にあったボンヘッファーですが、尚もそこで、共にいてくださる主に信頼し、主に期待し、主にある平安を、力強く詠っています。

今朝の週報の【牧師室より】にも、その抜粋を書かせていただきました。

『主のよき力に、確かに、静かに、取り囲まれ、不思議にも守られ、慰められて、

私はここでの日々を君たちと共に生き、君たちと共に新年を迎えようとしています。…/

(主よ)あなたがこの闇の中にもたらしたろうそくを、どうか今こそ暖かく明るく燃やしてください。そしてできるなら、引き裂かれた私たちをもう一度、結び合わせてください。あなたの光が夜の闇の中でこそ輝くことを、私たちは知っています。…/

主のよき力に、不思議にも守られて、私たちは、来るべきものを安らかに待ち受けます。

神は、朝に、夕に、私たちのそばにいるでしょう。そして、私たちが迎える新しい日々にも、神は必ず、私たちと共にいるでしょう。』

この詩を詠んでから、100日ほど後に、ボンヘッファーは、処刑されています。

ですから、この詩は、彼の遺言とも言えるものです。なぜ、ボンヘッファーは、死を前にして、このような平安に満ちた詩を、詠むことができたのでしょうか。

なぜ、目の前の、暗黒のような現実を、心静かに、受け入れることが、できたのでしょうか。

それは、彼が、どんな時にも決して変わらない、よき力を握り締めていたからだと思います。どんな時にも、決して消えることのない、確かな希望を、持っていたからです。

真実に頼るべきものに、全き信頼を、寄せていたからです。

「雨にも負けず」の詩で有名な宮沢賢治も、死に際して、弟子たちに、遺言とも言えるような、手紙を書きました。その中で、彼は、「蜃気楼のような人生を築いてはならない」、と言っています。宮沢賢治は、この言葉を、遺言として、弟子たちに残しました。

蜃気楼というのは、実体のないものです。ですから、どんなに素晴らしく見えても、それを掴もうとしたり、それに頼ろうとしたりすると、すっと消えてしまいます。

賢治は、「真実に頼りにならないものに、頼ってはならない」、と教えたかったのです。

私たちが、真実に頼るべきもの。それによって、生きていくべきもの。

それは、どんな時にも、決して変わらないもので、なければならない。

たとえ一時は、素晴らしく見えても、やがて、はかなく消えてしまうようなもの。

そういうものに、頼って生きてはならない。

それは、蜃気楼のような人生を、生きることなのだ。賢治は、そう言っているのです。

今朝の御言葉で、使徒パウロが言っていることも、同じです。パウロは、言っています。

ガラテヤの教会の人たち、かつてあなた方は、神ならぬ神々の、奴隷になって生きていた。

人が定めた掟や言い伝え。そういう目に見えない鎖に、がんじがらめに、縛られていた。

その掟や言い伝えを、守って生きるなら、救われる。でも、守らなければ、救われない。

そう教えられてきた。そのために、息を詰まらせながら、汲々として生きてきた。

パウロは、そのような、神ならぬ神々の、典型として、日や、月などの時節を、守ることを挙げています。

この日には、これをしなくてはならない。この日には、これをしてはならない。この季節は、こういう時として、過ごさなければならない。

このように、あなた方は、様々な日、月、時節、年などを、守りなさいと、命じられてきた。

そのために、人間本来の、自由な生き方を、生きることができないでいた。

でも、どうか想い起して欲しい。そういう生き方は、あなた方を、本当に幸せにしただろうか。

そこに、まことの救いはあっただろうか。それらは、神ならぬ神々として、あなた方を、縛っていただけでは、なかっただろうか。

そういうものに、頼って生きる人生には、まことの救いはないのだ。

そのように、神ならぬ神々に縛られていた、あなた方を、主イエスが、救い出してくれた。

十字架の贖いを、信じるだけで、神の子とされるという、まことの救いへと、導いてくれた。

そして、まことの自由に生きる道を、開いてくれた。そうではなかったか。

あなた方は、それを忘れたのですか。それを忘れて、また元の、不自由な生き方に、戻ろうとするのですか。パウロは、そう訴えています。

人間は、神ならぬものを、神々とする過ちを、繰り返して、犯し続けています。

人は、それぞれが勝手に造った、神を持っています。そのような、神ならぬ神々に、皆が支配されています。では、現代における、神ならぬ神々とは、一体、何なのでしょうか。

今の私たちにとっての、神ならぬ神々。それは、時として、財産であったり、学歴であったり、社会的地位であったり、家柄であったりします。

そういう、神ならぬものが、その人の中で、神の座を占めている。それらに頼って生きている人生。それを、宮沢賢治は、「蜃気楼のような人生」、と言ったのです。

ある牧師が書いた本に、こんな話が紹介されていました。

「教会に、有名大学出のお嬢さんがいました。きれいで、性格も素晴らしく、皆が、あのお嬢さんは、どんな人と結婚するのだろう、と思っていました。

ところが、そのお嬢さんは、大方の予想を裏切って、中学を出ただけで、建具屋の職人をしている人と結婚しました。

実は、そのお嬢さんは、同じ信仰を持っている人と結婚したい、という強い願いを、ずっと抱き続けていたのです。そして、その願いがかなって、望んでいる人と結婚できたのです。

