「キリスト者と呼ばれる幸い」
2018年11月25日 聖書:使徒言行録 11:19~30
一昨日の金曜日に、教会バザーが開かれました。今年は、お天気も祝され、地域の方もたくさん来てくださり、豊かな恵みに与かることが出ました。
ご奉仕くださった方々に、心から感謝いたします。
ある方が、こんな感想を述べておられました。「バザーというのは、多くの方々が、夫々に与えられた、素晴らしい賜物を生かして用いられる、良い場となることを、改めて感じました。」
私も、バザーで、教会員の方々が、一つになって、本当に楽しそうに、働かれているのを見て、教会というところは、不思議なところだな、と思わされました。
生まれも、育った環境も、年齢も違う人たちが、それぞれの場から、呼び集められて、まるで家族のように、一緒に協力し合っている。考えてみれば、不思議なことです。
教会に繋がる一人一人は、皆違っています。でも、一つだけ共通点があります。
それは、皆が、「イエスは主である」という信仰を、共有しているということです。
「イエスは主である」、と信じている人のことを、世の人々は、クリスチャンと呼びます。
今朝の御言葉は、なぜ私たちは、クリスチャンと呼ばれているのか。そもそもクリスチャンとは、どういう人なのか。そのことを、教えてくれています。
ペンテコステの日に、エルサレムにおいて、誕生した教会。
その教会に、ステファノという、恵みと力に満ちた人がいました。
このステファノに対して、キリストに反感を抱く、ユダヤ人たちが、論争を挑みました。
しかしステファノが、神様からの知恵と霊によって語るので、彼らは歯が立ちませんでした。
論争に破れたユダヤ人たちは、悔しさから、ステファノを逆恨みしました。
そして、偽りの噂を流して、ステファノを逮捕し、石打の刑にかけて、殺してしまったのです。
この事件をきっかけに、教会に対する、ユダヤ人たちの迫害が、激しさを増していきました。
そのため、多くの信徒たちは、迫害を避けて、各地に散らされていきました。
今朝の御言葉の19節は、そのことを語っています。
「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。」
散らされていった弟子たちは、各地で何をしたのでしょうか。
見つからないように、ひっそりと、隠れていたのでしょうか。そうではなかったのです。
弟子たちは、散されていった各地で、主イエスの福音を、宣べ伝えたのです。
彼らは、エルサレムから追われるという困難を、逆に新たな伝道の機会として、積極的に用いていったのです。迫害が、伝道の進展へと、繋がっていったのです。
そして、その結果、福音が各地に広められていきました。これも不思議なことです。
主イエスが、十字架に死なれたことも、ユダ人たちの迫害も、普通なら、致命的なマイナス要因です。
しかし、聖霊なる神様が働かれる時、これらのマイナス要因が、逆にプラスとなっていったのです。神様のなさることは、本当に不思議だと思います。
マイナスがプラスに変えられる。伝道していく時に、そういうことが、しばしば起きるのです。
その結果、二千年も経った今、遠く離れたこの茅ケ崎の地で、私たちは、福音を知らされ、救いに入れられているのです。考えてみれば、これも、不思議なことです。
「散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」、とあります。
迫害を逃れた人々は、ユダヤから、地中海沿岸を北へと進んで、フェニキアに至り、さらにキプロス島に渡り、そしてシリアのアンティオキアへと、伝道をしていったのです。
アンティオキアは、エルサレムから、直線距離にして、500キロくらい離れた町で、シリア州の首都でした。当時は、ローマ、エジプトのアレクサンドリアに次ぐ、ローマ帝国第三の都市で、様々な民族の人々が暮らす、国際都市でした。
散らされていった人々は、初めの内は、ユダヤ人以外の人たちには、御言葉を語りませんでした。救いは、ユダヤ人に限られる、と思い込んでいたのです。
異邦人が救われる、などというようなことは、考えることも、できなかったのです。
しかし、アンティオキアに来た人々の中には、新しい伝道に、積極的に挑戦しようと、導かれた人が、何人かいました。そのことが、20節に語られています。
「しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」。
ここにある、「ギリシア語を話す人々」というのは、異邦人のことです。
地中海に浮かぶ島、キプロス島や、北アフリカの都市キレネの出身者が、アンティオキアに行って、異邦人にも、主イエスのことを、告げ知らせたのです。
これは、さりげなく書かれていますが、当時としては、画期的な出来事でした。
これまでもフィリポによって、エチオピア人の宦官が、回心するという出来事がありました。
また、ペトロによって、コルネリウスとその一家が、回心するといった出来事もありました。
しかし、これらは、特定の個人を対象にした、単発的な異邦人伝道でした。
しかし、アンティオキアにおける異邦人伝道は、特定の個人を対象としたものではなくて、広く異邦人一般を、対象としたものであったのです。
今まで、創造主なる神様とは、全く無縁に生きていた異邦人たちに、ユダヤ人の方から近づいて行って、伝道したのです。その結果、その地の異邦人が、集団で信仰を持ったのです。
