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過去の礼拝説教

「神に祈るか 人に頼るか」

2018年12月09日 聖書:使徒言行録 12:12~25

私たちは、思ってもみなかった、神様の恵みに、突然、出会う時があります。そんな時、私たちは、愛する人、親しい人と、その喜びを、分かち合いたいと思います。

ヘロデ・アグリッパ王の、政治的な野心によって捕えられ、処刑寸前であったペトロは、天使の不思議な導きによって、脱出不可能と思われた牢から、救い出されました。

この時、ペトロの心には、言葉に言い尽くせない、感謝と喜びが、こみ上げてきました。ペトロは、この喜びを、真っ先に、教会の仲間たちと、分かち合いたい、と思いました。それで、仲間たちが、集まっていると思われる、家に急ぎました。

時は、真夜中でした。しかし、ペトロには分かっていました。きっと、教会の仲間たちは、夜も眠らずに、私のことを、祈っていてくれているに違いない。

その確信があったペトロは、教会の人たちが、いつも集まっていた、ある家を訪ねました。

ペトロが想像した通り、その家には、大勢の人が集まって、夜を徹して祈り続けていました。その家とは、マルコと呼ばれていた、ヨハネの母マリアの家です。

25節にも出てくる、このマルコとは、この後、バルナバとサウロと一緒に、伝道旅行に行った人です。そして、マルコによる福音書を書いた人です。

このマルコの母マリアの家は、初代教会にとって、重要な役割を果たしていました。伝承によりますと、この家は、主イエスと弟子たちが、最後の晩餐をした家であり、あのペンテコステの出来事も、この家で起きたのだろう、と言われています。

当時、エルサレム教会には、まだ会堂がなく、信徒の家に集まって、礼拝や集会をしていました。そのような家の一つが、マルコの母マリアの家でした。

この家にはロデという女中さんがいて、ペトロが門の戸を叩くと、取り次ぎに出てきました。

彼女は、声を聞いただけで、門の外の人が、ペトロだと分かりました。そして、喜びのあまり、門を開けもしないで、家に駆け込み、ペトロが門の前に立っている、と告げたのです。

先ず、門を開けて、ペトロを迎え入れるべきなのに、あまりにも嬉しくて、皆のところに、すっ飛んで行ってしまったのです。

過越の祭りの頃、エルサレムの夜は、冷え込みます。それなのに、ペトロを外に放っておいて、家に駆け込むとは、何とそそっかしい人だろう、と思ってしまいます。

しかし、この使徒言行録を書いたルカは、彼女の失敗は、「喜びのあまり」出たことだと、温かい表現で記しています。

ここだけではありません。ルカは、主イエスが、ゲツセマネで祈った時、ついて行ったペトロとヨハネとヤコブが、「悲しみの果てに、眠り込んでしまった」、と書いています。

信仰がないために、直ぐに寝こけてしまった、とは書いていません。悲しみに疲れ果てて、眠ってしまった、と書いているのです。

主イエスの優しさを学んだ人は、このルカのように、他人に対しても、表面的な行動ではなく、その人の心の内側を見て、評価するという、思いやりを示ことができるのだと思います。

茅ヶ崎恵泉教会が、そのような、主イエスの優しさに、倣う群れとなりますように、共に祈ってまいりたいと思います。

この時のロデの行動は、緊張した場面であるにもかかわらず、何ともユーモラスです。

恐らくロデは、「皆さん、ペトロさんです。ペトロさんが、門の外に来ています」と、興奮して叫んだのだと思います。喜びに、声が上ずっていたかもしれません。

すると、それを聞いた人々は、「あなたは気が変になっているのだ」、とロデに言いました。

ロデの額に手を置いて、「ロデ、あなた大丈夫」、と言った人も、いたかも知れません。

「ロデ、あなた、ペトロさんを心配するあまり、おかしくなってしまったんじゃないの。少し休んだら」、と言った人も、いたかも知れません。

しかし、ロデが、尚も、「本当なんです。本当にペトロさんが、来たのです」、と言い張るので、「それは、きっと、ペトロを守る天使だろう」、と言い出す人もいました。

当時、ユダヤ人たちは、すべての人に、それぞれ守護天使がついている、と信じていました。ですから、この時も、ペトロの守護天使が、来たのだろう、と言ったのです。

彼らは、ペトロのために、熱心に祈っていました。「主よ、御心ならば、どうぞペトロをこの死の危機から救い出して下さい。どうか私たちの許に帰して下さい」、と祈っていたのです。

