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過去の礼拝説教

「主よ、なぜなのですか」

2017年07月16日 聖書:ヨハネによる福音書 15:26~16:4

8年ほど前に、日本の裁判にも、裁判員制度が、導入されました。アメリカの陪審員制度に、倣ったものです。

恐らく、ここにおられる皆さんの中には、裁判員になられた経験を、お持ちの方は、いらっしゃらないと思います。でも、いつか、突然、選任されるかもしれません。

そこで、その時に備えるためにも、皆さんが、裁判員に選任されて、法廷にいる場面を、想像してみてください。

裁判員である皆さんは、これから裁こうとしている事件を、実際に、見た訳ではありません。

事件現場で、どのような言葉が、語られたのか。それを、直接、聞いた訳ではありません。

そこで証人たちが、法廷に呼ばれて、実際に見た事を証言し、聞いた言葉を伝えます。

それによって、裁判員である皆さんは、実際に起こったことを知り、裁きを行うのです。

自分たちが、直接には、見ておらず、また聞いてもいない事件を、裁判で裁く。

その時には、どうしても、証人が頼りとなります。

今朝の御言葉に、「証し」という言葉が、出てきました。「証し」、つまり証言です。この言葉は、もともとは法廷用語です。この「証し」をするのが、証人です。

主イエスは、弟子たちに、「証人としての使命」を、お委ねになりました。そして、その使命は、弟子たちに続く、私たちにも、委ねられています。

復活された主イエスは、天に帰られる前に、最後に、弟子たちに、こう言われました。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

あなた方は、聖霊という、弁護者によって、力を与えられて、私の証人となるのだ、と言われたのです。 では、証人とされた者は、一体何を、証しするのでしょうか。

ヨハネによる福音書と、同じ著者によって書かれた、と伝えられている、ヨハネの手紙一は、その冒頭の1章1節、2節で、こう語っています。

「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言葉について。

―この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。―」。

私たちは見た、と言っています。一体、何を見たのでしょうか。命の言葉を見たのです。

私たちを生かす、命の言葉を見たのだ、というのです。主イエスという、永遠の命そのものを、私たちは、この目で見て、この手で触れて、この耳でその御声を聞いた。

私たちは、そのことを、最も大切なこととして、証しし、伝えます。私たちの使命は、それに尽きると言っているのです。

ヨハネの手紙は、主イエスの、十字架と復活から、60年くらい経った後に、そのことを証ししようとしています。 しかし、今朝の御言葉における、弟子たちは、そうではありません。

この時は未だ、十字架と復活を、見ていません。これから、見なければならないのです。

証人として、見なければならないのです。決定的な出来事が、これから起こるのです。

その出来事に、立ち合わされるのです。

先ず、それを見て、そして、弁護者である、聖霊の助けによって、その意味を分からせて頂いて、それを証ししていく。その務めに、まさに、これから、就こうとしているのです。

主イエスは、そのことを命じられ、また、予告されて、おられるのです。

聖書は、その証しを記した書物です。

聖書に記された、証しのお蔭で、私たちは、主イエスのことを、知ることができます。

お会いしたこともなければ、そのお言葉を、直接聞いたこともない、主イエスについて、深く知ることができるのです。

私たちは、聖書に記された、証しの言葉によって、救いに導かれたのです。

聖書は、キリスト教の教理を、書き記した書ではありません。まして、神学論文でもなければ、信仰の解説書でもありません。

聖書は、神様の真実の愛に触れ、その愛によって、救われた者が、その溢れるばかりの、喜びの体験を、ありのままに、書き記した書物です。

絵で言えば、是非これを描きたい、という気持ちを、そのまま、キャンバスにぶつけるように、描いた絵です。ですから、構図などには、あまり拘っていません。

聖書は、体系的な書物ではありません。ですから、説き明かしが必要となります。

礼拝に於ける説教は、その説き明かしなのです。聖書そのものが、証しの書ですから、その説き明かしである説教も、証しの言葉です。

先程、皆さんが、裁判員になったと、想像してみてください、と申しました。

皆さんは、神様という裁判長が開いている、法廷にいます。

裁判のテーマは、イエスは神の子・救い主か、それともペテン師か、という命題です。

多くの証人が、証言します。聖書の中に出て来る、数え切れないほどの人物が、口を揃えて、「イエスは主です」、と証言します。牧師も、説教を通して、証言します。

教会の人々も、同じように証言します。

それらの証言を聞いて、皆さんは、知ったのです。主イエスは、神の子、救い主であると。

そして、その主イエスが、私たちの罪を贖うために、私たちに代って、十字架にかかってくださり、三日目に復活された、という事実を知り、そのことを信じたのです。

つまり、証人の証言を聞いて、事実を知り、自分自身の判決を下したのです。それが、私たち、一人一人に起こった、出来事なのです。

私たちは、多くの証人たちの、証しの言葉によって、永遠の命である、主イエスに出会い、その愛を知り、そして救われたのです。

そして、それによって、救われた私たちは、今度は、救われた者として、その救いの体験を、証しして、いかなければならないのです。

救われた私たちは、同じ法廷において、裁判員の席から立ち上がって、証言台に移るのです。そして、証言台に立って、今度は、自らの救いの出来事を、証言するのです。

新しく選任された、裁判員の人たちに、神様の救いの出来事を証言し、それが、揺るぎのない真実であることを、信じてもらうのです。それが、証人である、私たちの、務めなのです。

