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柏牧師:過去の礼拝説教

「神の働きに信頼する恵み」

2019年05月12日 聖書:使徒言行録 20:1~12

今朝の御言葉は、旅立ちの場面から始まっています。パウロは、3年間に亘るエフェソでの伝道に、ひとまずの区切りをつけて、エフェソからマケドニア州へと、旅立ちました。

エフェソを去るに当たって、パウロは、弟子たちを呼び集めて、別れの言葉を語りました。

恐らく、パウロの心には、3年間で体験した、数々の出来事が、走馬灯のように、迫ってきたと思います。嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと。それらが、次々と想い起こされたと思います。

そして、それら全てを益として下さった、神様の恵みに、深く感謝したことだろうと思います。

その感謝に、押し出されて、パウロは、愛する弟子たちに、励ましの言葉を語りました。

そして、エフェソを立って、以前伝道した、マケドニア州とアカイア州を、巡り歩きました。

その地の諸教会を訪ね、そこでも、言葉を尽くして、愛する教会の人たちを、励ましました。

1節と2節に、「励ます」、という言葉が、繰り返して語られています。

この「励ます」という言葉は、原語では「パラカレオー」という言葉です。実は、今朝の御言葉の最後にある、12節の「慰められた」という言葉も、同じ「パラカレオー」という言葉です。

この言葉は、元々は「そばに呼ぶ」、という意味の言葉です。一体、誰を、そばに呼ぶのでしょうか。誰をそばに呼ぶことが、「励まし」となり、「慰め」となるのでしょうか。

この「励ます」という言葉、「パラカレオー」は、聖霊のことを表す「パラクレートス」という言葉と、同じ語源から発しています。

聖霊、「パラクレートス」とは、「そばに呼ばれた者」、という意味です。主イエスは、この言葉を、「助け主」とか、「慰め主」、あるいは「弁護者」、などという意味に、用いておられます。

私たちが、気休めではない、本当の励ましを必要としている時、そばに呼ぶべきお方。

そのお方は、この聖霊なる神様です。

私たちに、まことの励まし、まことの慰めを与えてくださるお方。それが聖霊なる神様です。

パウロが、エフェソの弟子たちに、またマケドニア州の信徒たちに語った、励ましの言葉。

それは、何よりも、聖霊なる神様が、そばにいてくださいますように、ということでした。

助け主、慰め主である聖霊が、あなた方と共にいて、どんな時も、あなた方を守り、支えてくださいますように。これにまさる励ましはありません。これにまさる慰めはありません。

パウロは、愛する弟子たちに、この励ましを、祈り願ったのです。聖霊の助けと、導きに、愛する弟子たちを、委ねたのです。

牧会者というのは、皆、同じです。かつて、この茅ヶ崎恵泉教会を牧会された、高戸先生も、小橋先生も、大門先生も、坐間先生も、教会を去るに当たって、茅ヶ崎恵泉教会を聖霊の導きに委ね、聖霊の助けを、心から祈り求められたことと思います。

教会は、その祈りに支えられているのです。

パウロは、マケドニアから、ギリシアに来て、そこで三ヶ月を過ごした、と記されています。

聖書には書かれていませんが、このギリシアとは、具体的には、コリントのことです。

そして、そこから、エルサレムに行くために、シリア州に向かって、船出しようとしました。

ところが、彼に対する、ユダヤ人の陰謀があることが、分かりました。

季節は春でした。この時期は、過ぎ越しの祭りを祝うために、コリントからも、多くのユダヤ人が、エルサレムに上る計画を立てていました。その同じ舟に、パウロも乗るらしい。

それを知ったユダヤ人たちが、パウロに対して、善からぬことを、画策しているようだ。

パウロは、その情報を得て、陸路でフィリピに戻り、そこから船でトロアスに向いました。

トロアスからエルサレムに向かって、船出することにしたのです。

今回の、パウロのエルサレムへの旅には、多くの同行者が伴いました。

その名前が4節に記されています。「ベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモ」。

この人たちは、各地の教会の代表者です。各地に伝道が進んだ結果、多くの異邦人たちが、主イエスを信じるようになりました。彼らは、生きた証人として、そのことを、エルサレム教会に、報告する役割を、担っていたのです。

