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柏牧師:過去の礼拝説教

「聖書が伝えたい唯一のこと」

2019年03月10日 聖書:使徒言行録 17:1~15

今年、茅ヶ崎恵泉教会は、創立68周年を迎えます。しかし、私たちの教会の歴史は、本当の意味では、68年ではありません。2千年の歴史なのです。

ペンテコステの日に、弟子たちの群れに聖霊が注がれて、教会が誕生しました。その教会の歴史の延長線上に、今、私たちがいるのです。

この2千年の歴史の中で、教会は、人間の力を遥かに越える、神様の偉大な御業を、繰り返して体験してきました。

全く何もない所に、教会が建てられていく。そして、その教会が、様々な迫害を受けながらも、神様の不思議な導きによって、大きく成長していく。

私たちは、教会の歴史を通して、その様な出来事を、繰り返して見させて頂いてきました。

今、私たちは、聖日礼拝において、使徒言行録から御言葉に聴いています。

使徒言行録は、初代教会が誕生し、成長していく姿を、私たちに伝えています。

そこには、共通した、一つのパターンがあります。

使徒たちの命懸けの伝道によって、何もない所に教会が生まれる。しかし、生まれた途端に、その教会は、激しい迫害を受ける。

そのため、使徒たちは、已む無く、その教会を信徒たちに託して、他の町に逃れる。

そして、逃れた先で、また新しい教会を建てる。ところが、その教会もまた、迫害を受ける。

そこで、また、そこを逃れて、他の町に行き、そこに教会を建てる。

そのように、教会の誕生と、生まれたばかりの教会に対する、迫害とが繰り返される。

しかし、それによって、福音宣教の輪が、広がっていき、その結果、伝道が進展していく。

不思議なことに、教会が、各地に広がっていったのは、迫害に遭ったからなのです。

普通、迫害に遭えば、伝道は妨げられ、福音宣教の輪は、広がるどころか縮んでいきます。

でも、驚いたことに、初代教会では、迫害によって、更に、伝道が進展していったのです。

これは、常識に反することです。何故、そのようなことが、起こったのでしょうか。

それは、伝道者が、伝えるべきことを、しっかりと伝え、教会が、守るべきものを、確かに守っていたからです。つまり、教会本来の姿を、見失うことが、なかったからです。

どんなに激しい迫害に遭っても、立つべきところに、しっかりと立ち、語るべきことを、正しく語り、守るべきものを、命懸けで守ったからです。

その時、教会は、どのような迫害や弾圧をも跳ね除けて、成長していきます。

なぜなら、神様は、そのような教会を、豊かに祝福してくださり、限りない恵みを、注いでくださるからです。

今朝、与えられた御言葉は、使徒言行録17章1節~15節です。ここには、テサロニケの教会と、ベレアの教会が、誕生した出来事が、語られています。

テサロニケの教会も、ベレアの教会も、誕生と同時に、迫害に遭いました。

ですからパウロは、後ろ髪惹かれる思いで、その地を去らなければならなかったのです。

でも教会は、パウロという、偉大な指導者が去った後も、しっかりと立ち続けました。

それは、教会が、最も大切なことを見失わず、守るべきものを、守っていったからです。

一体、それは、何であったのでしょうか。これから、ご一緒に、そのことを、探っていきたいと思います。

ヨーロッパにおける、最初の伝道地フィリピで、迫害に遭ったパウロたちは、次の宣教地である、テサロニケに向かいました。

テサロニケは、ギリシアの北部、マケドニア州の州都です。パウロが、この町を第二の伝道地として選んだのは、ただ町が大きかったから、だけではありません。

この町には、多くのユダヤ人が住んでおり、ユダヤ教の会堂があったからです。

パウロの伝道は、まずユダヤ教の会堂を訪れ、そこで、旧約聖書に基づいて、イエス・キリストを証しする、という仕方で行われました。

主イエスは、旧約聖書で預言されていた、救い主です。ですから、ユダヤ教の会堂で、そのことを証しすることを、伝道の第一歩としたのです。

旧約聖書を信じているユダヤ人に対して、旧約聖書の御言葉に基づいて、主イエスのことを語ったのです。ですから、その話は、大変説得力があった筈です。

