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過去の礼拝説教

「どうか立ち帰って」

2019年10月13日 聖書:使徒言行録 28:17~28

「松島や、ああ松島や、松島や」、という有名な句があります。松尾芭蕉が、あまりに美しい風景に圧倒されて、言葉を見い出せず、ただ「松島や、松島や」と詠んだ。

そういうエピソードが、長く伝えられてきましたが、実際の作者は、どうも不明のようです。

一説には、江戸後期の狂歌師の、田原坊という人の句が、原型とも言われています。

いずれにしても、あまりに感動が大きい時に、私たちは言葉を失います。長く表現するよりも、むしろ短く、淡々とした言葉になってしまいます。

先週ご一緒に読みました28章14節には、「こうして、わたしたちはローマに着いた」、と書かれていました。

パウロとルカたちの、ローマへの旅。それは本当に長く、そして苦しい旅でした。その旅路の果てに、ようやく念願のローマに着いたのです。どれほど感動したことでしょうか。

しかし、使徒言行録の著者ルカは、不思議なほど淡々とした表現で、「こうして、わたしたちはローマに着いた」、とだけ記しています。

この短い言葉に、むしろ、パウロとルカの、万感の思いが込められていると思います。

遂にパウロは、エルサレムからローマに、到着したのです。

神様は、確かに約束を果たしてくださいました。パウロは、感無量であったと思います。

そしてルカは、そのパウロの感動を、十分に言い表す言葉を、見い出せなかったのです。

ですから、ただ一言、「こうして、わたしたちはローマに着いた」、と淡々と事実を伝えるに、留めました。この言葉に、すべての思いが込められています。

ローマにおいてパウロは、番兵付きでしたが、自分だけの家に住むことが許されました。

これは、罪人に対する処置としては、破格のことでした。

恐らく総督フェストゥスの書状が、パウロに有利なように、書かれていたのだと思います。

また、もしかしたら、パウロたちを護送した、百人隊長ユリウスが、嵐の航海の中で、パウロがどんなに大きな貢献をしたかを、報告したのかもしれません。

神様が、見えないところで働かれて、パウロの働きを、助けてくださったのです。

カイサリアの牢に、2年間も幽閉されていた時も、嵐の海で生死の境を漂っていた時も、神様はパウロを見ていてくださり、神様の御手は、パウロを握りしめていてくださったのです。

ですから、私たちは、苦難の中にいる時も、やけになったり、世を恨んだりしてはいけないのです。苦難は、神様がいないから、起きるのではありません。

昨晩の激しい嵐のような、困難の只中でも、神様は確かにいてくださり、私たちを、愛と慈しみの眼差しで、見詰め続けてくださっているのです。

私たちが、苦しみ、悩むとき、共に苦しみ、共に悩んで、くださっているのです。そして、私たちの目の涙を、そっと拭っていてくださるのです。私たちはそのことを信じていくのです。

神様のご計画によって、パウロは、重罪人のようにではなく、ある程度の自由を許されて、自分の家に住むという、好意的な取り扱いを受けました。

神様は、本当に不思議なことをされます。それまでパウロは、何度もローマに行こうと、試みました。しかし、その都度妨げられて、夢が果たせませんでした。

しかし、パウロが計画したのとは、全く違う方法で、パウロは、今、念願のローマにいます。

そして、思いがけない仕方で、福音を宣べ伝えることを、許されたのです。

パウロは、神様のご計画の大きさに、改めて、心が震える思いがしたと思います。

パウロは、ローマでの恵みを、こう語っています。

「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。」

これは、フィリピの信徒への手紙1章12節以下の御言葉です。パウロは、このフィリピの信徒への手紙を、ローマで書いたと言われています。

ここでパウロは、自分がローマで監禁されていることを、感謝しています。監禁されているのに、一体何を感謝している、というのでしょうか。

それは、監禁されていても、尚も、伝道しているパウロの姿を見て、ローマの教会員たちが、大いに励まされて、ますます勇敢に伝道するようになったからだ、というのです。

パウロの監禁が、かえって福音の前進に役立った。そのことを、感謝しているのです。

そして、この手紙の終わりの挨拶では、「すべての聖なる者たちから、特に皇帝の家の人たちからよろしくとのことです」、と書かれています。

なんと、パウロを監視している、兵士たちの中に、信仰を持つ人が出て来たのです。

パウロは、どのような環境にあっても、そして誰に対しても、福音を語ったのです。

日本を代表する大衆伝道者であった本田弘慈先生は、日本各地の教会から呼ばれて、伝道集会を持ちました。

近くに温泉があるところでは、伝道集会終了後に、教会の計らいで、温泉宿に泊めてもらうこともあったそうです。

ある時、温泉に浸かっていたら、隣にざぶんと入ってきた人が、「あー、気持ち良い。まるで天国だ」、と言ったそうです。

それを聞いた本田先生は、お湯の中をすーと近寄って、「ねえ、ねえ、あなたは、本当の天国を知っていますか」、と語り掛けて、なんとお風呂の中で、伝道し始めたそうです。

本田先生も、パウロの生き方に、倣おうとしていたのだと思います。

パウロは、いつでも、どこでも、機会さえあれば、伝道しました。

ですから、自分を監視する兵士たちにも、伝道したのです。そして、その中から、主イエスを信じる者が起こされたのです。まさに伝道者パウロの真骨頂が、ここに示されています。

