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過去の礼拝説教

「誤解が誤解を生む悲しみ」

2019年06月23日 聖書:使徒言行録 21:17~36

宗教改革者マルティン・ルターは、『キリスト者の自由』という著書の中で、次のような、ことを語っています。

キリスト者は、ただ神にのみ従い、神以外の誰にも服従しない。そのような自由を持つ。

しかし、また同時に、すべての人に、僕として、自ら仕える自由をも持っている。

キリスト者の自由とは、神様の愛に守られ、神様の愛に励まされて、何事もなし得る自由であり、また愛によって、隣人に仕えることができる自由である。その通りだと思います。

自由が、神様と隣人とを愛する、愛と結び付いていなければ、その自由は、単なる我儘と、なってしまいます。それは、自分も、そして他者をも、生かしません。

ルターは、キリスト者の自由についての、これらの言葉を、コリントの信徒への手紙一の9章19節~23節の御言葉に、導かれながら、語っています。

そのコリントの信徒への手紙一の9章19節~23節の御言葉を、読ませていただきます。新約聖書の361ページ、または311ページです。使徒パウロの言葉です。

「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。

ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。

律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。

また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。

弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。

すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。

福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」

ここで、パウロは、繰り返して、「わたしは○○のようになりました」、と言っています。

「わたしは奴隷となった」。「ユダヤ人のようになった」。「律法に支配されている人のようになった」。「律法を持たない人のようになった」。「弱い人のようになった」。「すべての人に対してすべてのものになった」。

パウロが、ここで語っているのは、愛の故に、奴隷となり、ユダヤ人となり、異邦人となりとなり、信仰の弱い人となり、すべての人となる自由です。

それは、「何とかして、何人かでも救うため」の自由です。「福音のためなら、どんなことでもする」自由です。

そのようにして、愛するユダヤ人を救いたい。異邦人を救いたい。信仰の弱い人、つまずいている人を救いたい。すべての人を救いたい。

そのためには、進んで奴隷になる。そのような、激しい愛と、結びついた自由です。

今朝の御言葉には、パウロが、このコリントの信徒への手紙一の9章19節~23節で語ったことを、自ら実践した出来事が、書かれています。

パウロは、第三回伝道旅行を終えて、エルサレムに到着をしました。

エルサレムに行けば、困難に遭うことが、分かっていました。

では、パウロは、何のために、危険なエルサレムに、わざわざ行ったのでしょうか。

一つには、エルサレム教会の、経済的な窮乏を救うために、ギリシアやガラテヤの諸教会がささげた、尊い献金を届けるためでした。

しかし、ただ、献金を届けるだけであったなら、他の人に任せても、良かったはずです。

危険を冒してまで、エルサレムに行く必要は、なかったと思います。

パウロの、エルサレム訪問の、本当の目的。それは、ユダヤ人キリスト者と、異邦人キリスト者との間にある、深い溝を埋めて、教会を一つとする、ということでした。

パウロは、主イエスと出会うことによって、それまで自分を縛り付けていた、ユダヤ教の戒律や言い伝えから、全く自由になることができました。

また自分が大切にしてきた、つまらないプライドや、エリート意識からも、解放されました。

その自由に生かされたパウロは、ユダヤ人も、異邦人も、ただイエス・キリストを信じる、信仰によって救われる、と宣べ伝えました。

しかし、ユダヤ人クリスチャンたちは、この救いの恵みを、そのまますんなりと、受け入れることが、できませんでした。

ユダヤ人の常識では、異邦人は、まず割礼を受けて、ユダヤ教に改宗し、律法の掟を守らなければ、救いにあずかることができない、とされていました。

ユダヤ人クリスチャンたちは、主イエスを、救い主として信じた後も、この考えから、抜け切れないでいたのです。

そのため、ユダヤ人クリスチャンと、パウロたちの間に、溝が出来てしまいました。

パウロは、それを、放っておくことができませんでした。パウロは、異邦人の諸教会に呼び掛けて、エルサレム教会のために、献金を募りました。

この献金には、エルサレム教会と、異邦人教会の間に、良い交わりを築こう、という願いが込められていました。パウロは、この献金を集めるために、大変苦労しました。

熱心に献金を集めるパウロを見て、「パウロは、献金の名目で、私腹を肥やそうとしているのだろう」、と誤解されたこともありました。そんな誤解を受けて、パウロは、どんなに悲しかったでしょうか。