パウロは、テサロニケのユダヤ人の会堂で、三回の安息日にわたって、伝道しました。

その結果、パウロの説教を聞いた人々の、ある者たちは信じて、福音を受け入れました。

その中には、「神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たち」がいた、と記されています。

「神をあがめるギリシア人」というのは、ユダヤ教に帰依していた、ギリシア人のことです。旧約聖書が語る、創造主なる唯一の神を、礼拝していた人たちのことです。

その人々の中には、町の有力者の婦人たちも、少なからずいました。興味深いことに、主イエスを信じたのは、ユダヤ人よりも、ギリシア人の方が多かったのです。

パウロは、すべての人は、イエス・キリストを信じる、信仰によって救われる、と説きました。

この教えは、ギリシア人たちにとっては、律法の行いを、厳しく要求するユダヤ教よりも、遥かに受け入れ易いものでした。

ですから、彼らは、パウロが語った福音を、喜んで聞き、信じるようになっていったのです。

しかし、ユダヤ人たちは、自分たちの会堂に、出入りしていたギリシア人たち、特に有力者の婦人たちが、パウロに従うようになったのを、激しく妬みました。

そして、彼らを迫害したのです。ユダヤ人たちは、正々堂々と、議論するのではなくて、何と、ならず者を雇って、暴力を用いる、という卑劣な手段で、パウロたちを攻撃しました。

5節にこうあります。彼らは、「広場にたむろしている、ならず者を何人か抱き込んで、暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した」。

ここにヤソンという人が出てきます。このヤソンは、パウロの伝道によって、主イエスを信じるようになった人だと思われます。ヤソンは、パウロたちを、自分の家に招き入れ、その家を、伝道の拠点として、提供していたのです。

フィリピにおいて、リディアが果たした役割を、テサロニケでは、ヤソンが果たしたのです。

パウロの伝道旅行によって、多くの町に、信徒の群れが形成され、教会が生まれました。

しかし、それは、決して、伝道者たちだけの働きによって、なされたのではありません。

各地で、自分の家を、伝道の拠点として提供し、パウロたちが去った後も、その町の信者たちの中心となって、教会を支え、伝道を続けていった人たちがいたのです。

フィリピにおいてはリディア、テサロニケにおいてはヤソン。これらの人々の働きによって、教会はその地に根を下ろし、迫害に負けずに、発展して行ったのです。

伝道は、決して伝道者のみによって、なされるのではありません。パウロたちは、それぞれの町に、本当に短い期間しか、滞在していません。

エフェソやコリントなどの、例外を除けば、ほんの数週間、長くても数か月です。

その短い間に、福音に触れて、信仰を持った人たちが、パウロたちが去った後も、その信仰と伝道の業を引き継いで、教会を守り、育てていったのです。

初代教会における伝道は、信仰を持ったばかりの、信徒たちが、担っていったのです。

この事実は、私たちに、大きなチャレンジを、投げ掛けています。

私たちの多くは、初代教会の人たちに比べれば、遥かに長い信仰暦を持っています。

そうであるなら、初代教会の人たちよりも、もっと力強い伝道を、することができる筈です。

初代教会の信徒たちは、特別に優れた人たちではありません。普通の人たちです。

そういう人たちが、迫害の中で、教会を守り、伝道していったのです。

そうであれば、私たちも、彼らと同じような働きが、できる筈です。今朝、私たちは、このチャレンジに押し出されて、それぞれの持ち場へと、帰って行きたいと思います。

さて、ヤソンの家を捜しても、パウロたちが、見つからなかったので、ユダヤ人たちは、ヤソンと数人のクリスチャンたちを、町の当局者の所に、引き立てていきました。

ユダヤ人たちの告発の理由が6節、7節に書かれています。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。 ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」