福音に生かされ、そして福音に生きようとする者には、全てが前進する機会となるのです。

パウロは、そのことを、ローマの信徒への手紙8章28節で、言い表しています。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」

神様が働かれて、万事が益となるように、導いてくださる。この御言葉は、決して、パウロが、頭で考えて、作り出した言葉ではありません。

長い伝道の歩みの中で、数々の苦難を体験した末に、パウロが辿り着いた実感です。

パウロは、捕らわれの身にあっても、このことを信じて、感謝の日々を送っていました。

さて、パウロが、ローマの地で、最初に伝道した相手は、誰だったでしょうか。

それは、パウロの、肉による同胞である、ユダヤ人たちでした。

パウロは、これまでも各地において、まずユダヤ人に語ることから始めてきました。

町に入ったら、まずユダヤ人の会堂に行き、そこで伝道を始めるのが、いつものやり方でした。でも、今は、監禁状態ですから、自分から出かけていくことはできません。

ですから、ここでは、ユダヤ人たちを、自分の宿舎に招いたのです。

そして、パウロは、いつものように、旧約聖書に基づいて、福音を語りました。旧約聖書で約束された救い主は、主イエスであることを、旧約聖書を用いて説明したのです。

イスラエルの人たちは、救い主が来られることを、ひたすらに待ち望んでいました。

パウロは、その救い主とは、主イエスであると、熱心に説いたのです。

そしてこのことを語ったが故に、自分は、今こうして捕らわれているのだ、と説明しました。

このパウロの話を聞いて、あるユダヤ人は受け入れましたが、他のユダヤ人は受け入れませんでした。福音を聞いた人たちの間に、分裂が起きたのです。

このような分裂は、福音が語られるところでは、どこででも起こりました。

福音は、これを聞く人に、信じるか、信じないかの、厳しい決断を迫ります。

神の言葉に迫られた時、人は曖昧な態度を、取ることが出来ません。信じるか、拒否するか。いずれを選ぶか、迫られるのです。

パウロは、コリントの教会に宛てた手紙の中で、こう言っています。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」

十字架の救いの御言葉を、愚かな言葉と見るか、それとも、神の力と見るか。それによって、私たちの人生が決定します。

実はパウロも、初めは、キリストに反対し、先頭に立って、教会を迫害していました。

しかし、パウロは、あのダマスコ途上で、復活の主イエスと出会いました。

そして、自分がしていることは、神様が遣わされた、救い主を迫害し、神様の救いのご計画に逆らっている、ということを知らされたのです。

自分は正しいと思っていた、パウロでした。自分は神様の許にいる、と思っていた、パウロでした。しかし、自分は、逆に、神様から、遠く離れていたのだと、知らされたのです。

自分は神様に喜ばれているどころか、神様を苦しめ、悲しませていたのだと知ったのです。

自分には、救われるにふさわしい価値など、少しもないのに、ただ一方的な、十字架の恵みによって、救いに入れられた。そのことに気づかされ、神様に立ち帰ったのです。

そして、それまでとは正反対に、キリストを証しすることに、命を懸けるようになったのです。

だからこそパウロは、ユダヤ人の同胞たちにも、分かって欲しいのです。

イスラエルの民が、長い間待ち続けてきた救い主が、遂に来てくださった。そのことを、知って欲しいのです。

パウロは、ユダヤ人たちに、朝から晩まで、神の国について、そして、主イエスによる救いについて、熱心に語りました。イスラエルの民に与えられた希望は、この主イエスにおいて、実現している、ということを、懸命に説き明かしたのです。

パウロは、今までの経験から、ユダヤ人が、十字架につけられた主イエスを、救い主として信じることが難しい、ということを良く知っていました。

今まで、何度も拒絶され、そのために、迫害さえも受けて来たのです。

しかし、ローマでも、先ずユダヤ人たちに、福音を伝えました。ユダヤ人は、どうせ信じないだろう。伝道しても無駄だろう。だったら、最初から異邦人たちに伝道しよう。

普通なら、こう考えます。その方が効率的です。でも、パウロは、諦めなかったのです。

恐らく駄目だとしても、尚も伝え続けたのです。少しでも可能性があれば、伝えたのです。

誰が信じるか、誰が信じないか。それは、神様がお決めになることなのだ。

自分たちが、最初から決めつけてしまってはいけないのだ。自分たちは、結果を神様に委ねて、まず身近な人々に、伝道していかなければならないのだ。

これがパウロの、伝道者としての姿勢でした。

私たちは、先ず結果を予想し、見込みがあると思う人に、伝道しようとする。そういう傾向があるのではないでしょうか。勝手に結果を予測してしまう、ということがあると思います。

