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過去の礼拝説教

「町中を揺るがす福音の力」

2019年05月05日 聖書:使徒言行録 19:23~40

使徒パウロは、第三回伝道旅行において、約三年間エフェソの町に滞在して、じっくりと腰を据えて、伝道をしました。

先週ご一緒に読みました21節によれば、パウロは、エフェソでの伝道に区切りを付けた後、ギリシアのマケドニア州と、アカイア州に渡り、それからエルサレムに行こうとしています。

そして、エルサレムに行ってから、当時、世界の中心地であったローマへと向い、更にその先のイスパニアにまで福音を伝えたいという、壮大な伝道の志を、与えられていました。

それに先立って、パウロは、先ず、弟子のテモテとエラストを、マケドニア州に送り出し、自分自身は、尚しばらくの間、エフェソに留まっていました。

ところが、その時、エフェソの町で、ただならない騒動が起こったのです。

エフェソは、アジア州の州都で、政治や商業の中心地として、繁栄していました。

しかし、それだけでなく、エフェソはアルテミス神殿の門前町としても、栄えていたのです。

アルテミスというのは、ギリシア神話の女神の名です。この女神は、ローマ神話においてはディアーナと呼ばれましたが、この名前の英語読みが、ダイアナです。

元々は、美しく奔放な狩猟の女神でした。しかし、エフェソにおいては、その土地の宗教と結び付いて、子孫繁栄のための、豊穣の女神となっていました。

アルテミスの像の複製が残っていますが、それは、18の乳房を持つ、異様な姿です。

また、神殿には、女神の像と共に、隕石も、ご神体として、祭られていたようです。

35節で、エフェソの町の書記官が、こう言っています。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と、天から降って来た御神体との、守り役であることを、知らない者はないのだ。」

ここで書記官が言っている、「天から降って来た御神体」とは、隕石のことだと思われます。

女神像とご神体の隕石。それらが相俟って、アルテミス神殿は高い権威を誇っていました。

このアルテミス神殿は、当時、世界七不思議の一つとされていたほど、壮大なものでした。

その大きさは、間口43メートル、奥行き103メートルで、有名なアテネのパルテノン神殿の四倍の大きさです。

そこに、直径1.8メートル、高さ16メートルの、大理石の円柱が、100本以上も立ち並んでいた、と言われています。このアルテミス神殿は、エフェソの町の人々の、誇りでした。

各地から、多くの人々が、アルテミス神殿を見るために、エフェソを訪れました。

そして、デメトリオという人を始めとする、銀細工師たちは、これらの参拝者たちに、大神殿の銀の模型を売って、大きな利益を得ていたのです。

ところが、この人たちが、パウロの伝道によって、危機感を抱くようになりました。

それは、パウロが、「手で造ったものなどは、神ではない」と言って、偶像を離れて、まことの神に立ち帰るようにと、宣べ伝えたからです。

パウロは、アテネでも、このように語っていました。17章24、25節です。

「神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。」。

エフェソでも、このような説教が、なされていたと思われます。デメトリオたちには、このようなパウロの言葉が、自分たちの商売への、重大な妨害と写ったのです。

彼らは、偶像礼拝を責められた結果、悔い改めて、まことの神様に立ち帰ったのではなく、むしろ、ますます心をかたくなにして、まことの神様に反抗していきました。

エフェソには、先週読んだように、一方で、悔い改めて、「自分たちの悪行を、はっきり告白した」人々がいました。高価な魔術の書物を、惜し気もなく、焼き捨てた人々がいました。

しかし、他方には、デメトリオのように、悔い改めることをせずに、偶像に固執し、福音に反抗した人たちもいたのです。

デメトリオは、パウロが、「手で造ったものなどは神ではない」、と言っていることに、苛立ちを覚えました。そして、このままでは、自分たちの商売が、成り立たなくなることを恐れて、同業者たちの危機感を、煽り立てたのです。

