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過去の礼拝説教

「決して見捨てない神」

2017年12月03日 聖書:イザヤ書 49:14~16

皆さん、この本をご存知でしょうか。8年程前に出版された「ウガンダに咲く花」という本です。装丁も可愛らしいく、挿絵も見ているだけで、心が和んでくるような、ほのぼのとした本です。この本は、実話に基づいた、フィクションである、と編集者は言っています。主人公は、川崎に住む千佳さんと、ウガンダに住むナマトブさんという、二人の女の子です。

この二人が文通をするようになりました。どうして、文通をするようになったのか。

それは、ウガンダから来た、サンテグさんという男の人が、千佳さんが出席していた教会を、訪問したことがきっかけです。

サンテグさんは、ウガンダで、親のいない子どもたちのための、施設を運営しています。

施設には、200人の子どもたちが暮らしていますが、生活が苦しくて、みんなで農場を経営しています。

サンテグさんは、農業の技術を学ぶために、栃木県の那須塩原市にある、アジア学院に学びに来ていました。

そして川崎の桜本教会に招かれて、ウガンダのことを、教会学校で話したのです。

長く内戦が続いて、多くの人が殺されたこと、貧困や病気で、大勢の人が苦しんでいること、エイズに罹っている子どもたちが、沢山いること、大人になる前に、死んでいく子どもたちが、大勢いること。サンテグさんは、そういうウガンダの、厳しい状況を話しました。

サンテグさん自身の顔にも、戦争でできた、大きな傷跡がありました。

それからしばらくして、教会学校の先生が、みんなに二つの提案をしました。

一つは、教会学校の献金を、ウガンダに送ること。もう一つは、教会学校の子どもたちが、手紙を書いて送ることでした。教会学校の先生が、日本語を英語に直してくれました。

そんなことがあって、千佳さんは、ナマトブさんと、文通をするようになったのです。

文通を始めたとき、千佳さんは10歳、そしてナマトブさんも、同じ10歳でした。

ナマトブさんから、千佳さんに届いた、2回目の手紙です。

「私の両親は、戦争で死んだために、私はサンテグさんの施設に来ています。

私の周りは、両親を亡くした子どもたちばかりです。親がいないことは、とても寂しいです。

でも、みんなで仲良く暮らしているので、辛いことでも耐えられます。

・・・私は小さいときから、水くみや薪拾いの、仕事をしていました。一日働いたあとで見る、アルバート湖に沈んでいく、夕日の美しさは、今でも心に焼きついています。

金色に輝く夕日が、ゆっくり落ちていきます。夕日と湖の境が、溶け合っていく様子は、こんなに美しいものは、他にはないと思いました。・・・それは、両親と、幸せに暮らしていたころの思い出として、心に焼きついています。」10歳とは思えない、しっかりとした手紙でした。

次の手紙には、名前の由来が書いてありました。

「ナマトブというのは、高原に咲く花の名前です。私はその花が大好きです。自分の名前になった花が、どんな花なのか、千佳さんに分ってもらうために、絵を描きました。

紫色の花で、ここに自分がいるよって、言っているような、きれいな花です。

でも、花にはとげがあって、うっかり折ろうとすると、指を傷つけることになります。きっと、そこにあるままを、見て欲しい、と言っているんだな、と思います。」

5回目に来た手紙には、とても悲しいことが、書かれていました。それは、ナマトブさんが、内戦で家族を失った話でした。こう書いてありました。

「村に軍隊がやって来て、そこら中に、鉄砲の音がはじけました。私たちは怖くて、家の片隅に隠れていました。家の中で何かが爆発しました。気を失った私は、生き残った人たちに、助け出されたのです。その時、家族は、私一人を除いて、全員が死んだことを知りました。

私は、今の施設に来るまで、一言も話せなくなってしまったのです。

泣いて泣いて、生きてきました。両親や、弟たちや、妹の夢を何度も見ました。

ここで、やっと泣かないで、暮らせるようになったのです。」

千佳さんは、手紙を何度も何度も読みました。涙が後から後から流れてきました。

こんな悲しい手紙の返事を、どう書こうかと迷いながら、一生懸命に返事を書きました。

どんな手紙が来るか心配でしたが、次の手紙には、信仰のことが書いてありました。

「私はサンテグさんの施設に来て、神様を信じるようになりました。

・・・どんなつらい時でも、悲しい時でも、いつもそばにいてくれるのがイエス様です。

ここに来て、神様に守られていることを、信じるようになりました。

だから独りぼっちでも、寂しくありません。私たちの未来には、たくさんの希望があります。それを心から信じて、生きていきたいと思います。

私が聖書の中で、いちばん好きなのは、イエス様が天に帰られるときに、私はあなたたちの住まいを用意するために、神の国に帰ると言われたことです。

・・イエスさまの優しさを感じました。」 文通は2年間にわたって続きました。

二人は手紙で、自分の国の美しい風景や、好きな花や、好きな聖句を、分かち合いました。

そして、まだ見ぬ友に、いつか会いたい、という夢を膨らませました。

でもある時、ナマトブさんからの手紙が、来なくなりました。千佳さんは心配でなりません。

暫くして、サンテグさんから、教会学校に手紙が届きました。

「今日は大変辛いことを、お知らせしなくてはなりません。実は先週、ナマトブさんが、病気で亡くなりました。どうか千佳さんに、この悲しい知らせを、伝えてください。神様が、千佳さんを慰めてくださることを祈ります。」