周りは心配しましたが、今は、非常に幸せな生活をしています。」

私たちは、主イエスを中心にした、家庭の大切さを、よく知っています。そのような家庭の素晴らしさに、憧れを持っています。

しかし、実際に、具体的な決断になると、学歴とか、職業とか、家柄とか、そういう思いが、頭をもたげてきます。信仰よりも、他の要素が大きくなる、という弱さを持っています。

パウロは、それを、逆戻り、と言っています。

パウロは言っています。あなたがたは、「今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ逆戻りするのか.」。

「神を知っている、いや、むしろ神から知られている」。これは、キリスト教信仰の、キーワードの一つです。他の宗教では、聞かれない言葉です。

一般に、宗教では、神を知ろうとして、努力します。何とかして、神を知りたい。神の存在を、窮めたい。神とは、こういう存在である、ということを、悟りたい。

そのように、探求していくのが、宗教であると、思い込んでいます。

しかし、キリスト教は、そうではありません。神を知ることよりも、神に知られていることを、大切にするのです。自分が、神様に知られている。私のような者を、神様が、知っていてくださる。そこから、信仰が始まるのです。

ある人が言っています。「私たちは、神様に捉えられている、という仕方でしか、神様を捉えることができない」。まことに適切な言葉だと思います。

私たちは、捉えられている、ということを通して、初めて、捉えてくださっているお方が、どういう方であるかを、知ることができるのです。なぜでしょうか。

私たちには、神様の本質である、完全なる愛も、正しさも、聖さもないからです。

自分にないものを、自分の方からは、認識できないのです。

私たちは、神様の全き愛に、覆い包まれて、初めて、全き愛を知るのです。

神様の全き正しさを示されて、初めて、全き正しさを知るのです。

神様の全き聖さに触れて、初めて、全き聖さに与れるのです。

神様は、私たちの貧しい経験や、乏しい知識や、限りある思いの、及ばないお方なのです。

ですから、私たちは、ただ、神様に捉えられた時にのみ、神様を認識できるのです。

「あぁ私は、今、神様の御手に、握り締められている」。

この思いに覆われた時に、その御手が、どれ程尊くて、どれ程大きくて、どれ程聖らかな、愛の御手であるかが、ほんの少しですが、分かるのです。

頭で理解するのではなくて、信仰によって、示されるのです。

ここで、もう一つ、覚えておきたいことがあります。それは、「神に知られている」とは、「神様に愛されている」、ということと、同じ意味だということです。

ですから、「神に知られているだって?えっ、それはまずい。悪事が露見してしまう」などと、うろたえる必要はありません。

知られている、ということは、神様が、私のすべてをご存知の上で、尚も、受け入れてくださっている、ということです。無条件で、愛してくださっているのです。

パウロは、ガラテヤの信徒に、呼び掛けています。あなた方は、神様に知られている喜びに、満たされた筈ではないか。神様が、あなた方のことを、心に掛けていてくださることを知って、あんなに感動したではないか。

そのことを通して、神様が、どのようなお方であるかを、知ったではないか。神様の全き愛、神様の全き正しさ、神様の全き聖さを、知ったではないか。

それなのに、なぜまた、逆戻りしようと、しているのですか。パウロは、深い悲しみをもって、呼び掛けています。

エジプトを脱出した、イスラエルの民は、ちょっと困難が迫ると、エジプトにいた方が良かった、戻りたいと言いました。そのような逆戻り現象が、ガラテヤの信徒にも見られたのです。

荒野における、イスラエルの民の逆戻りが、モーセを、そして神様を、悲しませたように、今、ガラテヤの信徒の逆戻りが、パウロと、神様を、悲しませているのです。

パウロは、私がしてきた努力が、すべて無駄になってしまったのではないか、と嘆いています。自分の伝道者としての、一切の努力が、すべて水の泡になろうとしている。

あなた方は、そのことに、どうして気づかないのか、と悲痛な叫びを、上げているのです。

「わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください」と、パウロは言っています。これは、自分の立派さを、誇っているのでは、ありません。

その逆なのです。罪人の頭である私が、キリストによって、赦され、救われている。

律法の行いでなく、ただ主イエスの、贖いの恵みによって、救われて、生かされている。

あなた方も、そのような恵みの内を、生きて欲しい、と言っているのです。

このように、語って来たパウロは、ここで、今までのことを、改めて、振り返っています。

ガラテヤに、始めて伝道に行った時のことを、想い起しています。

実は、ガラテヤ伝道は、パウロの、初めの予定にはなかったのです。ところが、病気になって、ガラテヤの地に、留まることになった。そこで、図らずも、ガラテヤ伝道が、始められたのです。ですから、ガラテヤ伝道のきっかけは、パウロの病気であったのです。

