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過去の礼拝説教

「まことの神を知ってください」

2019年03月17日 聖書:使徒言行録 17:16~34

「いわしの頭も信心から」、という諺があります。「いわしの頭」のような、つまらないものでも、ひとたび信仰すると、ひどくありがたく思える、ということを、言っているのだと思います。

「いわしの頭」でも、ありがたく思えるのですから、一流の彫刻師が刻んだ、神の像や仏の像となれば、この上なくありがたいものに、見えるかもしれません。

もともと、神や仏の「像」というものは、それ自体が、神や仏ということではなくて、神や仏を象徴するものとして、造られているものです。

ところが、ひとたびそれらの像を、人々が拝むようになると、それらは単なる象徴ではなく、像自体が超自然的なもの、神秘的なものとされて、礼拝の対象となっていきます。ここに、偶像礼拝の恐ろしさがあります。

偶像とは、人間の願いや欲望を、形にしたものです。ですから、偶像を拝むことは、願望を刺激し、欲望を増幅することに繋がります。

例えば、商売の神を拝む人々は、金銭の欲望を刺激され、ますます金儲けに、熱心になります。

戦いの神を拝む人々は、他国を征服する欲望を刺激され、ますます戦争をしたくなります。

ですから、「いわしの頭も信心から」、という偶像礼拝は、大変危険なのです。

さて、ベレアの町でも、激しい迫害に遭ったパウロは、シラスとテモテと、一旦別れて、アテネに向かいました。アテネでの伝道は、当初パウロの計画には、なかったようです。

ベレヤを追われて、已む無く、辿り着いた所が、アテネだったのです。

けれども、神様のご計画には、アテネ伝道は、ちゃんと組み込まれていたのです。

伝道とは、人間の知恵や計画によらない、神様の業なのです。

人間の知恵や、計画を越えて、神様の業である、伝道は進められていくのです。私たちは、そのことを、後になって知らされるのです。

パウロは、行く先々の町で、着くやいなや、直ちにユダヤ人の会堂に行って、説教を始めていました。しかし、このアテネにおいては、そうはせずに、シラスとテモテの到着を、静かに待っていました。

二人の到着を待って、全員揃ったところで、アテネでの伝道を、開始する予定でした。

ところが、パウロは、二人の到着が待ち切れずに、一人で伝道を始めてしまいます。

伝道せずには、いられなくなったのです。何故、予定を変更したのでしょうか。

パウロを、伝道へと突き動かしたもの。それは、アテネの町の、至る所にあった、おびただしい数の偶像でした。

当時のアテネの町には、三千以上の祭壇があったそうです。そして、「アテネでは人間に会うよりも、神々に会うことの方が多い」、と言われていたほど、偶像が氾濫していたのです。そういう状況を見て、パウロは憤慨しました。

ここでこそ、まことの神様を、宣べ伝えなければならない、という強い使命感に、迫られたのです。いても立っても、いられないような気持ちが、湧き起こってきたのです。

シラスとテモテの到着を、呑気に待っていられるような状況ではない、と思ったのです。

それと同じ様な状況に、今の私たちも、あるのではないでしょうか。

今の日本の社会も、ある意味では、このアテネと似ています。

人々は、まことの神でない、様々なものに捕らえられ、支配されています。

お金や、目先の快楽や、世間の評判や、権力への執着など。そういうものが、人々を捕らえ、支配しています。そういう、様々な偶像が、私たちを取り囲んでいます。

そういう社会にあって、果たして、私たちはどうでしょうか。私たちは、パウロが抱いた「憤慨」を、覚えているでしょうか。

今こそ、ここで、この日本でこそ、まことの神様を、宣べ伝えなければ、という強い使命感に、揺り動かされているでしょうか。

是非、まことの神様を知ってもらいたいという、いても立ってもいられないような気持ちに、迫られているでしょうか。私たちは、パウロの姿から、自分自身を、反省させられます。

