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過去の礼拝説教

「わたしがあなたと共にいる」

2019年03月24日 聖書:使徒言行録 18:1~11

信仰生活を続けていくと、様々な試練や困難に出遭うことがあります。主イエスを信じたからと言って、いつでも、どこでも、順風満帆の日々である訳ではありません。

落胆し、意気阻喪し、立ち上がることができない。そんな思いに、覆われることもあります。

しかし、そのような時、私たちは、必ず、神様からの励ましを受けます。

それは、御言葉を通してであったり、祈りを通してであったり、或いは、人を介してであったりと、様々な形で与えられます。

私たちが、思ってもみなかったような仕方で、神様は、私たちを、力づけてくださいます。

神様による励ましは、ワンパターンではありません。

しかし、確かなことは、どのような形を取るにしても、神様は、必ず励ましを、与えてくださる、ということです。神様は、必ず助けてくださいます。

そして、私たちは、その励ましを受けて、再び立ち上がり、信仰の道を歩んでいくのです。

今朝の箇所には、コリントにおいてパウロに与えられた、神様の励ましが書かれています。

ギリシア北部マケドニア州の、フィリピ、テサロニケ、ベレアの町で、伝道したパウロは、南部のアカイア州へと、下っていきました。

アカイア州での最初の伝道地は、アテネでした。しかし、アテネでの伝道は、今までの町での伝道ほど、実り豊かではありませんでした。

パウロは、ギリシア文化にも、ユダヤ文化にも精通した、優れた知識人でした。

ですから、哲学と文化の中心地の、アテネでの伝道には、自信を持っていたと思います。

よし、知識では負けない。そう思っていたかもしれません。パウロは、自分の学識の全てを傾けて、福音を語りました。しかし、学識を駆使しても、福音は人々に届かなかったのです。

アテネでの伝道の結果は、惨めでした。数人の弟子を得ることはできましたが、多くの人々から、馬鹿にされ、嘲られ、無視されたのです。アテネでの伝道の実りは、僅かでした。

ですから、パウロは、非常な悔いを残して、アテネを去って、コリントに向かったのです。

後にパウロは、コリントの信徒に宛てた手紙の中で、その時のことを、こう回想しています。「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」。

偉大な伝道者パウロも、私たちと同じ一人の人間として、不安や恐れを持っていたのです。

コリントは、アカイア州の州都で、交易の中心地として、大いに繁栄していました。

二つの港に挟まれたコリントは、経済的には豊かな町でした。

しかし、港町に特有の、倫理的な乱れも、横行していたようです。

人々は、この世の富と、ふしだらな欲望に、心を奪われていたのです。

その点から言えば、福音宣教の場としては、全く相応しくない町でした。

意気消沈したパウロは、よりにもよって、およそ伝道には適していないと思われる、世俗的な町に、やって来たのです。客観的に見れば、伝道するには、最悪の状態でした。

しかし、憐れみ深い神様は、様々な助けを用意して、そんなパウロを、励ましてくださったのです。パウロの気づかない所で、神様は、秘かに助けを、備えていてくださいました。

不安と恐れで、衰弱していたパウロは、たった一人で、コリントでの伝道を始めました。

誰も、知り合いはいません。パウロは、全く孤独でした。

孤独なだけではありません。恐らく、経済的にも、困窮していたと思います。

しかし、神様は、思いがけない助けを用意して、待っていてくださったのです。

そこに、アキラとプリスキラという、一組のクリスチャン夫婦がいたのです。

この夫婦は、パウロがコリントに来る少し前に、クラウディウス帝の、ユダヤ人追放令によって、ローマから追われて、コリントに移り住んでいました。

この夫婦は、パウロの伝道によって、クリスチャンになった人たちではありません。

この時は、もう既に,キリストを信じる、クリスチャンになっていたのです。

ですから、パウロがコリントに来たとき、直ぐに、パウロを助けることができたのです。

知らない町で、孤独を感じていたパウロは、アキラとプリスキラに出会い、彼らがキリスト者であることを知った時、どんなに驚き、また喜んだことでしょうか。

パウロは、この夫婦との出会いを与えられ、テント造りという職業が、同じだったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をしながら、この町での伝道を始めました。