告発の理由は、ここでも反逆罪です。主イエスの裁判の時と同じです。元々は、妬みから出たことを、政治的な理由に、すり替えているのです。

しかし、彼らの告発の中に、注目すべき言葉があります。それは、「世界中を騒がせてきた連中」、という言葉です。この言葉は、日本の教会にとって、耳の痛い言葉です。或いは、私も含めて、日本の伝道者にとって、耳の痛い話です。

なぜなら、16世紀のキリシタンの時代は、いざ知らず、近代の日本の教会は、未だかつて、世間を騒がせるような、影響力を及ばしたことがないからです。

しかし、御言葉それ自体には、力があるのです。もし教会が、そして伝道者が、その御言葉の力を、本当に信じて、命懸けで、それを伝えていくならば、世間を騒がせるような影響を、与える筈なのです。世間が、無視することが、できなくなる筈なのです。

今、世界中を騒がせているのは、テロリストです。彼らは、爆弾を持って、命懸けで、人々の中に、飛び込んでいきます。いわゆる、自爆テロです。

パウロたちは、人を殺す爆弾を抱えて、人々の中に、飛び込んで行った訳ではありません。

しかし、ある意味では、爆弾よりも、もっと強力なものを、携えていきました。

それは、御言葉です。彼らは、御言葉という、人を生かす爆弾を、携えていったのです。

そして、人々の人生を、或いは家庭を、また社会を、変えていったのです。

一方、明治以降の日本の教会は、迫害を恐れて、キリスト教は無害だと、説明してきました。

本当は、キリスト教こそが、日本に必要なのです、と言わなければならなかったのです。それなのに、キリスト教は、無害だから、認めて欲しい、と言い続けてきたのです。

そして、世間も、彼らは何もしない、何の変化も起こさない。放っておいても大丈夫な連中だと安心し、教会を無視してきました。今朝の御言葉の、「世界中を騒がせてきた連中」、という言葉を聞いて、私は、伝道者のはしくれとして、恥ずかしく思いました。

牧師や伝道者が、「日本中を騒がせてきた」、などと言われたことがなかったからです。

私たちは、今一度、御言葉それ自体の力を信じて、福音という、人を生かす恵みの爆弾を抱えて、人々の中に、飛び込んでいくような、伝道を志したいと、思わされます。

さて、パウロとシラスは、ユダヤ人たちの妨害のために、テサロニケに長く留まることができずに、次の町、ベレアに向かいました。ここでも、彼らは、先ず、ユダヤ人の会堂で、伝道を開始しました。

幸いなことに、ベレアのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直でした。

そこで、多くの者が、主イエスを信じました。また、ここでも、ギリシア人の上流婦人や男性たちが、少なからず信仰に入ったのです。

ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレアで伝道していることを知って、わざわざやって来て、ここでも群衆を煽動して騒ぎを起こしました。何という執念深さでしょうか。

それでパウロは、ベレアにもいられなくなって、アテネに向って、旅立ちました。

ところで11節には、ベレアの人たちは、「素直に御言葉を受け入れた」と書かれています。「素直に御言葉を受け入れる」とは、どういうことなのでしょうか。

パウロの語ったことを、何でも鵜呑みにした、ということでしょうか。そうではありません。

「素直に」、という言葉は、他の聖書では、「広い心で」と訳されています。そのようにも訳すことができる言葉なのです。彼らは、広い、柔らかい心で、御言葉を受け入れたのです。

パウロの語った言葉の、あらを探して、批判してやろう、などという狭い気持ちではなくて、広い心で、素直に御言葉を聞いたのです。

そして、「そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」、というのです。

「そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」。これは、彼らが、聖書学者のように、聖書を、文献として研究していた、という意味ではありません。