偶像に取り囲まれている人たちを見たパウロは、いてもたってもいられなくなって、アテネにおいて、主イエスの十字架と復活を、大胆に宣べ伝え始めました。

安息日には、ユダヤ人の会堂において、他の日には、広場で居合わせた人々と、論じ合ったのです。
広場で論じ合うというのは、ソクラテスの時代からの、アテネの伝統的習慣でした。

そこには、エピクロス派やストア派の哲学者たちも、幾人かいて、その論戦に加わりました。

しかし、これら哲学者たちの主張と、パウロの語る主イエスの福音とは、どうしても噛み合わなかったのです。人間の側からのアプローチである哲学と、神様からの示された、救いの出来事である福音とは、根本的な質の相違があったからです。

人間が作った神と、人間を造った神様との違いは決定的で、両者が、交わることはなかったのです。パウロに対して、アテネの人々の示した反応は、二通りでした。

一つは、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」、という反応です。

「おしゃべり」というのは、アテネの俗語で、「種をついばむ者」という意味の言葉です。

そこから派生して、市場のくず拾い、或いは、浮浪者などを指すようになりました。いずれも、軽蔑の意味を込めた言い回しです。

もう一つの反応は、「彼は外国の神々を伝えているらしい」、というものでした。

パウロの語る、主イエスの十字架と復活とは、彼らの耳に、新しい響きをもって、受け止められたようです。

こちらの方の反応は、パウロの言うことを、少しは理解していたようにも聞こえます。

しかし、「神々」という言い方からも分かるように、多神教の神々が、当たり前であるアテネの人々には、唯一の創造主である神様を理解することは、殆ど不可能に近いことでした。

この時の、パウロの姿は、明治維新前後に、はるばる日本にまで伝道に来た、宣教師たちの姿に、重なります。

八百万(やおよろず)の神々の国、日本に来た宣教師たちは、「外国の神々を伝える人たち」と、冷ややかに、受け止められたのです。

大きな木や岩があれば、直ぐに神として祀ってしまう国に来て、天地を創られた唯一の神がおられると説いても、それは外国の神の話だと、捉えられてしまう。

そんな日本で、伝道しても無駄だ。もっと、環境の良い国に移って、伝道の成果を上げよう。

普通であれば、そう考えます。でも、宣教師たちは、そうは思わなかったのです。尚も、日本に留まって、忍耐強く、福音を宣べ伝えたのです。

彼らは、パウロを、見習ったのです。アテネの人たちは、パウロを、「くず拾い」と言って軽蔑しました。パウロの語ることを、ただ興味本位で、冷ややかに聞いていただけでした。

誰も、救いを、真剣に求めてはいませんでした。そんな状況で伝道しても、大きな成果は、期待出来ません。しかし、そのような、無理解と、興味本位の中にあっても、パウロは、諦めることなく、福音を宣べ伝えたのです。

たとえ人々が受け入れなくても、主は、ここで、福音を語れと、私に言われている。その確信に立って、キリストを証ししていったのです。

結果は、すべて神様に委ねて、語るべきことを語り、為すべきことを、為していったのです。ここに、伝道する者の、基本的な姿勢が示されています。

伝道が困難な土地を前にして、私たちは、決断を迫られます。一つの判断は、「ここは、伝道が難しい地だから、もっと環境の整った地に行って、伝道すべきだ」、というもの。

もう一つは、「困難な地だからこそ、私が遣わされたのだ。主は、私に、この地を、私の宣教地として、与えられたのだ」、と捉えていくもの。

その様な場面に遭遇した時、私たちは、果たして、どちらの判断を、しようとするでしょうか。

何十年か前に、アフリカの未開拓地に、靴を売るために、二人の人が派遣されました。

一人の人は、こう報告しました。「ここは駄目です。この土地の人は、誰も靴を履いていません。この土地の人には、靴を履く習慣がないのです。ここでセールしても無駄です。」

もう一人はこう報告しました。「この土地の人、まだ誰も靴を買っていません。ですから、可能性は無限にあります。素晴らしいマーケットです。」

キリスト教伝道において、大切なのは、信仰に基づく、楽観主義です。神様が、働かれるなら、きっと上手くいくという、神様にあっての、楽観主義です。

もし、上手くいかなくても、神様は、きっと、何かを計画しておられる。そのことを信じていく、楽観主義です。この神様に信頼した楽観主義によって、伝導は進められてきたのです。