それによって、経済的な困窮からも、救われました。

神様は、コリントにおいて、クリスチャンとの交わりと、住む家と、生計を立てる手段とを、パウロに用意して、くださっていたのです。何という、愛のご配慮でしょうか。

伝道していく時、私たちは、このような神様の、愛のご配慮に、支えられていきます。

アキラとプリスキラの名前は、この後も度々、聖書の中に出てきます。

彼らは、パウロを支えて、ある時は一緒に旅をしながら、伝道を助けました。

しかし、彼らは、教職者ではありません。あくまでも信徒です。信徒として、教会を、そして伝道者を、献身的に支え続けたのです。

ローマの信徒への手紙16章3節、4節で、パウロは、二人のことを、こう言っています。

「キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。」

この二人が、パウロのことを、命懸けで守ってくれた、と言っているのです。

キリスト教が、激しい迫害に遭っても、尚も成長していったのは、勿論、使徒たちによる、殉教をも厭わない、伝道があったからです。しかし、それだけではありません。

この二人のような、信徒による献身的な支えも、なくてはならないものであったのです。

パウロ亡き後、二人は、エフェソの若い監督であった、テモテを支え、謙遜に仕えました。

教会に、このような信徒が、一人でもいると、教会全体が、変えられていきます。

明治時代に、四国の高知教会に、片岡健吉という信徒がいました。

片岡は、自由民権運動のリーダーで、国会で衆議院の議長を務めていた、有力者でした。

多くの人々から尊敬を受けていたにも拘らず、この人は、日曜日には、誰よりも早く教会にきて、教会のスリッパを、一人で揃えていたそうです。

「教会に行くと、あの衆議院議長の片岡先生が、なんと草履を揃えている」、と評判になって、当時、高知教会には、四百人もの人が集まった、と言われています。

この高知教会に、多田素という若い牧師が赴任して来ました。片岡は、自分の子どものように、年の若い多田牧師を、心から敬い、支えたそうです。

ある時、片岡健吉と多田牧師は、偶然、同じ汽車で、東京に行く事になりました。

片岡は国会の仕事で、多田牧師は教団の仕事で、上京したのです。

その時、片岡は、政府から支給された、一等車の切符を、若い多田牧師に渡し、自分は三等車で行ったと伝えられています。

このような信徒によって、教会は、そして伝道者は、励まされ、支えられていくのです。

アキラとプリスキラの支えによって、パウロは、週日の間は働き、そして安息日には、ユダヤ教の会堂で、集まった人々に、主イエスの福音を、語るようになりました。

神様が用意された、第二の助けは、マケドニア州からやって来た、シラスとテモテでした。

二人は、マケドニア州の教会が、健全に成長しているという、喜ばしい知らせを伝えました。

パウロの伝道によって誕生した、フィリピや、テサロニケや、ベレアの教会が、パウロが去った後も、堅く信仰を守っている。この知らせは、どれほどパウロを励ましたでしょうか。

それだけでなく、フィリピの教会が、パウロのために献げた、尊い献金も届けたのです。

この献金を与えられて、パウロは、御言葉の宣教に、専念できるようになりました。

パウロの伝道活動は、急速に活発になりました。しかし、その反面、ユダヤ人による迫害も、激しさを増していきました。

6節には、ユダヤ人たちが、パウロに反抗し、口汚く罵ったとあります。

これは単に、パウロを悪く言っただけではなく、パウロが宣べ伝えている、主イエスご自身のことをも、冒瀆したということになります。

そこで、パウロは、きっばりと、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない」と宣言して、ユダヤ人たちの会堂を去りました。

恵みによって、救われた私たちは、福音を語り伝えるという、責任を与えられています。

ですから、私たちは、精一杯の愛をもって、福音を語ります。しかし、それを受け入れて、信じるか、信じないかは、相手の人の責任なのです。

パウロは、福音を語るという責任を、全力で果たしました。しかし、それを聞こうとせず、嘲笑い、口汚く罵るなら、その結果は、その人たちの責任となるのです。

「今後、私は異邦人の方に行く」というパウロの言葉は、一見すると、冷たい言葉の様に聞こえます。しかしこれは、決して冷たい言葉ではなく、救いの本質を示している言葉なのです。

