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過去の礼拝説教

「牢獄が礼拝堂となる恵み」

2019年03月03日 聖書:使徒言行録 16:16~40

クリスチャン作家の三浦綾子さんが、こんなことを言っています。

「人はその運命を選ぶことはできないが、人生を選ぶことはできる。大切なことは、将来がどうなるかではなくて、将来に向かってどう生きるか、ということである。」

その通りだと思います。同じような運命、同じような境遇にあっても、全く違う人生を送る人たちがいます。

将来がどうなるかを、あれこれ心配しても、始まりません。大切なことは、将来がどうなろうとも、それにしっかりと向き合って、与えられた自分の人生を、全うすることなのです。

そうは言っても、人間は弱い者です。どうしても、自分の将来が気になります。ですから、古代から現代に至るまで、占いが絶えることがありません。

パウロたち一行が、ヨーロッパに渡って、最初に訪れたフィリピの町にも、占いの霊に取りつかれた女奴隷がいました。

この女性の占いは、フィリピの人たちに、人気があったようです。人々は、お金を払って、この女性の占いの言葉を、聞いていました。

でも、この女性は奴隷でしたから、彼女が稼いだお金は、主人のものとなってしまいます。彼女は、主人に、大きな利益を得させていたのです。

ところが、この女性の占い師が、パウロたちの後について、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」、と昼夜を問わず叫び続けたのです。しかも、それを、何日も繰り返して、やめませんでした。

この女性が言っていること、それ自体は、正しいのです。でも、それを、一日中、大声で叫び続けられては、福音を伝えることができません。伝道の妨げとなってしまいます。

パウロは、始めの内は、忍耐していましたが、たまりかねて、大声で言いました。

「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」。

すると、占いの霊は、即座に、彼女から出て行ったのです。

彼女は、長く取りつかれていた、占いの霊から解放されました。そして、主人たちの、金儲けの道具として、利用されることも、なくなりました。彼女にとっては、まことに喜ばしいことでした。

しかし、彼女の主人たちは、金儲けの手段を失ってしまったので、とても腹を立てました。

そして、その腹いせに、パウロとシラスを捕えて、ローマの高官に訴えたのです。

この主人たちの訴えは、とても漠然としたものでした。ローマ市民が、受け入れることもできず、実行することも許されないような風習を、二人が宣伝して、町を混乱させている、と言ったのです。

しかし、パウロたちがしたことは、女奴隷を、占いの霊から解放した、ということだけです。町の秩序を、混乱させるようなことは、何もしていません。

しかし、主人たちは、当時のローマ社会に根強くあった、ユダヤ人に対する偏見を、巧みに利用して、群衆を巻き込み、騒動を起こしました。

騒ぎを恐れたローマの高官は、裁判も開かずに、パウロとシラスを、何度も鞭で打って、一番奥の牢にいれ、足枷をはめて、閉じ込めました。

これは、いつの時代にもある、典型的な、政治家の日和見主義的な行動です。

主イエスを、十字架につけた、ポンテオ・ピラトもそうでした。主イエスが、無実であると分かっていたのに、「十字架につけよ」と叫ぶ、群衆を恐れて、十字架刑を言い渡しました。