アテネの人々は、パウロを、アレオパゴスの評議所に連れて行きました。

アレオパゴスの真ん中に立ったパウロは、口を開き、語り出しました。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。」

「信仰あつい」と訳されている言葉は、「迷信深い」とも訳せる言葉です。パウロは、一種の皮肉を込めて、「信仰あつい」、と言ったのだと思います。

そして、パウロは、「信仰あつい」ことのしるしとして、「知られざる神に」、と刻まれている祭壇がある,という例を挙げています。

アテネの人々は、色々な神様をお祭りしている。けれども、ひょっとしたら、まだ私たちの知らない神様も、おられるかもしれない。そういう神様にも、粗相があってはいけない。

そういう心配から、「知られざる神々」を、祀っていたのです。まことに、ご丁寧なことです。

しかし、このことから分かるのは、多くの神々を祀る、アテネの人々の心の奥底にあるのは、「恐れ」である、ということです。

多くの神々を祀りながら、彼らの心には、安心がないのです。まだ自分たちの知らない神がいて、その神の怒りを、かうかもしれない、と恐れているのです。

彼らは、多くの神々を祀りながら、少しも喜んでいません。平安を得ていないのです。まだ足りないかも知れないと、恐れているのです。これが、偶像の神々に頼る者の現実です。

しかし、パウロはそこで、こう語るのです。「それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」

まことの神を、お知らせしましょう、とパウロは、語り出します。

実にパウロは、まことの神様を知らせるために、命懸けの宣教旅行を、続けてきたのです。「まことの神様を、お知らせしましょう」。このことのために、命をかけてきたのです。

なぜでしょうか。それは、神様ご自身が、それを望んでおられるからです。

神様は、ご自身が知られることを、望んでおられるのです。神様は、ご自身が、どのような者であるかを、知らせるために、独り子さえも、この世に送られたのです。

そんなことをすれば、人間によって、最愛の独り子は、十字架にかけられてしまいます。

でも神様は、そのことを、ご承知の上で、敢えて、ご自身の愛を示すために、ご自分の愛を知ってもらいたいために、御子を遣わされたのです。

パウロは、ご自身を知って貰いたいという、神様のご意思を、壮大なスケールで語ります。

天地万物を造られた神様が、一人の人から、全ての民族を造り出して、その民族の住むべき土地や境界線を定め、季節をも決められた。

何のために、神様は、そのような社会や、自然の秩序を、定められたのか。

パウロは言います。それは、「人に神を求めさせるため」なのだ。整然と定められた秩序を、見ることによって、人間が、創造主なる神様の存在に、気づくためなのだ。

これらの社会や、自然の秩序を、謙虚に受け止めるなら、人間は、その背後に働かれる、神様の力を感じる筈だ。そして、神様の存在を、知るようになる筈だ、というのです。

そのように、神様の働きは、私たちのごく身近な所にある。神様は、遠く離れたお方ではないのだ。パウロは、ご自身を、示されたいという、神様の切なる願いを、熱心に伝えます。

そのように、神様は、人間に、知られることを、望んでおられるお方なのです。人間に、見い出されることを、望んでおられるお方なのです。

神様は、命と息と、その他すべてのものを、私たちに、与えてくださっています。

私たちが生きていられるのは、すべて、神様から与えられるものによって、なのです。

私たち人間は、頂くものさえ頂ければ、それで十分だ、と言うかもしれません。だから、「知られざる神」でも良い、と言うかもしれません。しかし、神にとっては、良くないのです。