まさに、本格的な異邦人伝道の、夜明けでした。
この時、勇気をもって、伝道したのは、キプロス島やキレネ出身の無名の信徒たちでした。
これらの無名の人たちの働きによって、多くの人たちが、主イエスの福音を信じたのです。
いや、そういう無名の人たちだったからこそ、大胆な伝道が、できたのかもしれません。
これがもし、ある程度の立場にある人だったら、どうだったでしょうか。自分に対する評価が気になって、この様な思い切った伝道は、出来なかったかもしれません。
彼らの名は、聖書には記されていません。でも天においては、確かに記されているのです。
神様は、伝道を推し進めていくために、こうした名もない信徒たちを、世界宣教のパイオニヤとして、用いられたのです。
それは今の時代でも同じです。神様は、今の時代でも、無名の人たちを用いて、御業をなされようとしておられます。
それはもしかすると、私たち一人一人かもしれません。神様は、私たちを、御業のために用いたいと、思われているかもしれません。
皆さんは、「私なんか、とても」、と思われるかもしれません。でも、用いられる人には、共通した特徴があります。
それは21節にあるように、「主がこの人々を、助けられた」、ということです。
この言葉は、以前の口語訳聖書や、新改訳聖書では、「主の御手がともにあったので」、と訳されています。直訳では、「主の手が彼らとともにあった」、となります。
主が御手をもって、助けてくださったので、無名の信徒たちは、アンティオキアの多くの人々を、信仰に導くことが、出来たのです。
彼らは、主の御手に支えられ、聖霊に導かれて、御業のために、用いられていったのです。
私たちは、福音を伝える時、雄弁な者、或いは、有能な者である必要はありません。
私たち自身は、本当に無力な者に過ぎません。それで良いのです。
そのような小さな者でも、神様が、御手を置いてくださり、聖霊を注いでくださるとき、神様は、その人を用いて、驚くべきことをしてくださるのです。
逆にどんなに有能な人でも、自分の力だけに頼るなら、人を救いに導くことはできません。
伝道とは、神様の御業であるからです。ある人が言っています。
「伝道は他人がするものだ、と思っている人は、下の下。伝道は自分がするものだ、と思っている人は、下。伝道とは、主がなされる御業なのである。」
その通りだと思います。主が御手を置いて下さらなければ、私たちは何も出来ないのです。
さて、このようにして、最初の異邦人教会が、誕生しました。
神様は、名もない信徒を用いられて、アンティオキア教会を、建て上げてくださったのです。
アンティオキアに、異邦人教会が生まれた、という知らせは、エルサレムにも届きました。
そこで、エルサレム教会の人々は、バルナバを、アンティオキアに遣わしました。
アンティオキアに着いたバルナバは、異邦人にも福音が宣べ伝えられ、彼らが主イエスを信じて、教会に加えられているのを見て、それを「神の恵み」と捉えて、素直に喜びました。
ここにも、聖霊の導きがあったと、思わざるを得ません。
もしバルナバが、アンティオキア教会の有り様を、素直に喜ぶことができずに、異邦人がいるような群れは、まともな教会ではない、と報告したなら、どうなっていたでしょうか。
アンティオキア教会は、主の教会として、認められないことになってしまいます。
もし、そうなったら、教会はユダヤ人だけの教会となり、いずれ力を失っていったでしょう。
そして、私たちの許に、福音が届けられることもなかったでしょう。
しかしバルナバは、アンティオキア教会の様子を、「神の恵みが与えられた有様」と捉えて、素直に喜んだのです。
異邦人にも、主イエスの福音が伝えられ、彼らがそれを信じて、主に立ち帰ったことを、神様の恵みの御業と捉えて、感謝したのです。ここにも、バルナバの広い心が、窺われます。
このバルナバについて、24節には「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」と語られています。既に学びましたように、バルナバというのは本名ではなくて、教会における呼び名です。それは「慰めの子」、という意味です。
誰が言い出すともなく、自然に「慰めの子」と呼ばれるようになった。そんな人だったのです。バルナバは、人を慰め、励ますという賜物を、豊かに与えられていた人でした。
相手の欠点や弱さを、批判したり、裁いたりするのでなく、相手に与えられている、神様の恵みを共に喜び、そうすることで、人を慰め、励ますことができる人でした。
慰めとは、単に優しくすることではなくて、その人が、自分の足で立つことができるように、傍らに寄り添い、導くことなのです。バルナバは、そのような意味での、慰めの子でした。
彼は教会の人々に、「固い決意をもって主から離れることのないようにと、勧め」ました。
主イエスのもとに、しっかりと留まり続けることを、勧めたのです。
これは、生まれたばかりの教会にとって、まことに適切な勧めであったと思います。
信仰生活にとって、大切なのは、一時的な感情の高まりや、宗教的なムードに酔うことではありません。常に、主に留まっていることなのです。
一時は、燃えるような精神の高揚を経験しても、やがて、それが醒めると、信仰から離れていってしまう。そういう人が多くいます。とても残念なことです。
大切なことは、生涯、主の許に留まり、信仰者であり続けることなのです。