日本におけるクリスチャンの数は、未だに1%の壁を、越えられずにいます。本当に小さな群れです。一体、そんな小さな群れで、何が出来るというのでしょうか。

しかし、神様は、そのような小さな群れに、語り掛けておられるのです。

「あなた方こそ、わたしの証人なのだ。あなた方がいるから、この国の人々も、天地を創造された、まことの神様は生きておられ、私たちを愛していてくださる、ということを知るのだ。あなた方が、証人として立たなければ、誰がそのことを、証しするのか」。

私たちは、この神様の、悲痛な叫びを、聞いていかなければならないのです。

社会にあって、或いは家庭にあって、たとえそこで、キリスト者が、圧倒的な少数派であったとしても、証しすることを、止めてはならないのです。

これは、伝道者だけに、課せられた務めでは、ありません。教会に繋がる、すべての者が、「あなたがたこそ、わたしの証人」という、神様からの、召しの御言葉を聞くのです。

主の証人として歩むことは、キリスト者すべての、務めなのです。

さて、16章1節、2節に、このような、主の御言葉が、記されています。

「これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。人々は、あなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る」。 会堂から追い出されて、殺される。恐ろしい言葉です。

しかし、この主イエスの予告は、やがて、現実となって、いきました。

教会が誕生した当初は、クリスチャンとユダヤ教は、比較的良い関係を、保っていました。

クリスチャンたちは、ユダ教の一派であると見られ、「ナザレ派」、と呼ばれていました。

しかし次第に、その違いが、表面化するに従って、関係はだんだんと悪くなっていきました。特に、ナザレのイエスを、キリストとして礼拝することが、大きな問題となってきました。

そして、遂に、ユダヤ教の公式の礼拝祈祷書に、クリスチャンを呪う言葉が、加えられるように、なっていったのです。こういう祈りです。

「教えに背く者に、いのちの望みもありませんように。ナザレ派は滅びますように」。

もし、クリスチャンが、同じ礼拝に出ていても、これは祈れません。自分で自分を、呪うことはできません。

クリスチャンたちは、会堂において、厳しい目で監視され、「あの人は、我々と同じ祈りをしていない」、と見つけられたら、会堂から追放され、死刑を宣告された、と伝えられています。

ユダヤ人たちは、神の名において、クリスチャンたちを、死刑にしたのです。

「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかもあなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る」。

悲しいことに、この主イエスの予告が、現実となったのです。

ユダヤ教は、ローマ帝国の、公認宗教でした。ですから、キリスト教が、ユダヤ教の一派である、と見られていた時は、教会は比較的平穏でした。

しかし、公認宗教である、ユダヤ教から、排除されたことによって、今度は、ローマ帝国からも、迫害されることに、なっていったのです。

こうして、「証人、マルチュリア」、という言葉は、殉教者という、意味をも持つようになりました。証しをする、ということは、そこに、命を懸けなければ、ならなくなっていったのです。

教会が、長年大切にしてきた言葉に、「殉教者の血は、教会の種子である」、という言葉があります。その言葉の通り、教会は、多くの殉教者たちの、命懸けの祈りによって、支えられ、発展してきました。多くの殉教者の、血が流されました。

「主よ、なぜなのですか」、と叫ばざるを得ないような、厳しい戦いが、続いたのです。

なぜ、このような、悲しいことが、起こるのでしょうか。その訳を、16章3節の御言葉が語っています。「彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである」。

ヨハネによる福音書は、独り子を、この世に与えるほどに、神様は、この世を愛された、と語っています。

しかし、神様の無限の愛によって、遣わされた独り子を、何と、この世は、十字架にかけて、殺してしまうのです。ここにおいて、人間の罪は、極まったと言えます。

しかしまた、まさにそこで、神様の愛もまた、極まったのです。

神様の無限の愛は、まさにそこで、貫かれたのです。十字架において、主イエスの、愛の御業が、成し遂げられたのです。

この十字架の愛がなければ、人間には救いはありません。キリストなしの人生には、まことの平安はありません。

証人が語るべき言葉は、これだけなのです。証しすべきことは、そのことに、尽きるのです。

私たちが、帰って行く原点は、ここです。ここしかありません。

もし誰かが、「なぜ、あなた方は、そこまでして、キリストの十字架の、証人となるのですか」、と問うならば、私たちの答えは、ただ一つです。

なぜなら、私は、キリストの十字架によって、救われたからです。いえ、キリストの十字架なしには、救われることのない者だからです。

私たちは、このことを大胆に、はっきりと、証ししていく者でありたいと思います。

たとえ、どんなに小さな群れであっても、恐れずに、語っていく者でありたいと思います。

今から、150年程前、日本にも、命懸けで、主の証人となった人たちが、いました。

明治維新の4年前の1864年に、通商条約に基づいて、長崎のフランス人居留地に、大浦天主堂が建てられました。それを見て、270年近くも、沈黙を守ってきた、浦上村のキリシタンたち数名が、司祭の許を訪れました。