それはなぜでしょうか。神様は、愛によって、世界を創造され、人間を創造されました。

それは、共に生きるためなのです。私たち人間と、共に生きるために、創造されたのです。

ですから、神様は与えるだけでなく、私たちと共に生きることを、望んでおられるのです。いつでも、どこでも、共に生きることを望んでおられるのです。

ですから、神様は、私を知って欲しい、私を見出して欲しい、と言われるのです。

パウロが、アテネで目にしたのは、「知られざる神に」、と刻まれた祭壇でした。

皆さん、今、私たちは、どのような祭壇に、向かっているでしょうか。私たちが向かうべき祭壇は、主イエスが、十字架の上で、ご自身をささげられた、祭壇である筈です。

神様が、御自身の愛を、完全に表された、あの祭壇である筈です。

でも、そこにひざまずいている筈の、私たちが、いつの間にか、「知られざる神に」、という祭壇にひざまずいて、礼拝しているということはないでしょうか。

自分の願いを、一生懸命に祈る時には、十字架の愛の主に、ひざまずいている。

でも願いがかなってしまうと、「知られざる神に」ひざまずいている。そういうことはないでしょうか。何かを願い求める時には、主の愛に縋るけれども、願いがかなえられると、主の愛を忘れてしまうということがないでしょうか。

「知られざる神に」、ということで良しとしている、ということは、ないでしょうか。

もしそうであれば、知られたいと願われている神様は、悲しまれます。

今、私たちは、受難節・レントの時を過ごしています。主イエスの十字架の御苦しみを、想い起しつつ、その恵みに感謝する日々を、送っています。

十字架の上から、主は、この私を知って欲しい、この私を見て欲しい、と言っておられます。

あなたは、私のことは、良く知っている、と思っている。しかし、あなたが知っていることは、ほんの一部に過ぎない。

あなたは、私の愛を、知っている、と思っている。でも、私の愛はそんなものではない。最愛の独り子の命さえ、与えるほどなのだ。

どうか、私をもっと知って欲しい。私の愛の広さ、深さ、大きさを、もっと知って欲しい。神様は、そう言われているのです。

この受難節の時、十字架の主を、もっと深く、もっと身近に、知りたいと願います。

それを求める、更なる熱心が、私たちに、与えられますようにと、日々願いつつ、過ごしてまいりたいと願います。

32節に、パウロが、主イエスの復活のことを語ると、ある者はあざ笑い、ある者は「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言って去っていった、と書かれています。このことから、パウロの、アテネ伝道は失敗だった、と考える人もいます。

しかし、果たして、そうでしょうか。福音が語られても、このように無視されたり、反対されたりするということは、どこにでもあります。

私たちも、主イエスの十字架の恵みと、復活の希望を、宣べ伝えようとすると、必ずこのようなことを、体験します。

無視されたり、馬鹿にされたり、「いずれまた」と、あしらわれたりします。でもそれは、失敗なのでしょうか。

むしろここで、しっかり見つめるべきことは、34節に、「しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた」、とあることです。

多くの人々から相手にされず、適当にあしらわれてしまった、パウロでした。しかし、彼が語った御言葉によって、信じる人もいたのです。

神様の御言葉が語られる時には、必ずこのようなことが起こります。たとえ数は少なくても、それを受け入れ、信じて、悔い改める人が生まれるのです。それは、小さな奇跡です。

その奇跡が、今この礼拝に集っている、私たち一人一人に、新たに起ろうとしています。

神様は、私たちに、ご自身を、もっと確かに知って欲しいと、今、願っておられます。私たちはその願いに、どう答えるのでしょうか。「いずれまた」と言って、逃げてしまうのでしょうか。

しかし、「いずれは」と思っている間は、「いずれ」は、いつまでたっても「いずれ」なのです。

それは、いつまでたっても、「今」にはなりません。そして「いずれ」と言っている限り、神様は、私たちにとって、「知られざる神」であり続けるのです。

私たちは、「今」という時を捕えて、「知られざる神」ではなく、「まことの神」を、確かに知りたいと思います。最愛の独り子の、十字架の死と復活によって、示してくださった、まことの神様の愛を、信じたいと思います。

今朝も、神様は言っておられます。「私を知って欲しい。知られざる神でなく、私に出会って、私をしっかりと、捉えて欲しい」。この神様の願いに、全身全霊をもって、応えていきたいと思います。