また、今朝の御言葉には、記されていませんが、これらの教会の代表者たちは、各地の教会からの献金を、エルサレム教会に届ける役割も、託されていました。

エルサレム教会は、世界で最初に誕生した教会でしたが、ユダヤ人による迫害によって、経済的には、とても厳しい状況にありました。

かつて、エルサレム教会は、異邦人伝道に、批判的でした。自分たちに批判的であった、エルサレム教会など、支援する必要はない、放っておけばよい。そう思うのが普通です。

でも主にある教会の仲間たちは、そうではありませんでした。「エルサレム教会の、貧しい信徒たちを助けよう」、というパウロの呼び掛けに応えて、進んで献金をしたのです。

それぞれの教会の代表者たちは、献げられた献金を携えて、パウロと共に、エルサレムに上ろうとしていたのです。

さて、今朝の御言葉の1節~6節までには、エフェソからコリントへ、そして、そこからまた、トロアスまで戻って来る、という旅の様子が、大変簡潔に語られています。

しかし、実は、この旅は、パウロの生涯において、大変波乱に満ちた、旅であったのです。

この旅の間に、パウロは、深い悲しみと、また大きな喜びを、体験しているのです。

パウロは、エフェソにいた3年間も、自分が開拓した教会のことを、いつも心にかけ、それらの教会に何通もの手紙を書いて、励ましていました。

新約聖書に収められている、パウロの手紙の多くは、このエフェソにて、書かれたものと、見られています。

それらの諸教会の中で、パウロが、最も気にかけていて、ぜひ訪問したいと思っていたのは、コリントの教会でした。

何故彼は、それほどまでに、コリントの教会のことを、気にかけていたのでしょうか。

コリントの教会は、パウロ自身が、開拓した教会でした。しかし、この時、パウロとコリントの教会との関係は、良好ではありませんでした。

交通の便の良いコリントには、様々な人々がやって来て、それぞれが異なった教えを伝えました。その結果、教会は混乱しました。

そして、いくつかのグループが出来て、対立し合うようになったのです。

パウロは、この教会のことを心配して、エフェソ滞在中の3年間に、少なくとも四通の手紙を書き送った、と考えられています。

しかし、そのようなパウロの努力にもかかわらず、パウロとコリントの教会との関係は、悪化の一途を辿りました。

パウロが語った福音を否定し、パウロを使徒として、認めないような人々がやって来て、教会が、その人たちに、引きずられていったのです。

パウロは、エフェソ滞在中にも、コリントの教会との関係を修復するために、短期間でしたが、コリントを訪れたようです。しかし、その訪問は大失敗でした。

彼は、コリントの人々から受け入れられず、かえって溝が深まり、失意の内に、エフェソに戻らざるを得なかったのです。

パウロは、深い悲しみの中で、手紙を書き送りました。その手紙のことが、コリントの信徒への手紙二の2章4節で語られています。

「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした」。

「涙ながらに手紙を書いた」とあることから、この手紙は、「涙の手紙」と呼ばれています。

パウロが、産みの苦しみを味わって、開拓したコリントの教会。パウロは、その教会を、どれほど愛していたことでしょうか。しかし、今、その教会と、心が通い合わないのです。

自分の祈りに反して、教会が間違った方向に、行こうとしている。それを正そうとすればするほど、教会との溝が深まってしまう。パウロは、どれほど悲しみ、涙を流したことでしょうか。