このような、バルナバの励ましと指導によって、アンティオキア教会では、大勢の人が信仰に導かれました。
新しく信仰を持った、多くの人たちを指導していくには、バルナバ一人では、とても足りませんでした。バルナバは、共に働く、同労者を必要としました。
それに相応しい助け手として、バルナバは、劇的な回心を経て、教会の迫害者から、伝道者へと変えられた、サウロのことを想い起しました。
サウロこそ、自分の同労者として、最も相応しい人物である、と示されたのです。
何故でしょうか。恐らくバルナバは、自分の中には、サウロのような、強力なリーダーシップが無いことを、知っていたのだと思います。ですから、サウロが、そうした自分の欠けを、補ってくれる人物であると、示されたのだと思います。
そして、彼を捜すために、彼の故郷であるタルソスまで、自ら出向いて行きました。
バルナバは、エルサレム教会を代表して、アンティオキアに派遣された人物です。
一方のサウロは、かつての教会迫害者として、未だにエルサレム教会から、白い目で見られていた人物です。
ですから、わざわざ自分が、タルソスまで捜しに行かなくても、使いの者を送って、サウロを呼び寄せても、良かったのです。
でもバルナバは、サウロを捜すために、自らタルソスに出向きました。ここにも、バルナバらしい、謙虚さと優しさが、表れています。
サウロは、このバルナバの姿勢に、感動を覚えたに違いありません。
こうして二人は、丸一年の間、アンティオキアで、力を合わせて、一緒に伝道し、多くの人を教えました。慰めの人バルナバと、知識と実行力に富むサウロ。
この二人は、まさに、最強コンビと言えます。アンティオキア教会は、この二人の働きによって、大きく成長しました。
バルナバとサウロという、二人の優れた指導者のもとに、大きく成長したアンティオキア教会は、周囲の人たちから、注目されるようになっていきました。
26節には、「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」とあります。
この「キリスト者」と訳されている言葉は、原語では「クリスティアノス」という言葉で、英語の「クリスチャン」という言葉の、語源となっています。
「クリスチャン」とは、元々は、「キリストに属する者」、もっとはっきり言えば、「キリストの奴隷」、という意味の言葉です。
もっと砕けて言うことを、許して頂けるなら、「キリストおたく」、と言っても良い言葉です。
何故そのように呼ばれたのでしょうか。それは彼らが、機会あるごとに、キリストのことを語ったからです。あまりにも、キリスト、キリストと言うので、「あれはキリストの奴隷だ」、「キリストおたくだ」、とからかわれるようになったのです。
でも、彼らは、そう呼ばれることを、むしろ名誉なことだと、捉えていたと思います。
自分たちのことを、よく表している言葉だ、と捉えていたと思います。
彼らは、きっと、こう言ったと思います。「そうです、私たちは、キリストの奴隷なのです。
キリストによって罪贖われ、キリストによって買い取られた、キリストの奴隷なのです。
私たちの主人は、もはや自分自身ではなく、キリストなのです」。
クリスチャンという言葉は英語ですが、ある人がこんなことを言っています。
クリスチャンという言葉は、キリスト、英語のクライスト(Christ)の後に、ianが付いてできている。つまり、キリストが先ず先に来て、その後に、ianが続く。
このianは、I am nothingの頭文字なのだ、と言うのです。I am nothing 私は何者でもない。
キリストが第一、私は無に等しい。それがクリスチャンという言葉の意味だ、と言うのです。
勿論これは、こじつけですが、なかなか良く出来たこじつけだと思います。
翻って、私たちは、どうでしょうか。「キリストおたく」と、からかわれるくらいに、キリストを第一にしているでしょうか。
仮に、「キリストおたく」と言われた時に、よくぞ言ってくださった、と喜んで、その言葉を受け入れることができるでしょうか。
マルティン・ルターは、「すべてのキリスト者は、小さなキリストである」、と言っています。
果たして、私たちは、自分が、小さなキリストになることを、目指しているでしょうか。
秋田や山形で伝道した、チャールズ・ガルストという宣教師がいました。
彼は、家族から遺言を求められた時、こう言ったそうです。
「My life is my message.」 「私の生き様が、私の遺言です」。
私の生き様を見てください。そのどこにも、キリストが見える筈です。それが、あなた方に対する、私の遺言なのです。
クリスチャンとは、キリストの奴隷とは、このような生き方なのではないでしょうか。
「キリストの奴隷」であるクリスチャンの、究極の目標とは、何でしょうか。
キリストを見たければ、あの人を見ろ、と言われるほどに、キリストと一つにされることではないでしょうか。
私たちは、「自分はクリスチャンです」、と自己紹介していると思います。
しかし、クリスチャンの本当の意味を、よく知った上で、そう自己紹介したいと思います。
その時、私たちは、「私はまことのクリスチャンになりたいと願っている者です」、としか言えない自分に、気づかされるのではないでしょうか。
だからこそ、今朝の御言葉にあった、バルナバの言葉が、胸に迫って来るのです。
「固い決意をもって主から離れることがないように」。
今朝、この言葉を、自分への語り掛けとして、聞いていきたいと思います。