この時の、フィリピの町の高官も、同じです。群衆が騒ぎを起こすのを恐れて、何の罪もない、パウロとシラスに、不当な仕打ちを行ったのです。

金儲けの道具として利用されていた、かわいそうな一人の女性を、助けてあげただけなのに、パウロとシラスは、捕えられ、鞭打たれ、真っ暗な牢に、入れられてしまいました。

その苦しみの中での、パウロたちの様子が、25節に語られています。

「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」。

パウロたちは、鞭で打たれ、激しい痛みの中にいました。足枷をはめられて、自由を奪われて、暗い牢獄に入れられていました。

そういう中で、何と彼らは、賛美の歌を歌っていたのです。神様を、誉め讃えていたのです。

苦しみや悲しみの中で、「神様、助けてください。この苦しみから救い出して下さい」と、必死に祈ることは、私たちも、よくします。私たちも、苦しみの中で、祈ります。

しかし、苦しみの只中で、賛美することは、そう簡単に、できることではありません。

これは、真夜中の出来事です。しかし、時間的に、真夜中であっただけではありません。

パウロたちが置かれていた状況も、真夜中のように、暗かったと思います。

誰も助けてくれる人はいません。彼らの救出に、尽力してくれる人は、誰もいないのです。

何も悪いことをしていないのに、一方的に鞭打たれて、獄に閉じ込められているのです。

時間だけでなく、彼らの状況も、真夜中のように、暗かった筈です。

では、なぜ彼らは、そのような暗闇の中でも、賛美することが、できたのでしょうか。

それは、彼らが、目の前の暗闇ではなく、十字架の主イエスを、見詰めていたからです。

十字架の主イエスが、今、この時も、共にいてくださると、信じていたからです。

この私のために、その尊い御体を裂き、血を流してくださった。そのお方が、今も、ここに、この牢獄の中に、共にいてくださり、苦しみを共にしてくださっている。鞭で打たれた私の傷に、御手を触れてくださっている。

そして、「私も、お前と、同じような苦しみを、負ったのだ。いや、こんなものではない。遥かに大きな苦しみを、負ったのだ。お前を、罪から救い出すために」、と言っておられる。

パウロとシラスは、その十字架の主イエスを、見詰めていたのです。その主イエスの御声を、聞いていたのです。痛み、苦しみを通して、主イエスと、一つとされていたのです。

ですから、暗闇の中で、賛美することができたのです。この時も、共にいてくださり、苦しみを分かち合ってくださっている主を、賛美することができたのです。

先程、讃美歌469番を賛美しました。この讃美歌の作者は、ディートリヒ・ボンフェファーという、ドイツの牧師であり、神学者でもあった人です。

ボンフェファーは、第二次世界大戦の時、ヒトラーに反対したため、捕らえられ、獄に入れられました。そして、終戦の直前に、処刑されました。

先程の讃美歌は、殉教の死を目前にした彼が、獄中にあって書いた詩を、パラフレーズしたものです。

1節はこう歌っていました。「善き力に われかこまれ、守りなぐさめられて、世の悩み 共に分かち、新しい日を望もう。」

そして5節、「善き力に 守られつつ、来たるべき時を待とう。夜も朝もいつも神は、われらと共にいます。」

私は、善き力に、囲まれ、守られている。だから、来るべき時を、安らかに待つことができる。朝に夕に、神は、必ず、私たちと共にいるのだから。ボンフェファーは、こう詠っています。

ボンフェファーも、牢獄の暗闇の中で、神様が共にいてくださることを、堅く信じていました。ですから、苦しみをも、感謝をもって、受け取ることができる、と言っているのです。

獄中で賛美をささげる、パウロとシラスと、ボンフェファーの姿とが、重なり合います。

この後、大地震が起こって、牢の扉が、全部開いてしまう、という奇跡が起きます。

しかし、その奇跡以上に、このような暗闇の中で、パウロとシラスが、尚も、賛美することができたこと。それこそが、もっと素晴らしい、奇跡であると思います。

どんなに堅固な牢でも、彼らの賛美の歌声を、閉じ込めることは、できなかったのです。どんなに深い暗闇の中にも、主イエスの救いの光は、差し込んでいたのです。

彼らの賛美と祈りは、牢獄を礼拝の場へと、変えてしまいました。

普段は、呪いと、怒りと、不平の声だけが、聞こえていた牢獄に、神様を賛美する喜びの歌声が響きました。その時、そこには、侵し難い、聖なる空気が流れました。

普段は、礼拝堂に流れる、聖なる空気が、この時は、牢獄に流れたのです。

ですから、他の囚人たちも、その聖なる歌声に、思わず聞き入っていたのです。

真夜中に、讃美歌を歌っているのですから、「うるさい」と言って、怒鳴られるのが普通です。

ところが、誰一人文句を言うことなく、パウロたちの、賛美の歌声に、聞き入っていたのです。囚人たちの心に、聖霊の息吹が、吹き込まれていったのです。

礼拝とは、ご臨在される神様を、拝むことです。神様がおられない所では、礼拝は成り立ちません。そこに、確かにおられる神様を、拝むこと。それが礼拝です。

この時、パウロとシラスが、繋がれていた牢には、確かに、神様がおられました。そして、パウロとシラスは、そのご臨在される神様を、拝み、賛美していたのです。ですから、その牢獄は、紛れもなく、礼拝の場でした。