福音が宣べ伝えられることによって、そのような衝突が起きることがあります。

明治の頃、仏教が盛んな北陸地方などでは、仏壇や仏具を扱う商人たちが、教会になぐり込みに来たということが、しばしば起こったと、伝えられています。

仏壇や仏具の製造者たちにとっては、キリスト教の伝道は、自分たちの仕事への、妨害と写ったのです。

また、遊郭の経営者たちも、キリスト教の伝道を、妨害しようとしました。

明治以来、日本において、キリスト教は、いわゆる廃娼運動の担い手だったからです。

教会は、遊郭通いを、罪として退ける運動を、続けてきました。また、遊郭に売られた、不幸な女性たちの救済にも、力を尽くしてきました。

摩耶山麓の聖女と言われた城ノブも、そのような女性たちの救済に、一生をささげました。

少し、時間を頂いて、城ノブのことを、紹介させて頂きます。

大正時代の初期のことです。城ノブは、親から勘当されながらも、伝道者となって、福音を伝えました。しかし、次第に、言葉による宣教よりも、愛の実践運動に、より強い使命を感じるようになっていきます。

そのころ日本は、深刻な不況に陥っていて、人身売買や家出娘が、急増していました。

また封建的な家族制度のために、悲惨な目に遭う不幸な女性も、後を絶たない状況でした。

ノブは、このような不幸な女性の救済事業に、一身を献げようと思い立ちました。

しかし、その困難な事業を、やっていく力が、自分にあるだろうかと、不安に襲われました。

その時、何よりも、神様に祈り、神様の助けを得なくてはならない、と示されました。

ノブは決心して、大正5年の元旦の夜、ただ一人、神戸市の裏にある、摩耶山に登っていきました。寒風吹きすさむ、凍てつくような、暗い山の中を、ノブは一人で登っていきました。

彼女は、滝のそばに座り、神様と向き合って、一心不乱に祈りました。

「主よ、もし、この事業が、あなたが、私にお与えになった、使命であるならば、どうかその道を示してください。そのために、どうか力を与えてください」。

三日三晩、飲まず食わずで、彼女は祈り続けたのです。

これは、本当に凄いことです。凍てつくような冬の山中で、三日三晩、断食祈祷を続ける。

そんなことは、普通では、到底考えられません。

思いがけない献金も与えられ、ノブは神戸に小さな家を借りて、同情会と名付けた、女性のための施設を開設しました。

すると、全国から不幸な女性が、続々と救いを求めてやって来ました。

自分を捨てて、不幸な女性のために尽くす、ノブの姿は、多くの人の心を動かし、献金は徐々に増えていきました。

中には、自分の薬代を献金した、病人もいました。そして、同情会開設後わずか2年後に、新しい建物が完成しました。

昭和31年の同情会創立40周年までに、同情会で扱った人は、6万人に上ったと言われています。その中から、5人の牧師が出て、110組のクリスチャンホームが誕生しました。

しかし、同情会の事業の発展に伴って、その働きを妨害する動きも、激しくなりました。

遊郭で苦しんでいる女性たちが、傷だらけで駆け込んでくることも、頻繁にありました。

ノブはこうした女性を、身を挺して、命懸けでかばいました。

ピストルや刃物を突き付けられても、一歩もひるまず立ち向かうノブを、暴力団が、殴る蹴るのひどい目に遭わせました。

そのためノブは、耳も目も傷つけられ、後年は耳が、殆ど聞こえなくなってしまいました。

ある時、ドスを懐にしのばせた、暴力団に取り囲まれましたが、ノブは平然として言いました。「わたしは始めっから、社会のため、かわいそうな女のために、命をかけてやっているんじゃ。わたしの運動が悪いと、はっきり言い切れるんなら、わたしを殺したらいい」。