でも、神様は、すべてを知っていてくださる。それが、パウロの慰めであり、拠り所でした。

そのような誤解や悪口を受けながらも、彼は、教会の一致のために、熱心に献金を集め、それを携えて、エルサレムに上ったのです。

そして、パウロは、主イエスの弟である、ヤコブを始めとする、エルサレム教会の長老たちを、訪問しました。

パウロは、そこで、自分の奉仕を通して、神様が、異邦人の間で行われたことを、詳しく報告しました。すると、これを聞いた人々が、皆、神様を賛美した、と書かれています。

パウロは、決して、自分の働きの、自慢話をしたのではありません。神様が、自分の貧しい奉仕を通して、成し遂げてくださった御業を、感謝を込めて、報告したのです。

ですから、それを聞いた人々も、パウロを褒めずに、神様を賛美したのです。

これは、教会で奉仕する際の、最も大切なことを、教えてくれています。教会の奉仕で、素晴らしいことが起きると、その奉仕した人を、讃えてしまうことがあります。

また、奉仕をした人も、そういう褒め言葉を、喜んで受け入れてしまうことがあります。

しかし、そのような時こそ、「いえ、素晴らしいのは、私ではありません。私の貧しい奉仕を通して、御業をなされた神様です。神様に感謝します」、と主を誉め称えたいと思います。

以前、あるゴスペルグループのコンサートに行きました。演奏が、あまりに素晴らしかったので、そのアーティストに会いに行って、感動の思いを、直接伝えました。

すると彼は、即座に、天を指差して、「神様に感謝します。主を讃えます」、と言いました。

この言葉を聞いて、演奏で得た感動が、更に増したことを、覚えています。

さて、長老たちとは、このように、温かい交わりが、持たれました。しかし、依然として、パウロと、多くのユダヤ人クリスチャンたちとの間には、大きな溝がありました。

そして、その溝から生じる、パウロに対する、いわれのない批判が、寄せられていました。

21節にこうあります。「この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。」

ここでも、パウロは、誤解されています。「子供に割礼を施すな。慣習に従うな」、とパウロが言っている。そう思われていたのです。

しかし、これは、全くの誤解です。パウロは、そんなことを言うどころか、場合によっては、割礼を重んじることさえもありました。

16章3節には、ユダヤ人伝道を考えて、パウロがテモテに、割礼を受けさせたことが、書かれていました。

パウロは、割礼が救いの条件である、という考えには、断固として反対しました。

しかし、ユダヤ人にとって、割礼の儀式を捨て去ることは、容易ではないことも、良く分かっていました。

ですから、ユダヤ人への伝道の、つまずきとならないために、敢えて、テモテに割礼を受けさせたのです。ユダヤ人を救いに導くために、今は、そうしようと思ったのです。

これは、妥協ではなく、伝道のための、愛による決断です。

ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになり、異邦人に対しては、異邦人のようになり、すべての人に対して、すべてのものとなったのです。一人でも多くの人を救うためです。