この時、囚人たちは、パウロたちの賛美の歌声の中に、漠然とではあっても、神様のご臨在を、感じ取っていました。何であるかは、はっきりとは分からなくても、今、自分たちは、聖なるものに触れている、と感じ取っていました。

このパウロたちの賛美と祈りに、神様は応えられました。突然大地震が、起きたのです。

そして、牢の戸が、みな開いてしまい、囚人を繋いでいた鎖も、みな外れてしまったのです。

牢の看守は、パウロたちの、賛美の歌声を聞いている内に、安心して、居眠りをしていたようです。ところが、大地震で、目を覚ますと、なんと牢の戸が、全部開いました。

彼は、てっきり、囚人たちは、みな逃亡してしまったと思い込んで、自殺しようとしました。

ローマの法律では、囚人を逃がした看守は、その囚人が受ける筈であった刑罰を、代わって受けなければならなかったそうです。

もしかしたら、囚人の中には、死刑囚もいたかもしれません。もしそうなら、看守は、代わって死刑にされるのです。ですから、自殺を覚悟したのだと思います。

ところが、その時、看守は、驚くべき声を聞きます。パウロの声です。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」

本当に、信じられないことでした。牢の戸が、みな開いて、囚人の鎖が、全部外れていたのに、誰一人として逃げ出さずに、全員が牢の中に、留まっていたのです。

囚人たちも、この大地震は、パウロとシラスの、賛美と祈りに対する、神様の応答だと、感じ取っていたのです。彼らの内には、神様に対する、畏れの念が生じていました。ですから、滅多なことはできない、という思いに、導かれていたのです。

パウロとシラスの賛美の歌声は、囚人たちの心を、それほど深く捕えていたのです。

看守は、牢の戸が、みな開いてしまったことよりも、このことにもっと驚きました。

鎖も外れて、完全に逃亡できる状態にある囚人が、一人も逃げずに、皆そこにいる。これは、考えられない出来事でした。看守の理解を超えた出来事でした。

彼は、パウロとシラスの前に、震えながらひれ伏して、「先生方、救われるためには、どうすべきでしょうか」、と尋ねました。

大地震が起こった。絶好のチャンスだ。この機に、脱獄しよう。普通なら、囚人たちは、そう考えます。でも、パウロとシラスは、囚人たちの、そのような衝動を、見事に鎮めました。

看守は、この二人の中に、とてつもなく大きな、そして聖なる力を、感じ取ったのです。

「救われるためには、どうすべきか」。この問いに対する、二人の答えは、明快でした。

二人は、声を合わせるかのように、全く同じことを、力強く言いました。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。

別に、打ち合わせた訳ではないのに、同じ言葉が、二人の口から、同時に出たのです。

どうしたら救われますか、という問いには、この答えしかないからです。

ですから、二人の答が、まるで申し合わせたかのように、ピタッと一致したのです。

私たちは、今朝、改めて問われています。一体、救われている者とは、どのような人なのでしょうか。キリスト者とは、どういう人なのでしょうか。今朝の御言葉は、答えています。

それは、目の前の暗闇ではなく、十字架の主イエスを、見詰める人のことです。

絶望的とも思える状況の中で、尚も、神様を、賛美する人のことです。人生の旅路において、明るい昼にも賛美しますが、暗い夜にも賛美する人です。

それが、キリストの救いに、与っている人なのです。

では、どうすれば、そういう者に、なれるのでしょうか。「救われるためには、どうすべきでしょうか」、と看守は問いました。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。これが答えです。

