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過去の礼拝説教

「思いがけない恵み」

2019年10月06日 聖書:使徒言行録 28:1~16

私たちの人生には、当初予定していなかった、様々なことが起こります。

思いがけない回り道をしたり、望んでもいない寄り道を、余儀なくされることがあります。

そのような、予定外の回り道や、寄り道をしなければならなくなった時、私たちは焦ります。

「どうして目標に向かって、真っ直ぐに進めないのか」、と苛立ったりします。

しかし、後になって、振り返ってみると、そのような回り道や寄り道は、決して無駄ではなく、確かな意味があったのだ、と知らされる。そういうことが、多いのではないでしょうか。

あの回り道や、寄り道があったからこそ、今の自分があるのだ。人の思いと、神様の思いとは違うのだ。そのことを、後になって、知らされるのです。

余計な回り道や、寄り道だと思っていたことに、大切な意味があった。そして、それは、私にとって、必要なことだったのだ。そのことを悟らされ、神様のご計画の素晴らしさに、打ち砕かれる。そういうことがあるのではないでしょうか。

今はまだ、その意味が分からない、という方もおられるでしょう。まだ、受け入れられない、という方もおられるでしょう。しかし、いつか、必ず、分からせていただけます。

この世にいる間には、遂に分からせて頂けなくても、天国で分からせて頂ける、ということもあるかもしれません。

そのような人生の回り道、寄り道は、誰にでもあります。私にもありました。

私は、18歳の時、大学受験に際して、神学校に進んで、牧師・伝道者の道を歩もうと、チラッと思ったことがあります。

しかし、その時は、神様からの、明確な召しを受けていなかったので、献身の淡い思いは、春の雪のように、はかなく消えて、大学は経済学部に進み、銀行に就職しました。

その後、様々なことがありました。山あり、谷ありの、サラリーマン人生でした。

しかし、そんな中で、神様は、少しずつ私を、御許に引き寄せてくださいました。

そして、58歳になった時、祈りの中で神様は、「仕事を辞めて、献身しなさい」、と強く語り掛けられました。18歳の時に抱いた、淡い献身の思いから、実に40年が経っていました。

何という遠回りをしたのかと思います。しかし、愚かで、鈍くて、罪深い私が、伝道者として整えられるのには、40年という歳月が、必要であったのです。

ちょうど、イスラエルの民が、約束の地カナンに入るために、40年間も荒野で訓練されたように、私にも、その年月が必要であったのです。

それは、本当に大きな回り道に、思えるかもしれません。しかし、神様のご計画では、そうではなかったのです。神様は、必要不可欠な時として、その40年を備えて下さったのです。

目標を達成するには、真っ直ぐな一本道だけでなく、様々な回り道や、試練もあります。

しかし、ある人が、こう言っています。「望んだ試練は一つもなかった。けれども、感謝しなかった試練も、一つもなかった。」

私たちの人生には、様々な試練があります。誰も、試練など望みません。

しかし、後になって、振り返る時、それらの試練を、感謝をもって、受け止めることができる。これが、神様の恵みの世界です。

そのような回り道や試練は、使徒パウロの、ローマへの旅にもありました。

世界の中心である、ローマに行って、そこで伝道する。それは、パウロの長年に亘る、切なる願いでした。しかし、その旅は、なかなか実現しませんでした。

パウロが、ローマにおける伝道を示されたのは、19章21節にあったように、エフェソでのことです。そうであれば、エフェソから、ローマに直接向かえば良かったのです。

その方が、距離的にもずっと近いし、船の便も、エフェソの方が、良かったと思います。

しかし、パウロは、そこから、わざわざ遠回りをするように、エルサレムに向かったのです。エルサレム教会に、献金を届ける使命を、与えられていたからです。

パウロにとって、エルサレムは危険な町です。多くのユダヤ人たちが、裏切り者パウロの命を狙って、待ち構えていたからです。

案の定、そのエルサレムで、パウロは、ユダヤ人たちから、無実の罪で訴えられ、その結果、カイサリアの牢に、2年間も幽閉されてしまいました。

それは、ローマでの伝道を、今か今かと、待ち望んでいたパウロにとっては、とてつもなく長い時間に、思えたことだろうと思います。

しかし、パウロは、いつか、必ず、ローマに行けることを、確信していました。それは、主イエスから、「あなたは必ず、ローマで伝道することになる」、という約束を頂いていたからです。