「ナマトブさんは、日本の千佳さんと友だちになって、見違えるほど明るくなりました。

ナマトブさんが、私たちの施設に来て、約3年になりますが、戦争で家族が死んでしまい、一人でポツンとしているところを、救い出されて、ここまでたどり着きました。

ここに来た時には、ほとんどしゃべれませんでした。私たちが話しても、うつろな目で、ぼんやり聞いているだけで、自分から進んで、何かをすることもありませんでした。

・・・そんな時、日本から、カードや手紙が、届くようになりました。

幸いにも、ナマトブさんには、千佳さんという友だちができて、千佳さんに手紙を書くようになりました。それから初めて、自分から話すようになったのです。」

サンテグさんからの手紙には、ナマトブさんが最後に書いた手紙が、同封されていました。

「千佳さん、私は今、とても重い病気で、病院に入院しています。

サンテグさんの施設に戻ることは、難しいと思います。私の友だちの何人かが、この病院で、同じ病気で亡くなっています。治療の薬が高くて、手に入らないとも聞いています。

私は死ぬのが、とても怖いのですが、神様がいつも守っていてくれることを、信じています。

聖書の中に「死んでも生きる」、という言葉があることを、聞きました。死んでも神様が守ってくれるのです。信じないでどうしましょう。

千佳さん、ありがとう。私の友達になってくれて。あなたがいて、私は生きる元気をもらいました。私が死んだら、いつかウガンダに来て、二人で見る筈だった、アルバート湖の美しい夕日を眺めてください。また、私の名前の由来である、花も見てくださいね。

・・・あなたと出会って、私はあなたと出会うために、そして神様を信じるために、生まれてきたことを知りました。本当にありがとう。」

ナマトブさんは、エイズを発症して、天国に帰って行ったのです。彼女の死を知った、千佳さんの悲しみが、どれほど大きいものであったかは、言うまでもありません。

自分と同じ年齢の友だち、会ったことはないけれども、手紙を通して、知り合った友だちが、亡くなったのです。10歳で知り合って2年間、千佳さんもナマトブさんも、12歳です。

千佳さんは、大きな衝撃を受けました。そして、教会学校に行くのを、止めてしまいます。

12歳の少女の心に、たくさんの疑問が湧いてきます。「神様はどうして、ナマトブさんを守ってくれなかったのか。子どもの病気を守れない神様なんて、神様ではありません。

・・・そんな神様を、信じることができません。」

このような、大人でも答えられない問いに、12歳の千佳さんは悩みました。

何ヶ月間か、教会学校を欠席します。心配した教会学校の先生が、手紙を送りました。

「12年の短い、それも、決して幸せとは言えない、人生の最後に、神様を信じるために生まれてきた、と言ったナマトブさんの思いを、分かってあげて欲しいのです。….彼女の信仰を受け継いで欲しいのです。

天国で、ナマトブさんを、慰めてくれている神様が、今、千佳さんをも、守ってくれています。どうか、心と体を、神様に向けて生きてください。」

このような言葉が、千佳さんの心に、どこまで届いたのかは分りません。

でも彼女は、再び、教会に来るようになりました。そして、その後、千佳さんは、障がいを持つ人たちへの、教育を学ぶために、大学に進みました。

ナマトブさんから、千佳さんに届いた手紙には、「どんな問題があっても、私は、希望のすべてを、イエス・キリストにかけています」、と書かれていました。内戦で、家族のすべてを失い、自らもエイズに犯されて、死を間近にした12歳の少女が、どんな時にも、主イエスが共にいてくれることを信じて、なおも希望に生きようとした。

私は、この本を通して、この12歳のウガンダの少女から、大切なことを教えられました。

私たちは、目の前に大きな困難があると、主が共にいてくださることを忘れ、自分の力で何とかしなくてはと、右往左往します。

そして、状況が良くならないと、神様の救いの力さえも、疑い出します。

先ほど読んだ、イザヤ書49章14節には、そのような私たちの姿が描かれています。

イザヤがこの預言を語った時、イスラエルの民は、バビロン捕囚の真っ只中でした。

祖国から、遠い異国に連れて来られ、捕囚の民として、苦難の日々を送っていたのです。

彼らの誇りであった、シオンの丘に聳え立つ、エルサレム神殿は、無残にも崩れ去り、昔の栄華を偲ばせるものは、もう何も残っていない。そのような苦難が、長引くにつれて、人々は希望を失い、主の助けを、信じられなくなっていったのです。