伝道者が、病気になったために、当初の予定を変更して、その地に留まって、伝道した。

普通であれば、そんな伝道者は、歓迎されません。この時代、病気は、罪の結果であると、思われていたからです。

しかし、彼らは、そんなパウロを、蔑んだり、忌み嫌ったりせず、まるで神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれたのです。

ガラテヤの人たちは、パウロから聞いた福音に、感激し、喜びに満たされたのです。

パウロは、その時のことを、想い起して、あの時の、麗しい関係は、一体どうなってしまったのかと、悲痛な叫びを、上げているのです。

そして、「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」、と語っています。

母親の胎内に、子供の姿が、段々と形作られ、やがて出産の苦しみを、喜びを持って迎える。そのように、あなた方の中に、キリストが形づくられるために、私は、もう一度、産みの苦しみを味わうのだ、と言っているのです。一人のキリスト者が誕生するための、産みの苦しみ。それは、パウロや、伝道者だけが、味わう苦しみではありません。

自分の愛する者を救いたいと願う、すべてのキリスト者が、味わう苦しみでもあります。

私たち自身も、先輩のクリスチャンの「産みの苦しみ」によって、神の子とされました。

私たちが、神の子として生まれるために、先輩のクリスチャンが、どんなに祈り、また、心を尽くして、神の言葉を、伝えてくれたことでしょうか。

私たちが、迷ったり、躓いたりした時も、多くの先輩たちが、じっと見守り、支えてくれました。

教会は、しばしば「母なる教会」、と言われます。それは、母親のような愛情を注いで、「産みの苦しみ」を担ってくれる、霊的な「母親」たちがいるからです。

私たちは、そうした方々の、「産みの苦しみ」によって、救いに与り、信仰者として、成長させていただきました。

そうであれば、今度は、私たちが、霊的な母親になる番です。男性であっても、霊的な意味で、「産みの苦しみ」を経験できます。

チイロバ牧師として親しまれた、榎本保郎先生も、生涯かけて、この「産みの苦しみ」を、味わい続けた人です。

ある時、一人の婦人が、榎本先生の許に、飛び込んできて、「私の弟が、8回も自殺未遂をしました。何とか助けてください」、と頼みました。

榎本先生は、直ぐに訪ねましたが、何と言っていいか分からずに、「自殺してはいけないよ」、と言いました。でも、その力ない言葉に、自分でも、泣きたい思いがしたそうです。

その時、心の中で、これから毎日、彼を訪問しようと、決心したそうです。日々祈って、その青年を訪ねましたが、彼は、全く心を開かず、一方通行でした。

3ヶ月ほど経ったある日、いつものように訪ねると、畑に行っている、というので、そこに行って、話しかけようとしました。

その時、やにわに持っていたひしゃくで、下肥をかけられました。

逃げる間もなく、頭から汚水を、かぶってしまいました。その時は、不思議に、怒りがなく、「また明日来るよ」と言って、家に帰ったそうです。

その日の夕方、玄関に人の気配がするので、出てみると、なんとその青年が立っていました。榎本先生は、大変喜んで、彼を家の中に招き入れ、茶菓を出して、夢中になって、サービスしました。その日も、青年は、何も言わずに帰って行きました。

しかし、それから、彼は、変わっていきました。礼拝に、欠かさず来るようになり、心を開くようになりました。そして、遂に洗礼を受け熱心な信徒となって、今度は、多くの人を、神様の許に、導く器となったのです。

榎本先生は、この青年のために、「産みの苦しみ」を担いました。そうして生まれた信仰者が、今度は、自らが、「産みの苦しみ」を担う者と、されていったのです。

皆さん、私たちは、「産みの苦しみ」を味わうほどに、教会を愛しているでしょうか。

茅ヶ崎恵泉教会は、母なる教会と、なっているでしょうか。

「産みの苦しみ」は、無意味な苦しみではありません。それは、命を生み出す、希望の苦しみです。喜びの苦しみです。

キリストのための苦しみ、教会のための苦しみ。それは、決して無駄にはなりません。

それによって、新しいクリスチャンが生み出され、成長し、キリストの体の一部として、働くのを見ることは、無上の喜びとなる筈です。

今朝、私たちは、2017年最後の礼拝を、ご一緒に献げています。この年も、色々なことがありました。嬉しいこと、感謝すべきことも、たくさんあったと思います。

しかし、一方では、神様の前に、懺悔しなければならないことも、多くあったと思います。

その懺悔の中には、愛する人に、福音を十分に伝えられなかった、という告白があるのではないでしょうか。

愛する人の心の中に、キリストが形作られるために、産みの苦しみを、十分にしてこなかった。パウロのように、愛する人のために、苦しまなかった。

もし、そのような思いを、持っておられるなら、素直に悔い改め、来るべき年こそ、信仰の子を産み出す母の喜びを、味わわせて頂きましょう。

主は、必ず、よき力をもって、朝に夕に、私たちを、励まし、導いてくださいます。