この確信の下に、パウロは、カイサリアでの2年間の牢獄生活を、有効に用いました。

新約聖書に収められたパウロの手紙のいくつかは、ここで書かれたと言われています。

そのローマへの旅は、意外な形で実現しました。無実の罪で、ユダヤ人たちから訴えられたパウロは、ローマの市民権を持っていたので、ローマ皇帝に上訴しました。

そのためパウロは、囚人として、ローマに送られることになったのです。

その船旅の途中で、パウロの乗った船は、激しい嵐に巻き込まれ、14日間も、荒れ狂う地中海の海を、漂流することになってしまいました。

船に乗っていた人は皆、死を覚悟しました。しかし、神様から約束を与えられていたパウロは、ローマに行けることを、確信していました。

そして、神様の約束の通り、パウロたち一行は、座礁して難破した船から、海に飛び込んで、やっとの思いで、マルタ島に上陸することができたのです。

今朝の御言葉葉は、このマルタ島における出来事と、そこからローマまでの、パウロの旅路を語っています。苦しい、困難な旅を経て、漸くパウロは、ローマに到着しようとしています。

既に、お気付きかと思いますが、今朝の御言葉は、「わたしたち」、という言葉で語られています。「わたしたち」の「わたし」とは、この使徒言行録を書いたルカのことです。

ルカも、パウロのローマへの旅に、同行していました。パウロと共に、嵐の海に苦しみ、難破して、マルタ島に泳ぎ着くという、九死に一生を得るような、体験をしたのです。

ルカも、パウロと共に、劇的な体験をしました。しかし、ルカは、そのことを、実に淡々と記しています。それは、ルカにとっては、自分の劇的な体験よりも、それを通して示された、神様の恵みを伝えることの方が、大切であったからです。

今朝の箇所が語っている出来事の主人公は、言うまでもなくパウロです。

しかし皆さん、お気付きになられたでしょうか。パウロはここで、一言も喋っていません。

嵐の海で漂流し、船は難破して、命からがら、ようやくマルタ島に流れ着いた。

そして、そこで、住民の温かいもてなしを受けた。また、蝮に噛まれても、何ともないという、驚くべき神様の恵みに与り、更に、その地の長官の父親を癒す、という奇跡をも体験した。

このような劇的なことを体験したにも拘らず、パウロはここで、終始無言です。

何故でしょうか。それは、体験そのものが、豊かに語っているからです。出来事それ自体が、無言の証しとなって、語り掛けているからです。

それは、私たちにも言えることです。最も有効な伝道とは、言葉ではなくて、私たち自身の救いの体験を、実際に示していくことです。それが、百万の言葉にもまさる、伝道のメッセージなのです。私たちの生き方そのものが、最も大切な証しなのです。

では、ここでの出来事を通して、御言葉は何を、私たちに語っているのでしょうか。

この箇所を通して、御言葉は、伝道する者の姿を、私たちに伝えているのだと思います。

伝道する者とは、どのような存在で、如何にあるべきか。そのことを、語っています。

嵐の海で座礁し、難破した船から、命からがら浜辺に、泳ぎ着いたパウロたちは、島の人たちの、温かいもてなしを受けました。

もう冬も間近で、寒い朝でした。疲労困憊していたパウロたちを、この島の住民たちは、大変親切に迎えてくれました。「降る雨と寒さをしのぐために、たき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれた」、と2節にあります。

伝道者は、異教の地で、様々な困難にさらされ、迫害を受けることが多いのです。しかし、また一方で、こうした見知らぬ人々の好意に触れて、慰められることも、少なくありません。