この「涙の手紙」を書き送り、続いてパウロは、同労者であるテトスを、コリントへと遣わしました。パウロは、テトスからの報告を、一日千秋の思いで、待ちました。

しかし、テトスからの報告は、なかなか届きませんでした。パウロは、いてもたってもいられなくなって、エフェソを出発して、マケドニアへと向かったのです。

実は、それが、今朝の御言葉の冒頭にある、エフェソを旅立つ、直接の動機だったのです。

そして、マケドニアで、彼は、コリントから戻ってきたテトスと、漸く会うことができました。

では、その結果は、どうだったでしょうか。

テトスは、思ってもみなかった、大きな喜びの知らせを、パウロに届けたのです。

パウロが、涙を流して書き送った、あの手紙によって、コリント教会の人々は、悔い改めたのです。パウロが伝えた福音に、再び心を開いたのです。

パウロは、テトスの報告によって、言葉に言い尽くせない、喜びを体験しました。

その喜びを持って、コリントに到着し、三ヶ月の間、コリントの教会の人々と過ごしました。

この三ヶ月は、パウロにとって、まことに喜ばしい、充実した時だったと思われます。

このコリント滞在中に、パウロは、「ローマの信徒への手紙」を書いています。

パウロ書簡の金字塔とも言える、「ローマの信徒への手紙」は、今朝の御言葉にある、ギリシアでの三ヶ月間、具体的には、コリントでの三ヶ月間に、書かれたのです。

もし、コリントの教会が、悔い改めて、正しい福音に立ち帰らなかったならば、「ローマの信徒への手紙」も、書かれることはなかったかもしれません。

簡潔に、淡々と語られている、エフェソからトロアスまでの旅ですが、この時、パウロは、伝道者としての、深い悲しみと共に、大いなる喜びをも、体験していたのです。

このパウロの悲しみと喜びは、同時に、神様の悲しみであり、喜びでもありました。

パウロが、コリント教会の人々の様子によって、喜んだり、悲しんだりしたように、神様も、私たち一人一人のことで、喜んだり、悲しんだり、なさっているのです。

パウロは、涙を流して、教会員のために祈りました。その時、神様も、涙を流しておられたのです。パウロが、テトスの報告で、喜んだとき、神様も、喜んでおられたのです。

福音に対する、私たちの応答の一つ一つが、神様の喜びとなり、また悲しみとなるのです。

私たちは、神様を悲しませるのではなく、喜んでいただくような、応答をしたいと、願わされます。そ

して私たち自身も、涙を流して、愛する人たちに、福音を伝えていきたいと思わされます。

そして、神様と共に、豊かな収穫の喜びに、与りたいと思います。

さて、今朝の御言葉の後半には、トロアスにおける、一つの出来事が記されています。

パウロは、トロアスに七日間滞在しましたが、その最後の日に、この出来事は起こりました。

その夜、トロアスのキリスト者たちが、パウロの話を聞くために、集まってきました。

翌日には、ここを去るということもあって、パウロの話は、夜中まで続いたのです。

その時、窓に腰掛けて、パウロの話を聞いていた、エウティコという青年が、パウロの話が長々と続いたので、つい眠り込んでしまい、三階の窓から下に転落してしまいました。

人々が慌てて降りていって、抱き起こしてみると、既に死んでいました。

ここで「もう死んでいた」、と書いたのは、使徒言行録の著者ルカです。彼は医者でした。

医者のルカが、「もう死んでいる」、と診察したのです。ですから、この青年は本当に死んでしまったのです。

しかし、パウロは、この青年を抱きかかえて、「騒ぐな。まだ生きている」と言いました。

「まだ生きている」。この言葉は直訳すれば、「彼の魂は彼の内にある」、となります。

パウロは、死んでしまった青年を抱き上げて、「騒ぐな。なぜなら、彼の魂は彼の内にあるのだ」、と宣言したのです。

医者のルカが、「もう死んでいる」、と診断したのです。でも、パウロは、「いや、彼の魂は彼の内にある」、と言い切ったのです。

望み得ない状況で、尚も、望み続ける信仰が、ここに見られます。求められないものを、尚も、求め続ける信仰が、ここにあります。

パウロの宣言によって、この青年は生き返りました。死者の復活という奇跡が、パウロによって行われたのです。いえ、パウロを通して、神様によって、行われたのです。

ここで大切なことは、この出来事がいつ、どのような場で、起ったのか、ということです。

そのことが、7節の始めに語られています。それは、「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっている」、時に起きたのです。