そうではなくて、聖書の御言葉が、自分の救いにとって、どんな意味があるのか。聖書は、私に何を語っているのか。そういう思いをもって、聖書を毎日読んだのです。

この御言葉は、私にとって、どういう意味があるのか。私に何を語っているのか。それを読み取っていかなければ、聖書を読んでいることには、なりません。

聖書を、勉強したり、研究したりするのではなく、自分に対する語り掛けとして読んでいく。そのように、広い、柔らかい心で、熱心に、聖書を読んだ人々の多くが、主を信じたのです。

もし彼らが、パウロの説教を聞くだけで、満足してしまって、聖書を読もうとしなかったら、どうだったでしょうか。

パウロが、いなくなったら、彼らの信仰は、拠り所を失って、消滅してしまったと思います。

それでは、パウロの語った御言葉を、広い心で、素直に聞いたことには、なりません。

では、パウロが説き明かした、聖書には、一体何が書いてあるのでしょうか。

この時の聖書は、旧約聖書です。まだ新約聖書は、書かれていません。その旧約聖書が、本当に語っていることは、何なのか。それを明らかにすることが、パウロの伝道でした。

旧約聖書が、私たちに語っていること。それは第一に、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」、ということです。

「メシア」とは、キリスト、つまり、救い主、のことです。その救い主は、必ず苦しみを受け、そして死者の中から復活する。そのことが、旧訳聖書で約束されていたのだ。パウロは、先ず、そのことを語りました。

「必ず」というのは、「それが神様の御心である」、ということです。「神様が、そう決意されている」、ということです。

神の独り子なる、救い主が、人間のすべての罪を、代わって負って、苦しみを受けて、殺される。そして、人間に、新しい命を与えるために、復活する。そのことを、神様は、御心の内に、決意しておられたのです。

聖書には、その神様の熱い御心が、その神様の堅い決意が、語られているのです。それは、言い換えれば、私たち人間に対する、神様の限りない愛です。

聖書には、この神様の愛が語られている。これが、パウロが語った、第一のことです。

そして第二のことは、「このメシアは、わたしが伝えているイエスである」、ということです。

神様の救いのご計画が、イエス・キリストにおいて、成就した。その十字架の死と、復活において、実現した。パウロは、そのことを、語ったのです。

そして、パウロは、聖書が語っていることは、これに尽きる、と言ったのです。

パウロが言ったように、聖書は、私たちに、救いの道を示す書物です。そして、その道とは、主イエスご自身に、他なりません。主イエスご自身が、「私は道である」、と言われました。

この「道」という言葉は、主イエスが語られた、ヘブライ語では、「踏みつける」、という意味を持っています。主イエスは、「私を、踏みつけていきなさい」、と言われたのです。

主イエスは、人々に、踏みつけられるために、来られたのです。

主イエスは、道を見失って、迷っている私たちに、語り掛けられています。

私が道だ、私の上を歩きなさい。私を踏みつけていきなさい。私を踏みつけて、天の御国に行きなさい。私は、あなたに、踏みつけられるために来たのだ。

そう言われて、その御体を、十字架の上に、投げ捨てられたのです。

十字架は、私たちのために架けられた、天国への架け橋なのです。これを通らなければ、救いには到達しないのです。投げ出された、主イエスの御体を、罪人である、私たちが、踏みつけながら歩んでいく。それが、私たちの信仰なのです。

パウロは、この救いの言葉を語ったのです。

聖書が語っている、唯一のこと。それは、この救いの恵みに尽きる、と語ったのです。

聖書は、神様が、溢れる思いを込めて、私たちに書いてくださった、愛の手紙です。神様からのラブレターです。ですから、私たちは、このラブレターを、毎日読んで、神様の愛を確かめつつ、生きていくのです。

神様が、愛をもって書いてくださった、この聖書に、私たちも、精一杯の愛をもって向き合い、自分に語られている愛の御言葉を、しっかりと聞き取っていきたいと、心から願います。