「主イエスを信じる」こと。これだけなのです。これより他にないのです。

簡単と言えば、簡単です。単純と言えば、単純です。

主イエスが、私たちの罪を贖うために、私たちに代わって、十字架についてくださったこと。

そして、復活してくださったこと。その主イエスを、救い主として、信じること。

これだけなのです。この主イエスを、信じて、委ねていくこと。これ以外にないのです。救われた者の生き方とは、これに尽きています。

「主イエスを信じる」ということは、主イエスと共に生きることです。主イエスに捕えられ、主のものとされることです。それが、救われたということなのです。

更に、その人が、救われるだけでなく、その救いは、家族にも及んでいきます。

勿論、家族の一人が救われたなら、後は、自動的に救われる、という意味ではありません。

救いとは、一人一人が、個人的に、主イエスに出会い、主イエスを信じることによって、与えられるものだからです。

しかし、家族の一人が救われると、それが、家族の救いの端緒となることは、確かです。

この看守の家族は、パウロたちの語る、主の言葉を聞いて、全員がバプテスマを受けたのです。

パウロとシラスは、翌日釈放され、リディアの家に行き、教会の兄弟姉妹を励ました上で、次の宣教地に向かって、旅立って行きました。

ところで、皆さんは、大地震が起こったのに、囚人が一人も逃げなかったという、驚くような出来事が、この日本でも起きたことを、ご存知でしょうか。関東大震災の時です。

この時、パウロとシラスの様に、囚人たちの心を掴んでいたのは、網走刑務所の初代所長を務めた、有馬四郎助という人です。

この人は、かつては、鬼典獄と言われ、囚人たちに、非常に恐れられていました。典獄とは、今で言う刑務所長のような職務です。

当初、有馬は、囚人たちの人格を認めず、監獄の秩序を守るためには、鬼のような厳しさをもって律すべきである、と信じていました。また有馬は、大のキリスト教嫌いで、キリスト教の教誨師から大変警戒されていました。

その有馬に、留岡幸助や、大塚素をはじめ、何人かの牧師や教誨師が、キリストの愛を忍耐強く説きました。

留岡幸助牧師は、「士族の魂も、町人の魂も、囚人の魂も、神の前には同じ値打ちのものである」と説いて、そのことを自ら実践して見せました。

初めのうちは、キリスト教に激しく敵対していた有馬も、次第に心を開いていきます。

そして、遂にキリストを受け入れ、留岡牧師から洗礼を受けて、クリスチャンになります。

ひとたび洗礼を受けると、有馬は非常に徹底した、信仰生活を送るようになりました。

愛に満ちたクリスチャン典獄として、受刑者たちから敬愛されるようになりました。

有馬は、囚人たちの環境改善や社会復帰のために、その後の生涯を捧げていったのです。

有馬は、刑務所で新しい受刑者を迎える時、「私は君だけが罪人とは思っていない。私自身が罪人の頭だ」、と言って迎えました。また、逃走した受刑者が捕まって帰ってきた時は、「よく帰ってきてくれた」と、涙を流して喜んだそうです。

そして、それまで、番号で呼ばれていた受刑者を、「○○さん」という呼び名で呼びました。

大正 12 年 9 月、関東大震災が起きたとき、有馬は東京の小菅刑務所の所長でした。

小菅刑務所は激震のために煉瓦造りの建物が倒壊し、受刑者たちは壁も鉄格子もない野原に避難しました。

このような大混乱の中で、有馬の日頃の恩義に応えるのは、この時とばかり、受刑者たちは、率先して自警団を作りました。そして、「有馬に恥をかかせるな」を合言葉に、互いに逃走を戒め合い、遂に一人の逃走者も出さなかったのです。

ここでも、主イエスを信じる、一人の信仰者が、常識では考えられないような出来事を、引き起こしたのです。ここでも、牢獄が、礼拝堂になったのです。

愛する兄弟姉妹、私たちの人生にも、主イエスが、介入される時に、そのような奇跡が起きます。

そのことを期待して、どんな時も、主イエスを見上げつつ、主イエスと共に、善き力に囲まれて、歩んでまいりましょう。