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柏牧師:過去の礼拝説教

「神に従うか、この世に従うか」

2018年06月24日 聖書:使徒言行録 4:1~22

今から100年以上も前の話です。韓国人初代牧師の一人となった、李基豊(イ・キブン)という人がいました。彼は、かつて、平壌(ピョンヤン)で一番気の荒い男、と言われていました。

そして、大の西洋人嫌いでした。その彼が住んでいる町に、何とアメリカ人の宣教師がやって来て、伝道を始めました。怒った李基豊は、何かにつけて、その活動を妨害しました。

ある時は、宣教師を待ち伏せし、大きな石で殴りつけました。宣教師は、顎から血を流し、その場に倒れて、気絶しました。

「どうだ、思い知ったか」、とほくそ笑んでいた李基豊のもとに、意外な知らせが届きました。この宣教師が、教会の信徒と共に、「彼を赦しましょう。一日も早くこの人が、主のみ腕に抱かれるように、主に願いましょう」、と祈っているというのです。

予期しない反応に、戸惑いながらも、李基豊は、尚も妨害の手を緩めませんでした。

やがて、宣教師と信徒の人たちが、手作りの教会堂を、建て上げているのを知って、彼は、夜中に火を付けに行きました。ところが、その現場を見られて、慌てて逃げていく途中で、足を滑らして、深い溝に落ち込み、瀕死の重傷を負ってしまいます。

その李基豊を助けて、必死に介抱をしたのは、他ならぬ、その宣教師と信徒たちでした。

重い傷を負った李基豊は、朦朧とした意識の中で、夢を見ました。

その夢の中に、一人の男が現れて、こう言ったそうです。「基豊よ、なぜ私を迫害するのか。お前は、私を伝え歩く者となるのだ」。

意識を取り戻した李基豊は、自分を必死に介抱してくれたのは、宣教師と教会の信徒たちであることを知らされ、涙で顔をぐちゃぐちゃに濡らして、その場にひれ伏しました。

そして、主イエスを救い主として信じて、献身し、韓国人初代牧師の一人となったのです。

彼は、済州島に伝道に行き、そこに9つの教会を建てました。その後、晩年になって、日本の軍部の激しい弾圧を受けて、1942年に、拷問による、殉教の死を遂げました。

李基豊牧師は、いつもこう語っていました。「キリスト者になる前、私はイエス様を迫害する者でした。イエス様や教会を侮辱し、悪口を言う者でした。しかし、イエス様は、私に、悪をもって悪を返さず、侮辱をもって侮辱に報いませんでした。私をキリスト者にしてくださり、そして、牧師にまでしてくださった。神様は、本当に深く、私を愛してくださいました。こんな神様は、他には絶対にいません」。

その言葉には説得力がありました。あぁ、本当にそうだ。神様は本当に愛のお方だ。

李基豊牧師の説教を聞いた人は、誰もが、そう感じたそうです。

なぜ、説得力があったのでしょうか。説教を語った李基豊牧師自身が、神様によって、全く変えられていたからです。自分自身の、実体験に基づく、説教であったからです。

かつては、主イエスと教会を、迫害し、侮辱し、悪口を言っていた者が、全く変えられた。

神様によって、見事に変えられた。その人が、目の前に立って、話しているからです。

今朝の御言葉の中にある、ペトロの言葉にも、強い説得力があります。

それは、ペトロ自身の、実体験に基づく、言葉であったからです。

ペトロは何度も主イエスを裏切りました。しかし、主イエスは、そんなペトロを、尚も、変わらぬ愛をもって愛してくださり、赦し続けられました。

そして、最後は、復活されることによって、死にも打ち勝ってくださいました。

ペトロは、この復活の主イエスに、実際に出会い、聖霊を与えられ、主イエスの、十字架の救いと、復活の勝利を、自分の手で、握り締めることが、できたのです。

それによって、弱いペトロが、まるで別人のように、強い者へと、変えられたのです。

その変えられたペトロの、実体験に基づいて、語った言葉だから、説得力があったのです。

その上、主イエスの名によって、足を癒され、人生を全く変えられた人が、ペトロの傍らに立っていたのです。

ペトロもヨハネも、そして足を癒された男も、イエス・キリストの名によって救われ、全く変えられた者たちでした。救われた事実を示すほど、確かな証しはありません。

伝道は百万の言葉を語るよりも、主イエスの名によって救われ、生かされている事実を、示すことによって進展していくものです。

この時、ペトロたちの伝道によって、多くの人々が信じ、「男の数が五千人ほどになった」、とあります。ペトロたちの伝道によって、多くの人々が、主イエスを救い主と信じたのです。