しかし、この隠れキリシタンの出現は、新たな悲劇の、再現でもありました。この時は未だ、キリスト教は、禁じられていて、邪宗門とされていたからです。

3年後に、浦上の信徒たちの存在が、明るみに出ました。この時、奉行所に呼び出された、高木仙右衛門という人は、はっきりと、キリスト教信仰を表明しました。

その余りにも、堂々とした態度に、逆に、長崎奉行の方が戸惑って、一旦は、彼らを村に返しました。しかし、その後、秘密の集会場を、幕府の役人が襲い、高木仙右衛門ら信徒ら68人が、一斉に捕縛されました。

捕縛される際、信徒たちは、ひざまずいて両手を出し、「縄をかけて下さい」、と述べたそうです。抵抗を予想していた役人たちは、信徒の落ち着いた様子に、恐れを覚えた、と伝えられています。捕縛された信徒たちは、厳しい拷問を受けました。凄まじい拷問を受けて、殆どの人が、棄教しました。最後まで残ったのは、高木仙右衛門一人でした。

その仙右衛門に対する、尋問の記録が、残っています。

「邪宗門は、御禁制になっていると、知らなかったのか」と問われて、仙右衛門が答えます。

「もとより、存じておりました。しかし将軍様が、きっとお許しになるものと、信じておりました。と申しますのは、この教は本当に、勝れて立派な教で、ただ善い事ばかりを教えるのです。浦上は、切支丹の教が、分ってから、見違えるほど、変ってまいりました。

喧嘩もせず、大酒も飲まず、よく病人を看てやります。野良仕事にも、骨を惜しまず働きます。そのために田畑の出来栄えも、例年にないほど見事であります……

また、牢屋につながれても、その牢屋を破って、自由な身となす者も、一人としてありません。それを色々、お疑いになりますのは、調査不行届と、申さねばなりません……

とにかく、私は心の中に、改心せぬと申します。浦上に帰ると、切支丹をさかんにするつもりでいながら、口で改心すると言い、お上を欺く様なことは決して致しません。左様なことを致しますと、かえって、お上にお手数、御厄介を掛けますから、改心せぬと申すのであります」。 こういうことを、仙右衛門は、堂々と言うのです。命懸けで、証人としての使命を、果たしたのです。

明治維新となっても、暫くは厳しい迫害が続きました。明治新政府は、信徒たちを、津和野福山へと移送しました。

明治3年まで、続々と、長崎の信徒たちは、捕縛されて流罪に処されました。

彼らは流刑先で、言葉に言い尽くせぬほど、過酷な拷問をうけました。その残虐さは、幕府時代以上のものでした。

「主よ、なぜなのですか」、という訴えが、何度、叫ばれたことでしょうか。

流罪となった3,394名の内、662名が、命を落としたと、伝えられています。

津和野に流された、仲間の数人が、牢を脱出することに、成功します。それは、各地に流されている、同じ仲間たちの消息を知り、慰めてあげたい、と思ったからだそうです。

それからもうひとつ、神戸にフランス人の神父が、教会堂を建てていた。そこでのミサに、どうしても、与りたかったからです。この時、彼らと会った神父は、こう記しています。

彼らは、自分たちの苦しみについては、何ひとつ言わなかった。

ただ飢えと苦しみの故に、信仰を捨てると、言わざるを得なかった中間のために、祈って欲しいと、ひたすら願った。自分たちは信仰守ったが、彼らは捨てた、と言って、誇りに満ちた、殉教者気取りに、なっているのではない。

仲間が、飢えと苦しみの中で、主イエスを否認したということを、よく理解してあげて欲しいと頼んだ、とこの神父は書いています。

そして、彼らが、信仰に帰るために、自分たちが、その償いの業を、なし得るならば、それを教えてほしい、と言ったというのです。

更に、驚いたことに、この人たちは、牢屋に戻っていった、と書いてあるのです。

牢屋の役人は、びっくりしたに違いありません。ここにも証人の姿があります。

この見事な、証人の歩みは、私たちを慰め、励ましてくれます。

フランス人の神父を、深く驚かせたのは、厳しい拷問によって、棄教せざるを得なかった、仲間の人たちのために、祈って欲しいと、執り成している姿です。

仲間が、主イエスを否認したことについての、深い痛みと同情があります。仲間の痛みを、共有しているのです。だから、どうか、その人たちのために、祈ってください、と訴えているのです。これが教会の姿です。

茅ケ崎恵泉教会は、このような群れを、目指していきたいと思います。

私たちは、多くの証人の証言によって、救いに入れられました。だから、今度は、私たちが、証人になって、仲間のために、執り成していく。これも、また、教会の姿です。

聖霊の力を受けた時、あなたがたは皆、私の証人となる。

主イエスが、そう告げてくださる言葉を、今日、共に、しつかりと、心に刻みたいと思います。