私たちは、愛をもって、その人の救いのために、心と思いを尽くして語ります。

しかし、福音を信じるかどうかの責任は、あくまでもその人にあるのです。

信仰とは、常に、神様との、一対一の関係に、生きることなのです。その間には、誰も入り込むことはできません。信じるか、信じないか。

それは、その人自身が、神様との一対一の関係において、決意することなのです。

さて、ユダヤ教の会堂を去ったパウロに、神様は、新しい活動の拠点を、用意してくださいました。それは、「神をあがめるティティオ・ユストという人の家」でした。

驚くべきことに、その家は、ユダヤ教の会堂の、隣にあったのです。コリント教会は、この家の集会から始まった、と言われています。

さらに、もう一つ驚くべきことは、ユダヤ教の会堂の会堂長であった、クリスポという人が、一家をあげて、主を信じたということでした。

会堂長は、会堂の管理だけでなく,安息日の礼拝の司会などを務める、ユダヤ人共同体の重要な役職でした。

彼が主イエスを信じた、ということは、会堂長を辞職して、その収入をも捨てた、ということです。これは、大変な出来事であったと思います。

このように、次々に、神様からの励ましと支えが、パウロに与えられていったのです。

しかし、パウロは、伝道とは、生易しいものではないことを、誰よりもよく知っていました。

異邦人の間に、福音が宣べ伝えられ、信じる者たちが、多く起こされる。すると、それに、比例するかのように、ユダヤ人たちからの迫害も、また激しくなっていく。

パウロは、そういう事を、今までに何度も、経験してきました。

このコリントでは、今のところ、命の危険には、晒されていない。けれども、いつまたそのような事態になって、この町を去らなければ、ならなくなるかもしれない。

パウロは、大胆に伝道をしながらも、心の奥底に、そのような恐れや不安を、抱えていたかも知れません。

その様なパウロに、神様が用意してくださった、最も大きな助けは、主イエスご自身が語られた、励ましの言葉でした。

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」。

「恐れるな」、と主は言われました。パウロが感じている恐れを、主はご存じだったのです。

主は、「恐れるな」と言われました。でも、何の根拠もなく、ただ「がんばれ」、と言われたのはありません。私たちの主は、根性論を振りかざすような、お方ではないのです。

恐れなくても良い根拠を、きちんと示してくださいました。

恐れなくても良い根拠。それは、「わたしがあなたと共にいる」、ということでした。

主イエスは、パウロに、語りかけてくださいました。「わたしがあなたと共にいる」。

この言葉は、復活された主イエスが、マタイによる福音書の最後で、弟子たちに与えて下さった、約束でもあります。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。

主イエスは、弟子たちへの最後の言葉として、この約束を、残していかれました。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。

この言葉は、原語では、とても強い調子で、語られています。

「見よ、この私は、必ずあなた方と共にいる。すべての日に亘って、この世界が終わるまで」。このような、強い表現の宣言です。

なぜ、主イエスは、このような強い表現で、約束を語られたのでしょうか。

伝道には、困難が伴うことを、ご存知だったからです。この世にあって、御言葉を語ることには、恐れや不安が伴うことを、よくご存知だったからです。

ガリラヤにおいて、復活の主が、弟子たちにこの約束を語られた時、パウロは、その場にいませんでした。ですから、主イエスは、ここで、その言葉を、パウロに与えられたのです。

恐れなくて良い。私は必ず、あなたと共にいて、あなたを守る、と約束してくださったのです。

その約束によって、パウロは励まされ、語り続けることができました。

パウロだけではありません。主イエスは、今も、私たち一人一人に、語られています。

恐れることはない。不安を覚えることはない。私があなたと共にいるではないか。

主イエスは、私たちに、そう言ってくださっているのです。

多くの人に愛されている、「あしあと」という詩を、ご存知だと思います。

ある人が、夢を見ました。その人の人生の、これまでの歩みが、映し出されていました。

そこには、二つの足跡が、刻まれていました。一つはその人の足跡。もう一つは主イエスの足跡でした。でも、ある所に来ると、足跡は一つだけになっていました。

それは、その人の人生の中で、一番辛く、一番苦しい時でした。

その人は叫びました。「主よ、あなたは、なぜ、一番辛く、一番苦しい時に、いなくなってしまわれたのですか。なぜ、私が、あなたを最も必要とした時に、私を見捨てられたのですか。」

主が、答えらえました。「愛する子よ、私は、決して、あなたを見捨てたりはしない。

まして、あなたが、一番辛く、苦しい時に…。あの時、足跡が一つだったのは、私が、あなたを背負っていたからだ。」

主は、私たちを、決して見捨てることありません。どんな時も、共にいて下さいます。

主が共にいてくださる。これ以上の喜びはありません。これ以上の励ましはありません。

ここに、私たちの生きる根拠のすべてがあります。

主は、いつも、私たちと共にいてくださいます。それは、どんな事があっても、揺らぐことはありません。この御言葉に励まされて歩むのが、私たちの信仰生活なのです。

「語り続けよ。黙っているな」という御言葉も、やはり主の約束に、裏付けられています。

その約束とは、「この町には、わたしの民が大勢いる」、という約束です。

「この町には、わたしの民が大勢いる」。一体、この言葉は、どういう意味なのでしょうか。

コリントの人たちは、この世の富や、不品行な欲望に、心を奪われ、退廃的な生活をしていました。そんな町のどこに、神様の民が、大勢いると言うのでしょうか。

しかし、主は、この町には、私の民が大勢いる、と言われています。

私が、十字架で、肉を裂き、血を流してでも、何としても救いたいと願った民が、この町には大勢いる、と言われたのです。

この世のことに夢中になっている、あの人も、この人も、主にとっては、限りない愛の対象なのです。主の目には、救われなければならない、大切な民なのです。

この町には、そのような、私の民となるべき者が大勢いるのだ。だから、語り続けなさい。

主イエスは、パウロに、そう言われたのです。

この言葉を聞いて、パウロは、コリントに一年半滞在して、腰を落ち着けて伝道しました。

愛する兄弟姉妹、主は、今、私たちにも、語り掛けられています。「恐れるな。語り続けよ。わたしがあなたと共にいる。この茅ケ崎の町には、わたしの民が大勢いる」。

皆さん、私たちは、この茅ケ崎に住む人々を、私たち、人間の目線で見るのではなく、神様の目線で、見詰めていきたいと思います。

その時、主が、命懸けで救いたい、と願っていられる人を、そのままにしておくことは、出来なくなると思います。一人でも多くの人に、福音を語ろうという思いに、押し出される筈です。

主は、私たちが、立ち上がるのを待っておられるのです。

その主のご期待に、精一杯応えていくお互いでありたいと思います。