このノブの気迫に押されて、暴力団も渋々退散したそうです。

このような危ない目に、ノブは17回も遭ったそうです。

日本から、公娼制度が廃止されていった背景には、このような働きがあったのです。

現代でも、アジア各国から、騙されて日本に来て、売春を強要されている、不幸な女性たちがいます。そういう女性たちを、救うための、施設があります。

日本キリスト教婦人矯風会が行っているHELPという活動も、その一つです。

HELPとは、House in Emergency of Love and Peaceの頭文字をとった施設名で、不幸な女性と、その子どものための、緊急保護施設、シェルターです。

この活動も、常に、暴力団などの、脅威にさらされながら、続けられています。このような活動は、まことに尊いものだと思います。

しかし、社会全体を見れば、教会が語っている福音が、そのような悪質な商売に対して、実際の妨害になっていることは、ごく僅かです。

本来ならば、私たちが福音を宣べ伝えることによって、それらの商売が影響を受けて、それで金儲けをしている人々が、営業妨害だと言って、どなり込んで来る筈なのです。

その様なことが起こっていない、ということは、私たちの福音宣教の業が、力強さに欠けている、と言えるのかもしれません。

そして、そのことを、私たちは、反省すべきなのかもしれません。

このように考えていく時、エフェソにおけるパウロの伝道が、いかに大きな影響力を、及ぼしたかが、よく分かります。

銀細工師たちが、危機感を覚えて、騒動を起こすほどに、キリストの福音は、この町で影響力を持ったのです。それだけ、人々の生活が、実際に、変えられていったのです。

さて、デメトリオによって、煽動された群衆は、パウロの同行者である、マケドニア人のガイオとアリスタルコを捕らえて、一団となって、野外劇場になだれ込みました。

そして、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」、と叫び続けたのです。

エフェソの野外劇場は、約二万五千人を、収容することができる、大規模なものでした。

そこに、扇動された大群衆が、なだれ込んだのです。

ですから、その集会は、全く無秩序なものとなりました。騒ぎにつられて、やって来た大多数の人は、何のために集まったのか、それすらも、分かっていない、という状態でした。

パウロは、騒ぎを抑えるために、群衆の前に立って、弁明しようとしました。しかし、周囲の人々が、それを止めさせました。群衆が、理性を失っているのが、分かったからです。

しかも、集会の混乱に、さらに拍車をかける出来事が、起こりました。

それは、ユダヤ人たちが、アレクサンドロという男を、前に押し出して、群衆に向かって、弁明させようとした出来事でした。

恐らく、ユダヤ教とキリスト教の違いを弁明させて、自分たちは、あのパウロとは、なんの関係もない、ということを、言わせようとしたのだと思います。

ところが、偶像礼拝を認めないという点では、ユダヤ教もキリスト教と同じでした。

ですから、かえつて、火に抽を注ぐ結果となりました。

彼がユダヤ人であると知った群衆は、一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」、と二時間ほども、叫び続けたのです。

このように、非常に混乱していた集会を、鎮めたのは、エフェソの書記官でした。

書記官は、アルテミスの権威は、すべての人に知られている。それは、パウロの伝道によって、否定されるようなものではない。だから、安心しなさいと、群衆をなだめました。

そして、パウロとその仲間の伝道は、アルテミス神殿を冒瀆するものではない、と言って、パウロを弁護したのです。

そして、最後に、「本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。

この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ」、と警告したのです。

この厳しい警告によって、やっと騒ぎは収まり、混乱した集会は、解散へ向かいました。

これが、エフェソにおいて、この道のことで起きた、ただならぬ騒動の、あらましです。

さて、ここに、「この道」という言葉が出て来ました。23節にある言葉です。

「この道」。イエス・キリストを信じる信仰のことが、「この道」、と言い表されています。

主イエスを信じる信仰に生きる、ということは、一つの道を、歩んでいくことなのです。

信仰とは、難しい教理を学んで、それを理解することではありません。

主イエスが歩まれた道を、その後に従って、歩んでいくことなのです。

頭で理解することではなくて、救いの恵みを、足の裏から、吸収していくことなのです。

その道を歩むことによって、私たちの生き方が、変わっていきます。

カトリック教会の門脇佳吉という神父が、興味深いことを言っています。

「私たちは、私たちの信仰を、キリスト教と呼ぶ。しかし、私たちの信仰は、キリストの教えをただ信じる信仰ではない。キリストと共に道を生きること。それが、私たちの信仰である。