週の初めの日。それは日曜日です。日曜日に、人々はパウロのもとに、集まったのです。

それは、パウロの説教を聞くためでした。そして、「パンを裂くため」でした。

パンを裂くというのは、聖餐のことです。説教を聞き、聖餐に与るために、集まったのです。

ですから、それは、礼拝をするために、集まったということです。人々は、日曜日に、礼拝をするために集まってきたのです。そこで、この奇跡が起きたのです。

教会は、主が復活された日曜日に、礼拝を守ってきました。しかし、初代教会の時代には、日曜日はまだ、休日ではありませんでした。

ローマ帝国が、漸くキリスト教会を、公認したのが313年です。そして、礼拝をささげる日として、日曜日が休日と定められたのは、321年と見られています。

しかし、その前からも、教会の人たちは、日曜日に、礼拝を守ってきたのです。

トロアスの町で、礼拝をするために集まっていた人々の多くは、昼間働いた後に、夕方になって集まって来た人たちでした。

エウティコもそうだったのだと思います。一日の仕事を終えた後、礼拝に来て、長々と続く、パウロの説教を聞いていたのです。

この人たちは、今、私たちが、休日である日曜日の朝に、礼拝を守っているのとは、比べものにならないほど、厳しい環境の中で、礼拝を守っていたのです。

その中で、エウティコは、襲ってくる睡魔と、必死に戦ったのだと思います。

しかし、そのような必死の努力にも拘らず、ついに居眠りをし、転落してしまったのです。

エウティコは、神様の御言葉を、必死に求めていた青年です。しかし、心は燃えても、体は疲れていて、つい寝てしまったのです。

ですから、この箇所から、牧師が長い説教をしてはいけないとか、説教中の居眠りは、初代教会からの伝統である、などという意見を、安易に引き出してはいけないのです。

私たちが、ここで、見つめなければならないのは、疲れた体に鞭打って、それでも御言葉を聞こうと、必死に努力している人の姿です。

言い換えれば、命がけで、主の日の礼拝を守ろうとしている、信仰者の姿です。

その時、その礼拝のただ中で、奇跡が起こったのです。

この奇跡物語で、不思議に思うことがあります。それは、エウティコが、息を吹き返したのは、いつの時点なのか。そのことが書かれていないのです。

そこで分かることは、聖書が、この出来事を通して、私たちに、伝えようとしていることは、単なる死者の復活の出来事ではない、ということです。

もし、死者の復活の出来事を、伝えたいなら、「エウティコよ、起きなさい」、とパウロに言われて、起き上がる。そのような情景を書く筈です。

ところが、それが書かれていないのです。それは、聖書が伝えたいことが、別のところにあるからです。

この出来事を通して、聖書が、私たちに、語ろうとしていること。

それは、説教を聞き、聖餐に与っている、その礼拝のただ中に、生きた命がある、ということです。礼拝において、私たちは、主の復活の恵みに与り、新しい命に生かされるのです。

この奇跡物語は、主の日の礼拝の恵みを、語っているのです。

主の日の礼拝とは、そのようなことが起る場なのです。

礼拝において、私たちは、主イエスの十字架による、罪の赦しの宣言を聞きます。

そして、主イエスの復活を通して、死の力に打ち勝つ、新しい命の約束を、握り締めます。

それが、礼拝において、起きる出来事なのです。

エウティコの姿は、私たちの姿を象徴しています。私たちは、罪を繰り返し、人を傷つけながら、自分自身も深く傷つき、そのままでは、癒されることなく、死んだような者です。

そんな私たちを、主イエスは、御手に抱きかかえてくださり、「騒ぐな。まだ生きている」。「彼の魂は彼の内にある」、と宣言して下さるのです。

なぜなら、この私が、十字架の死と復活によって、新しい命を、あなたに与え、あなたを新しく生かすからだ、と宣言してくださるのです。

その宣言によって、死んでいる私たちが、生き返るのです。新しく生かされるのです。

そのことが、この主の日の礼拝において、起っているのです。私たちは礼拝において、その新しい命を、生き始めるのです。

そのことを、信じ、感謝しつつ、共に歩んで行きたいと思います。