その祈りが、まさに聞き届けられて、実現したのです。ところが彼らは、その現実を、信じることができませんでした。

「そんなことがある筈はない」、という思いが、彼らの言葉から、聞き取れます。ですからペトロが、実際に、門の所に立っているのを見た時、彼らは非常に驚いたのです。

ということは、彼らは、熱心に祈りながらも、その祈りが、本当に聞き届けられるとは、思っていなかった、ということになります。

このことは、私たちに、多くのことを教えてくれます。

祈り願いながらも、いくら神様でも、こんなことができる筈はない、とどこかで思っている。これは、私たちにも、思い当たる節があると思います。

では、これは、不信仰な姿なのでしょうか。この箇所についての、註解書を読みますと、その多くが、この時の教会の人々の様子を、不信仰な祈りの姿である、と言っています。

そして、神様は、このような、不信仰な祈りにも、応えられたのだ、と書いてあります。

でも、果たして、彼らの祈りは、不信仰な祈りであったのでしょうか。

エルサレム教会の人たちは、神様は何でもおできになられる、全能のお方であると、信じていたと思います。

そして、神様は、祈りを必ず聞いてくださるお方であることも、信じていたと思います。

しかし、彼らは、ペトロが、どれほど厳重な監視の下に置かれているかを、知っていました。常識で考えれば、脱出の可能性は、先ずあり得ない、という状況を知っていたのです。

ですから、ペトロが門の前にいると聞いても、そんなことは、ある筈がないと思ったのです。だからと言って、「どうせ祈っても無駄だ」と言って、祈ることを止めていたのではないのです。教会の人たちは、祈り続けていたのです。叶えられる可能性は、限りなくゼロに近いと思いつつも、祈り続けていたのです。

これは、不信仰な祈りなのでしょうか。私には、そうとは思えないのです。

実は、これが、私たちの、ありのままの信仰の姿であると思うのです。

マルコによる福音書の9章に、てんかんの霊につかれた子どもの父親の話が出てきます。

この父親は、子どものてんかんを、治して貰おうと、あらゆる努力をしました。

でも、治ることがなく、藁をも掴む思いで、主イエスを訪ねました。たまたま、主イエスは、そこにおられなかったので、弟子たちに、癒していただきたい、と願いました。しかし、弟子たちには、癒すことができませんでした。

最後の望みであった、主イエスはおられず、主イエスの弟子では、癒すことができない。

父親は、絶望的な思いに陥っていました。そこに、主イエスが、帰ってこられました。

父親は、思わず叫びました。「もし、おできになるなら、私どもを憐れんでお助けください。」

その時、主イエスは、父親に言われました。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」 これは、大変厳しいお言葉です。

藁にもすがる思いで、必死になって、「もしできるなら、憐れんでお助けください」、と言った父親に、主イエスは、「もしできればというのか。お前は、信じているのか、いないのか、どちらなのだ」、と迫られたのです。

追い詰められた父親が、思わず叫びました。「信じます。信仰のない私をお助けください」。

「信じます。不信仰な私を、お助けください」。これは矛盾した答えです。

でも、これが、私たちの、偽りのない、信仰の姿ではないでしょうか。

私たちは、信じているのです。神様には、出来ないことなど、何一つない。そのことを信じています。ですから、神様に、心を注ぎ出して、祈るのです。祈り続けるのです。

でも、私たちは、神様は全能のお方だと、信じていながらも、その神様の偉大な御力を、その偉大なご計画を、知り尽くすことが出来ないのです。

ですから、自分の理解できる範囲で、御心を捉えようとしてしまいます。さすがに、これは、神様でも無理だ、と思ったり、諦めたりしてしまいます。

てんかんの子の父親も、半ば諦めていたのです。信じていなかった訳ではありません。

神様の全能の御力は、自分なりに信じている。だけど、これは無理だろうと、半ば諦めている。この矛盾した信仰が、私たちの正直な姿ではないでしょうか。

ですから、主イエスから、本当に信じているのか、それとも信じていないのか、と問い詰められた時、「信じます。不信仰な私を、お助けください」、と叫ばざるを得ないのです。