パウロは、福音の本質については、決して譲ることはありませんでした。その点においては、妥協しませんでした。

けれども、人を救うという、目的のためなら、譲れるところは、潔く譲ったのです。隣人への愛に基づく自由に生きたのです。

この事を黙想していた時、想い起した出来事があります。

私が、香港の日本人教会にお世話になっていた時のことです。

当時、香港には、日本人教会は一つしかありませんでした。ですから、様々な教派の信者が集まって、一緒に礼拝を守っていました。

ある年のクリスマスに、バプテスト教会に属するご夫妻の、中学生の息子さんが、洗礼を受けることになりました。

それまで、香港日本人教会での洗礼は、頭に水を垂らすだけの、「滴礼」でした。

しかし、洗礼を受ける本人も、ご両親も、全身を水に浸す、「浸礼」を、強く希望されました。

バプテスト教会では、「浸礼」しか、認められないからです。

その時、牧師をされていたS先生は、「浸礼」を授けた経験はありませんでした。

また、会堂には、いわゆる「洗礼槽」もありません。

ですから、洗礼槽のある教会の、会堂を借りなければなりません。教会員も、そこに移動しなければなりません。様々な、手配が必要になます。

また、S先生自身は、「滴礼」も「浸礼」も、救いに入れられるしるしとしては、全く同じであって、そこには差はない、という信仰に立っていました。

ですから、「浸礼」ではなく、「滴礼」にするように、と説得する選択肢もありました。

しかし、先生は、快く申し出を受け入れられ、方々手を尽くして、洗礼槽のある会堂を借り、ご自身も「浸礼」の司式の仕方を学ばれ、恵みに満ちた洗礼式を行われました。

これも、愛に基づく、キリスト者の自由の表れです。

今、この礼拝では、主の祈りを、大変ゆっくりと、祈っています。皆が、幼稚園児の永原雪ちゃんの祈りに合わせて、祈っています。

これも、愛に基づく、キリスト者の自由の、一つの姿ではないかと思います。

ユダヤ人のためには、ユダヤ人のようになり、異邦人のためには、異邦人のようになる。

パウロは、一人でも多くの人を、救うために、愛に基づく自由な心で、伝道を行いました。

しかし、パウロの、そのような伝道の仕方が、あらぬ誤解を招いたのです。

パウロは、どんなに悲しかったでしょうか。自分は、ただ福音を伝えたいだけなのだ。

一人でも多くの人を、救いたいだけなのだ。だから、そのためには、何でもする。

そうしてきたことが、誤解されてしまう。思いが通じないのです。悲しかったと思います。

そこで、ヤコブが、一つの提案をします。それは、パウロ自身は、律法に反対している訳ではない、ということを行動で示す、というものでした。

具体的には、こういうことです。4人のユダヤ人クリスチャンが、民数記6章に書かれている、ナジル人の誓願を立てていました。

具体的に何の誓いかは記されていませんが、何らかの願いを込めて、ぶどう酒を飲まず、汚れから遠ざかり、髪の毛を切らない、という生活を、30日間続けていたのです。

その満願の日に、彼らは髪の毛を切り、それを主に献げました。

その時、いけにえとして3匹の羊と、食物と飲み物も、添えて献げることになっていました。

その献げ物の費用は、今の価値にすると、一人当たり50万円程だと、言われています。

4人分ですから、合計2百万円です。決して小さなお金ではありません。

ヤコブたちの提案は、パウロがその費用を負担して、貧しい信徒を、助けて欲しいというものでした。

また、パウロ自身も、長く異邦人と交わってきたので、神殿に上るためには、一週間ほどの清めの儀式を、受けた方が良い、と勧められました。

パウロは、この提案を、受け入れました。律法の下にある者に対して、自分も律法の下にある者になる、というパウロの伝道の姿勢が、ここでも示されたのです。

本質以外のことでは、潔く譲ったのです。

パウロは、神殿に行き、そこで、きよめのために、1週間を費やしました。その儀式が終わろうとした頃、アジアから来たユダヤ人が、パウロを見つけて叫び声を上げます。

「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」

エルサレムの神殿には、いくつかの区画があって、ここまでは異邦人が入れる。けれども、ここから先は、ユダヤ人しか入れない、というように、定められていました。

その隔ての壁には、入ってはならない者が入った場合、死をもって償わなければならない、と書かれていました。

パウロたち一行の中に、エフェソ出身のトロフィモという異邦人がいました。

恐らく、パウロが、彼と一緒に、エルサレムの街を歩いているところを、同じエフェソから来たユダヤ人に、見られていたのだと思います。

ですから、神殿でパウロを見たとき、今回もパウロが、トロフィモを伴っていて、異邦人が入ってはいけない、神殿の内部にまで、連れ込んだのだと、誤解したのです。

パウロは、またしても、誤解されてしまいます。いえ、この時は、誤解というよりも、言いがかりをつけられた、と言った方が、正しいかもしれません。

聖なる神殿を汚したと聞いて、群衆は、激昂しました。興奮した群衆は、見境なくパウロを打ち始めました。

この神殿におけるパウロの受難は、主イエスの受難のお姿と、重なります。

36節にある、「その男を殺してしまえ」という、群衆の叫びは、ルカによる福音書23章18節の、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ、群衆の言葉と同じです。

パウロも、主イエスと同じような言葉を、浴びせられたのです。主イエスも、パウロも、人々を救いたいという、愛の業を為したが故に、この言葉を受けることになったのです。

この暴動を見た、ローマの千人隊長が、鎮圧に駆けつけました。そして、パウロを、救出しました。この救出が、少しでも遅れれば、パウロは、殴り殺されていたと思います。

まさに絶妙のタイミングで、パウロは助け出されました。これは奇跡でした。

千人隊長は、ただ、自分の任務に、忠実であっただけでした。しかし、主は、このような人を用いて、パウロを救い出されたのです。

何故、このような、奇跡的な救出が、行なわれたのでしょうか。それは、パウロが、祈られていたからだと思います。パウロは、ローマの信徒への手紙15:30で、こう言っています。

「私のために、私と一緒に神に熱心に祈ってください。私がユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対する私の奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように。」

パウロは、エルサレムで出会う困難を、予期していました。ですから、エルサレムのユダヤ人たちから、守られるように祈ってください、とお願いしているのです。

このパウロの要請を受けて、ローマの教会の人たちは、パウロのために、熱心に祈り続けたと思います。そして、その祈りが、この奇蹟となって、応えられたのだと思います。

パウロだけでありません。教会においても、私たちは、様々な奇跡を体験します。

大きな奇跡もあれば、本人しか気づかないような、ささやかな奇跡もあります。

会堂建築を進めているこの時も、奇跡のような出来事に、何回も出会っています。

その度に、私たちは、畏れにも似た、感謝に満たされます。

しかし、これらの奇跡は、決して、偶然に起きたのではありません。その背後には、必ず祈りがあります。神様が、その祈りに応えて、起こしてくださった出来事。それが、私たちにとっては、奇跡となるのです。奇跡は、決して、2千年前だけの出来事ではありません。

私たちが、心を合わせて祈るならば、今、この時にも、起きるのです。

私たちは、そのことを信じて、祈りを合わせていきたいと思います。