14節は、そのような、イスラエルの民の心を、言い表しています。

「シオンは言う。主はわたしを見捨てられた/わたしの主はわたしを忘れられた、と」。

神は、私たちイスラエルの民を、見捨ててしまわれた。私たちは、神から見捨てられたのだ。これは、イスラエル民族の、絶望の嘆きです。

彼らは、長年の辛い、悲惨な経験のために、預言者を通して語られる、主の慰めの言葉を、喜ぶことさえも、出来なくなって、しまっていたのです。

預言者が語る、エルサレムへの帰還の約束も、信じられなくなって、しまっていたのです。

しかし、そのように嘆く民に、主は、驚くような、愛の言葉、励ましの言葉を、与えています。

15節です。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。」

これは、驚くべき言葉です。母は、自分が産んだ子を、忘れることはない、と言います。

でも、主は、それ以上に、ご自分の愛する民を、決して忘れることはない、というのです。

主が決して、私たちを、見捨てられないのは、母が乳飲み子を、見捨てることがないのと、同じである。いや、それ以上である、というのです。

ですから、「たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない」、と言われているのです。

よく、母親の愛は、何よりも深くて、偉大だと、言われます。でも、主は、そんな母親の愛も、あなたに対する、私の愛とは、比べものにならない、と言われているのです。

「憐れまないであろうか」とありますが、この「憐れむ」という言葉は、もともとは「我を忘れてしまう」、という意味を含んでいます。

母親が、わが子を愛する時、それは時として、「我を忘れてしまう」程の、激しさです。

しかし、神様は、それ以上に、我を忘れて、ご自身の民を憐れみ、愛していてくださる、というのです。

我を忘れるほどに、愛してくださる主は、決して私たちを、見捨てることはないのです。

それどころか、「わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける」、と言われています。

私は、あなたを、手のひらに、刻み付けている。だから、決して、忘れることはないのだよ。

いつも覚えているよ、と言ってくださっているのです。これは、すばらしい約束です。

皆さん、私たち一人一人は、神様の御手に、刻まれているのです。

母親は、よく、こういうことを言います。「自分のお腹を痛めた子を、忘れる筈がない」。

あの陣痛の苦しみを、耐え忍んで、産んだ我が子を、どうして忘れることができようか、というのです。

残念ながら男の私は、それを体験することはできません、でも、そうなのだろうと思います。

陣痛の苦しみは、忘れることは、できないと思います。忘れることは、出来ないでしょう。

しかし、時と共に、その記憶が、次第に薄れていく、ということは、あると思います。

ですから、二人目、三人目を産もう、という気になるのだと思います。

主イエスは、罪の中に死んでいた私たちを、新しく生まれさせるために、十字架にかかってくださいました。十字架の苦しみ。それは、およそ人間が体験する苦しみの、極限の苦しみだと、言われています。

生きたまま、木に釘づけにされて、時間をかけて、衰弱死させるのです。

陣痛の苦しみも、激しいと思いますが、とても比較になりません。それが、私たちを、新しく生まれさすために、主イエスが、耐え忍んでくださった、苦しみなのです。

主イエスの手には、その十字架の釘跡が、刻まれています。

その釘跡を示しながら、主イエスは、言われます。これは、あなたのための、釘跡なのだ。

「私は、あなたを、私の手のひらに、刻み付ける」、というのは、このことなのだよ。この釘跡には、あなたのことが、刻まれているのだよ。

そして、この釘跡は、決して、消えることはないのだ。この釘跡に刻まれた、あなたの名前は、決して消えない。あなたに対する、私の愛は、決して変わらない。

それどころか、この釘跡を見る度に、私は、あなたに対する愛を、新たにする。

主イエスは、そう言われているのです。

子ども讃美歌に、「両手いっぱいの愛」という歌があります。こういう歌詞です。

「ある日、イエス様に、聞いてみたんだ。どれくらい僕を、愛してるの。これくらいかな?これくらいかな?イエス様は、黙って微笑んでる。も一度、イエス様に、聞いてみたんだ。どれくらい、僕を愛してるの。これくらいかな?これくらいかな?イエス様は、優しく微笑んでる。

ある日、イエス様は、答えてくれた。静かに両手を広げて、その手のひらに、釘を打たれて、十字架にかかってくださった。それは、僕の罪のため、ごめんね、ありがとう、イエス様。」

私は、この歌を、歌う度に、涙が溢れて、最後の方は、声にならなくなってしまいます。

イエス様は、両手を広げて、私たちを、迎え入れ、抱きしめてくださいます。

でも、よく見ると、その手のひらには、十字架の釘跡が、はっきりと、刻まれているのです。

そして、その釘跡を、更によく見ると、そこには私の名前が、刻まれている。

私は、この歌から、そのような情景を、思い浮かべます。

イエス様は言われました。「わたしは、世の終わりまで、いつもあなた方と、共にいる。」

「わたしは、あなた方を、みなしごにはしておかない。あなた方のところに戻って来る。」

ウガンダの12歳の少女、ナマトブさんは、主が、決して自分を見捨てず、どこまでも、共にいてくださることを、信じ抜きました。その確信を抱いて、天国に旅立って行きました。

私たちも、この少女の信仰に倣って、人生の挫折や、破れの中でも、「共にいます神様」、「決して見捨てない神様」を、信じ抜いていきたいと願います。