この矛盾した答。これを、不信仰だと言われれば、その通りかもしれません。でも、信じていない訳ではないのです。

ただ、神様の御力が、あまりにも大きいので、その大きさを、理解できていないのです。神様のご計画があまりにも偉大なので、その偉大さを、分からずにいるのです。神様の御心が、あまりにも深いので、その御心を、量りかねているのです。

ですから、「御心ならばおできになります」と、信じて、祈っていながら、そんなことはあり得ないだろう、と心の中で思ってしまうのです。

この時の、エルサレム教会の人たちの祈りは、決して褒められたものでは、なかったかもしれません。不信仰な祈りだと言われれば、返す言葉がないかもしれません。

でも、この時の、エルサレム教会の人たちの、状況を考えてみてください。

この少し前に、使徒ヤコブが、ヘロデによって殺されています。ヤコブの時も、教会は、熱心に祈ったと思います。「どうかヤコブをお救いください」、と熱心に祈ったと思います。

しかし、ヤコブは処刑されてしまいました。神様は、ヤコブを御許に召されたのです。

その時、教会の人たちは、ヤコブを召されることが、神様のご計画だったのだ、と知らされました。ですから、神様は、ペトロをも、召さるかも知れない。それが、ご計画かもしれない。そう思っていたとしても、不思議ではありません。

ですから、こう祈っていたと思います。「神様、あなたは、先に、ヤコブをお召しになられました。でも、御心ならば、ペトロを救い出してください。御心ならば、あなたは、ペトロを、救い出すことが、お出来になります。」

そう祈りながらも、彼らは、知らず知らずの内に、神様の御心を、自分たちの限られた知識の中で、捉えようとしていました。無意識の内に、自分たちの理解できる範囲に、神様のご計画を、閉じ込めてしまっていました。

ですから、あの厳重な監視の中から、脱出することは、あり得ないと思っていたのです。

神様の全能の御力を、信じていました。けれども、それは、自分の小さな頭で、理解できる範囲を、超えることはできなかったのです。

では、祈ることは、無意味なのでしょうか。そんなことはありません。それでも祈ることが大切なのです。主は、そのような祈りをも受け入れてくださり、応えてくださるのです。

「信じます。不信仰な私をお助けください」、という矛盾した祈りをも、受け入れてくださり、恵みをもって応えてくださるのです。

私たちの思いを、遥かに超えて、主がご計画された最善を為してくださるのです。私たちの神様は、そのような、広い愛のお心を、お持ちのお方なのです。ですから、祈り続けなければならないのです。

さて、21節以下には、ヘロデ・アグリッパの最期が、語られています。

この時の情景は、歴史家ヨセフスの記した、『ユダヤ古代誌』に詳しく記されています。

それによりますと、この時、ヘロデは、銀の糸で織られた衣装をつけて、カイサリアの円形劇場へ入場しました。朝の光がその衣装に当ると、衣が反射してきらきら輝きました。

会衆の目には、後光が射しているかのように、見えたようです。そこで、へつらう人たちが、ヘロデを、神だと叫び出しました。

ヘロデはこれを聞いても、止めようとはしませんでした。むしろ喜んで、人々の声を、受け入れていたのです。自分を神として、自分に栄光を帰していったのです。

ところが、ヘロデは、小さな虫に食われ、5日間苦しんだ末に、死んでしまったのです。

ヘロデは、力ある権力者でした。しかし、その栄光は、小さな虫に食われて、一瞬にして滅んでしまうような、はかない栄光でしかなかったのです。

人間は、どんなに権力を持っていても、神に代わることは、決してできません。

ペトロは、そのことを、よくわきまえていました。彼がコルネリウスの家を訪れた時、コルネリウスは、ひれ伏して、ペトロを礼拝しようとしました。するとペテロは、「お立ちください。私もただの人間です」と言って、彼を起しました。