しかし、このパウロの姿勢に見倣って、どうせ駄目だ、と諦めることなく、身近な人たちに、根気強く伝道していきたいと思います。

もし、その身近な人が、福音を受け入れないとしても、その伝道は、決して無駄にはなりません。そこから、更に、別の人へと、伝道は広げられていくのです。

この時、パウロの、ユダヤ人に対する伝道は、大きな成果を、上げられませんでした。

しかしパウロが、朝から晩まで熱心に語った、福音の言葉を、番兵が聞いていたのです。

そして、その番兵の心に、福音の種が、蒔かれたのです。

そしてそれが、やがて実を結んで、兵士の中から、信仰に導かれる人が出て来ました。

パウロの努力は、無駄にはならなかったのです。

同じように、神様は、私たちの拙い伝道の業を用いてくださいます。そしていつか、思いもかけない実りを、もたらして下さるのです。

さて、今朝の御言葉は、使徒言行録における、パウロの最後の言葉を、記しています。

その最後の言葉は、恐らく駄目だろうと思う人に対して、尚も、語り続けるパウロの、懸命の証しでした。どこまでも諦めずに、語り続けるパウロの、伝道の叫びでした。

しかし、このパウロの言葉を聞いても、ユダヤ人たちの反応は、まちまちでした。

パウロは、そのようなユダヤ人たちに、イザヤ書6章の言葉を用いて警告を与えています。

あなたがたは、聞いても理解せず、見ても認めようとしない。心が鈍り、耳が遠くなり、目が閉ざされてしまっている。だから、天の父なる神様が、主イエスによって、成し遂げて下さった、救いの恵みを信じて、神様に立ち帰ることができないのだ、と言っているのです。

これは、パウロの、深い嘆きの言葉です。パウロは、深い嘆きをもって、神様の救いは、ユダヤ人ではなく、異邦人に向けられていくのだ、と言っています。

パウロは、福音を受け入れない、ユダヤ人たちを見限って、イザヤ書の言葉を語ったのでしょうか。そうではありません。

それならパウロは、とっくの昔に、ユダヤ人伝道を、止めていたでしょう。

パウロは、尚も、ユダヤ人が、神様に立ち帰ることを、願っているのです。主イエスの、十字架の救いを、受け入れて欲しいと、ひたすらに願っているのです。

いえ、パウロが願うよりも先に、主イエスご自身が、そのことを切に願っておられます。

先日、祈祷会において、ルカによる福音書13章を読みました。そこには、主イエスの悲痛な叫びが、記されていました。13章34節の御言葉です。

「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」

主イエスは、エルサレムに向かって、ということは、ユダヤ人に向かって、悲痛な叫びを、投げ掛けられています。

「めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか」。

神様は、これまでも繰り返して、イスラエルの人々を、ご自分の民として、「めん鳥が雛を羽の下に集めるように」、集め、養い、育もうとしてこられました。

そのために、預言者やその他の人々を、お遣わしになったのです。「だが、お前たちは応じようとしなかった」。主イエスの、深い嘆きの御声が、聞こえてきます。

イスラエルの人々は、主なる神様からの語りかけに、応答しなかったのです。

神様が差し伸べておられる、恵みの御手を振り払い、むしろその御手に噛み付いて、あくまでも、自分の思い通りに、自分が主人となって、生きようとしたのです。

そして、遂に、神の御子が来られました。その御子は、大きな翼を広げて、この翼の陰に来て休みなさい、と招いてくださいました。

めん鳥が、その雛を集めるように、優しく、心を尽くして、翼を広げてくださいました。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」、と優しく言ってくださいました。

しかし、それでも、「お前たちは応じようとしなかった」、と主イエスは、嘆いておられます、

この御言葉は、背き続ける者たちを、どこまでも愛され、招き続けられる、主イエスの、悲しいお心を示しています。

このお言葉を語られた時、主イエスは、きっと、涙を流されていたと思います。

同じように、涙を流して、愛する者が、立ち帰るのを、切に願った一人の婦人がいます。

古代教会の指導者であったアウグスティヌスの母、モニカです。若き日のアウグスティヌスは、マニ教という邪教に走り、放蕩に身を持ち崩していました。

モニカは、そんなわが子が、主の許に立ち帰るのを、ひたすらに祈り願いました。

幾夜も、涙に明け暮れ、眠れぬ夜を過ごしたモニカは、思い余って、アンブロシウスという司教の許に行き、悩みを訴えました。

アンブロシウスは、涙を流しているモニカの手を取り、優しく言いました。「大丈夫です。涙の子が滅びることはありません。」

この母の涙の祈りは応えられ、アウグスティヌスは主の許に立ち帰ることができたのです。

私たちも、愛する人が、立ち帰るのを、祈り願っています。

主イエスや、パウロが願ったように、ひたすらに願っています。立ち帰りなさい。主の許に、立ち帰りなさい、と呼び掛けています。

長く教会を離れている、愛する人が、この呼び掛けに応えて、主の許に立ち帰ってくることを、諦めずに祈り続けたいと思います。

今は、教会から離れてしまっている人も、神様の深い憐れみの中にあることを信じて、祈り続けていきたいと思います。