神様は、ご自身のご計画を達成するために、必要な備えを用意してくださるのです。

この焚火の炎は、パウロたちの、凍えた身と心を温めてくれました。それは、暗闇に燃え上がる愛の光でした。

でもパウロは、土地の人たちの好意を、一方的に受けていた、だけではありませんでした。

疲れた体を励まして、一抱えの枯れ枝を、自分でも集めて来て、焚火にくべたのです。愛の炎を絶やさぬためです。愛は、与えられっぱなしでは、ダメなのです。

愛は、与え合うことによって、増し加えられていきます。炭火は、ただ一つだけでは、すぐ消えてしまいます。でも、いくつかの炭火が、互いに寄り添って、長持ちする火種になります。

見知らぬ土地で、初めて出会った人たちの、愛の好意に、精一杯の思いで、応えようとする伝道者パウロの姿勢が、ここに示されています。

ところが、パウロがその焚火に、一束の枯れ枝をくべると、その中に蝮がいて、パウロの手に噛みついたのです。

それを見た島の人たちは、「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ」、と互いに言い合いました。

きっとこの人は、人殺しをした極悪人だろう。だから、嵐の海からは助かっても、正義の女神は、彼を見逃しにせずに、蝮に噛まれて死ぬのだ、と思ったのです。

人々は、パウロがいつ倒れるか、いつ死ぬかと、じっと見守っていました。しかし、いつまでたっても、パウロには、何の変化もありません。

すると今度は、うって変わって、「この人は神様だ」、と言い始めたのです。

蝮の毒が、パウロに全く及ばないのを見て、島の人々の態度は、一変したのです。

伝道者は、見知らぬ土地で、困難な状況に、追い込まれることがあります。

周りの人たちから見れば、いつ倒れるか、いつ息の根が絶えるか、と思われるような状況に、立たされることがあります。

しかし、そのような、絶体絶命のようなピンチの中でも、伝道者が神様に守られ、尚も堅く立っているのを見て、人々の見る目が、変わっていくのです。

明治の後半に、石川県加賀市の大聖寺町で伝道した、長尾巻という牧師がいました。

そこは、今でも、日本で、最も伝道が難しい、と言われている地です。しかし、長尾巻が伝道した、明治の時代は、今とは比べ物にならない位、厳しい時代でした。

キリスト者は、「国賊」と罵られ、牧師や宣教師が、川に突き落とされたり、石を投げつけられたりすることは、日常茶飯事でした。

教会堂に、火をつけられたことも、あったそうです。長尾巻の家を挟んだ、両側の十字路には、高い竹の垣根が作られ、道を塞がれてしまったこともありました。

町内では、長尾一家には、一切物を売らないという、不売運動が起こされました。文字通り、兵糧攻めに、遭ったのです。

仕方なく家族が、代わる代わる、18キロも離れた隣の町まで、買い出しに行かなければなりませんでした。迫害は親たちだけでなく、子どもたちにも及びました。

長男は、弁当に唾を吐きかけられ、三女は土手の上から、川の中に突き落とされました。

そんな中で、前科7犯の、評判のならず者が救われる、ということが起こりました、巻が根気よく諭し、どんな人も、主イエスを信じれば救われると、熱心に語り続けた結果、この人が最初の受洗者となりました。

ならず者が、生まれ変わったのを見て、町の人たちは驚きました。

また、巻の妻のまつえが、ひどい虐待を受けていた、8歳の女の子を、極貧の中にあるにもかかわらず、5円という当時の大金を渡して、引き取り、養女としました。

これらのことが、町内に広まって、「ヤソは本当の神様だ」、と言い出す人が出てきました。

迫害に耐えて、ようやく、長尾巻夫妻の愛の業が、人々の心を捕らえ、教会に、少しずつ人が来るようになりました。長い厳しい年月を経て、大聖寺町の人々は、次第に長尾巻と、妻のまつえの愛の業に、心を動かされていったのです。

やがて巻が、金沢の教会に転任するため、大聖寺の町を離れることになりました。

その時、近所の人たちは皆、別れを惜しんで、駅まで見送りに来ました。「ヤソは大嫌いだ」と言って、わざわざ名刺を返しに来た人も、「あんたがいなくなると、淋しくなる」、と涙を流しました。多くの人が、これまでの態度を許してくれと、頭を下げて詫びたのです。