ヘロデも、人々が、「神の声だ。人間の声ではない」、と叫んだ時に、「いえ、私は、神ではありません。ただの人間です」、と言うべきであったのです。

それなのにへロデは、叫び続けている民衆を、止めようとせず、その声を喜んでいました。「するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した」のです。

御言葉は、その理由を、ヘロデが、「神に栄光を帰さなかったからである」、と明快に述べています。ヘロデは、既にヤコブを殺しています。そして、今また、ペトロをも殺そうとしました。その罪は、決して軽くはない筈です。

しかし、そのことの故に、ヘロデは裁かれて死んだ、とは記されていません。

彼が裁かれたのは、それよりももっと深く、もっと重い罪のためである、というのです。

それは、自分を神と等しい者とし、神の受けるべき栄光を、自分が受けようとした罪です。

人間にとって、これほど大きな罪はありません。すべての、人間の罪の根源は、自分が神になろうとすることにあります。

まことの神を恐れず、自分を神とし、自分中心に生きること。そこから、すべての罪が生まれてくるのです。神の御心を第一にするのではなく、自分の欲望を満たすことを、第一とする。人間の罪は、すべて、そこからスタートしています。

人類最初の罪もそうでした。アダムとエバが、楽園を追われたのは、禁じられた木の実を食べたからです。

その時、二人を誘惑したサタンは、これを食べると、神の様になれる、と言って誘いました。神の様になりたいと思った二人は、その言葉に負けてしまったのです。

バベルの塔の罪も、同じです。神の様になろうとした人間を、神様が罰した出来事が、バベルの塔の出来事です。

人類の歴史の初めから、人間は、神の様になりたいとする、罪を犯し続けています。

そして、その結果、神様の裁きに遭うという失敗を、繰り返してきました。

しかし、神様に栄光を帰そうとする者を、神様は、豊かに、祝福してくださいます。

私たちは、自分の栄光を求めず、神様の栄光をひたすら求め、豊かな祝福に与った人々を、何人も知っています。

幕末から、明治維新にかけて、多くの宣教師たちが、日本にやってきました。

その時、未だ、日本では、キリスト教は、禁じられていました。ですから、日本に行っても、布教できる訳ではなかったのです。それにもかかわらず、宣教師たちは、布教の見通しが、全く立っていない日本に、命懸けでやって来たのです。

ヘボン式ローマ字で有名なヘボンは、アメリカで成功していた医者でした。

しかし、彼は、「医師がいなくて、神を知らない国に宣教したい」との願いから、44歳にして、成功していた病院も、屋敷も、別荘も、すべて売却して、日本へやってきたのです。まだ14歳であった、最愛の一人息子は、寄宿舎に入れて来たのです。

そして、神奈川や横浜で無料の診療をする一方で、聖書の和訳に一生をささげました。

立教大学を創立した、チャニング・ムーア・ウィリアムズは、多くの教会や、学校や、孤児院を設立しましたが、最も重要なことは、その生き方でした。

当時の聖公会主教の月給は、現在のお金で約 150 万円でしたが、生活費には、その内の約 6 万円だけを当てて、残りはすべて社会福祉活動に当てていました。

いつも粗末な食事で済ませ、冬もストーブを焚かず、服も古着屋から買い求めた物をいつまでも着ていました。帰国する時も、誰にも知らせず、一人でひっそりと、日本を離れたそうです。

彼の墓には、「日本在住五十年 道ヲ伝ヘテ己ヲ伝ヘズ」、と刻まれています。

道を伝えて、己を伝えずとは、神様の栄光のみを求めて、自分の栄光は求めなかった、ということです。ヘロデとは、全く対照的な生き方です。

神様は、このような者を、豊かに祝福して下さるのです。このような生き方を目指して、ご一緒に歩んでまいりましょう。