その意味で、『キリスト道』と呼ぶのが、私たちの信仰を、最もよく言い表している。」

この門脇神父の主張に、私も賛成です。私たちの信仰は、キリストの教えを頭で理解し、知識として、身に着けることではありません。

主イエスと共に、道を歩むこと。それが信仰です。その意味では、「キリスト道」という言葉こそ、私たちの信仰を、最もよく表している、と言えるのかもしれません。

日本には古くから、華道、茶道、書道、剣道など、道がつくものが、多くあります。

それらは、単なるお稽古事や、スポーツではありません。それらを通して、道を究め、自らの生き方、生きる姿勢をも、身に着け、確立して行くものです。

「キリスト道」も、主イエスと共に、キリストの道を歩み続けることを通して、私たちの信仰を整え、確立して行くのです。

「この道」。「道」というのは、「わたしは道であり、真理であり、命である」、と語られた主イエスご自身を示しています。

キリストの教えを、頭で理解している者ではなく、キリストの道、この道を、歩んでいる者、この道を、生きている者、この道を、生活している者が、眞の信仰者、キリスト者なのです。

私たちは、ともすると、「キリスト教を信じている者」に留まって、「キリスト道を生きている者」に徹し切れていない、ということがあるのではないでしょうか。

私は知りませんでしたが、道には、必ず始点があり、終点があるそうです。

必ず、初めがあり、終わりがあるそうです。

普通の地図には、書かれていませんが、役所などにある路線図には、始点と終点が、記されているそうです。

私たちが歩む道は、主イエスという道です。ですから、その始点は、主イエスです。そして、終点も、主イエスです。主イエスから始まり、主イエスに至る道です。

この道は、恵みの道です。命の道です。真理の道です。救いから、救いに至る道です。

私たちは、この道を、共に歩んでいるのです。

今朝の御言葉で、もう一つ注目したい言葉があります。それは、「集会」とい言葉です。

32節に、「集会は混乱するだけ」、と書かれていました。また40節には、「この無秩序な集会」、とありました。この「集会」という言葉は、原語では「エクレーシア」です。

エクレーシアとは、集会、集まった者たちの会、という意味ですが、私たちはこの言葉の、もう一つの意味を知っています。それは「教会」です。

初代の教会の人々は、自分たちの群れを、神のエクレーシア、神様によって集められた者たちの集会、と呼んだのです。

教会は、神様の恵みによって集められた、エクレーシア、集会なのです。

しかし、私たちの集会は、エフェソの人々の集会のような、何のために集まったのかさえ、分からないようなものとは違います。

それは、私たちが、主イエスという道を、共に歩んでいるからです。

主イエスの歩まれた道を、主イエスの恵みの中で、主イエスに従って、共に歩んでいく。

その時に、教会は、無秩序な集会ではなくなります。この世に向かって、確かな道を示す群れ、となることができるのです。ここにこそ、歩むべき道がある、この道を歩むならば、幸いな人生を生きることができる。そのことを、身をもって、示していくことができるのです。

私たちは、どのような道を歩み、どのような集会、エクレーシアに生きるのでしょうか。

エフェソの人々は、始点も終点も、分からない道を歩み、混乱と無秩序の集会の中に、生きていました。

しかし、私たちは、主イエスの救いに始まり、主イエスの救いに至る道を歩み、教会という集会、エクレーシアに、生きています。

この恵みに、感謝しつつ、「この道」を、共に歩んでまいりましょう。