パウロが、蝮に噛まれても死なない、という奇跡を見て、マルタ島の人たちの態度は、一変しました。長尾巻の場合は、そのような奇跡は起きませんでした。

しかし、あれほど迫害していた町の人たちが、涙を流して別れを惜しみ、今までの非礼を詫びたのです。これも、奇跡と言えると思います。

パウロと長尾巻。両者に起こった出来事は、全く違います。しかし、共通点があります。

どちらも、自分が宣べ伝えている言葉を信じ、その言葉に生かされていた、ということです。その時、周りの人たちの態度が、一変したのです。

更にパウロは、この島の長官プブリウスの父親の、熱病と下痢を癒しました。

蝮の毒から守られ、神様によって生かされたパウロは、今度は、島の人々に、神様の恵みを、分け与えていく働きを、していったのです。

プブリウスの父を皮切りに、多くの島の病人たちにも、癒しの業が施されました。多くの人が、パウロを通して、キリストの力に触れたのです。

パウロという、主の恵みに生きる、一人のキリスト者を通して、神様は、御自身の恵みを、広く、そして豊かに示してくださいました。

このようにして、冬の間の3ヶ月間を、マルタ島で過ごしたパウロは、いよいよローマに向かって、船出しました。島の人々は、パウロに深く敬意を表し、船出の時には、必要な物を持って来てくれました。

パウロは、シラクサ、レギオンを経て、プテオリという町に、入港しました。ここで「兄弟たちを見つけ、七日間滞在した」とあります。

「兄弟」というのは、「キリストを信じる者たち」、つまり教会の人々のことです。

彼らは初めて会う人たちです。しかし、彼らは互いに、「兄弟」と呼び合います。

同じキリストを信じ、同じ霊を受け、同じ父なる神様を礼拝する、神の家族だからです。

見知らぬ土地でも、このような神の家族に出会えることは、キリスト者の特権です。

そして、七日間滞在したということは、その間に日曜日があります。ですから、パウロたちは一緒に、礼拝を献げたに違いありません。パウロはどんなに嬉しかったことでしょうか。

またローマからも兄弟たちが、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれました。

「パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた」とあります。ここに、今朝の御言葉で、唯一、パウロの感情が記されています。

島に着いて命が助かった。蝮の毒から守られた。それらは、確かに、大きな喜びであったと思います。しかし、パウロにとっては、それらのことよりも、同じ主を信じる兄弟たちに、会えたことの方が嬉しかったのです。

同じ主を信じる人たちと共に、神様を礼拝し、共に祈り、主にある交わりの時を持てたこと。それが、何よりもパウロを喜ばせ、勇気づけたのです。

私たちも同じです。私たちも、この礼拝に来て、同じ主を信じる兄弟姉妹と共に、主を見上げ、主にある交わりを持つことが、一番の喜びであり、最も勇気づけられる事なのではないでしょうか。

今朝の御言葉は、思いがけない海上での遭難が、思いがけないマルタ島伝道の機会となり、思いがけない蝮の難によって、神様の力が証明された、出来事を伝えています。

しかし、それらはすべて神様のご計画であったのです。

パウロが流れ着いた、マルタ島の湾は、今は「パウロ湾」と呼ばれています。また、パウロが乗った船が、座礁した浅瀬は、「パウロの浅瀬」と呼ばれて、今も覚えられています。

マルタ島での寄り道は、決して無駄ではなく、その後、確かな実を結んでいったのです、

パウロの、マルタ島での働きは、予定外のことでした。しかし、神様は、そのことを、福音の前進のために、用いられたのです。

私たちの人生には、しばしば回り道や、寄り道と思われるような、出来事が起きます。

しかし、神様は、それらの出来事を用いて、救いの御業を進めてくださいます。

そのことを信じて、どんな時も、神様に委ねて、歩んでまいりたいと思います。