この大騒動に驚いて、祭司や、神殿守衛長や、サドカイ派の人々が、駆けつけてきます。

そして、彼らは、ペトロとヨハネが、主イエスの復活を、宣べ伝えているのを聞いて、苛立った、と御言葉は伝えています。

サドカイ派というのは、貴族や祭司と関係の深い、上流階級の人々です。

彼らは、政治的にも、宗教的にも、保守的で、霊や天使や復活を、否定していました。

この点で彼らは、ユダヤ教の、もう一つの党派である、ファリサイ派と対立していました。

ファリサイ派は、霊や天使や復活を肯定し、信じていたのです。

サドカイ派の人々は、ペトロとヨハネが、主イエスの復活を、白昼堂々と、しかも神殿において、宣べ伝えているのを聞いて、腹を立てて、二人を捕らえ、牢に繋いでしまいました。

さて、その次の日に、ユダヤの最高法院である、「サンヘドリン」と呼ばれる、議会が開かれ、二人に対する尋問が行われました。

実は、これと似たような状況が、この数か月前にも、起こっていました。

それは、ルカによる福音書22章66節に記されています。「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して『お前がメシアなら、そうだと言うがよい』と言った」。

主イエスのことを、邪魔に思ったユダヤ人たちが、主イエスを捕えて、裁判をした場面です。

そこで主イエスは、死刑の判決を受け、十字架につけられることになったのです。主イエスを有罪とし、ローマの総督ピラトに、引き渡すことを決めたのも、この議会だったのです。

ユダヤ人社会における、最高の権威の前に、ペトロたちは立たされました。

この議会には祭司や長老の他に、律法学者も加わっていました。律法学者の大半は、復活を信じるファリサイ派に属していました。

このため、議会での尋問は、微妙に、すり替えられていました。

そもそもは、死人の復活を宣べ伝えたことが、けしからんということで、逮捕されたのです。しかし、議会での尋問は、「何の権威によって、誰の名によって、あのような奇跡を行ったのか」、という問いに、変わっていました。

ペトロとヨハネは、ユダヤの最高権力者たちの前に、立たされました。足が癒された人も、傍らに立っています。しかし、彼らは、全く動じることがありません。実に堂々としています。

ペトロは聖霊に満たされて、大胆に答えます。4章8節から12節までの、ペトロの言葉は、答弁というより、むしろ力強い、伝道説教です。

「良くぞ質問してくださった。是非わたしの言う事を、聞いて頂きたい」、と言わんばかりの、熱意が伝わってきます。

10節の御言葉、「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなた方が十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるのです」。

主イエスの十字架と復活の力が、この人を癒し、救ったのだ、とペトロは宣言しています。

いや、この人だけではない。主イエスの十字架と復活こそ、全世界の救いなのだ、とペトロは更に続けて語ります。

12節のペトロの言葉は、この一連の出来事の、頂点とも言えます。

「ほかの誰によっても、救いは得られません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」。まことに力強い信仰告白です。

他のものによっても、それなりに、何らかの救いが得られる。けれども、その中で、イエス・キリストによるならば、こういう救いが得られますよ、と言っているのではないのです。

あれもあるが、これもある、ということではなくて、救いは、この御名によってのみ、得られる。他のものによっては、得られないのだ、と断言しているのです。

このような言い方には、世の多くの人々が、反発を感じると思います。キリスト教は、こういう言い方をするから、嫌いだと言う人が多くいます。

特に現代は、多様化の時代です。あなたはあなた、私は私。それでいいではないか。

自分の信仰を、押し付けないで欲しい。そういう人が多いと思います。

また、日本には、昔から、どの宗教も、行き着く先は、同じではないか、という考えが、根強くあります。

「分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」、という句があります。

山に上る道は、いくつもあるけど、頂上は一つではないか。宗教もそれと同じで、結局は、同じものを、目指しているのだ、という考えです。

しかし、ペトロは、「私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」、と断言しています。

ペトロは、古今東西の、あらゆる宗教を、調べ尽くして、比較研究の結果、このような結論を得たのでしょうか。そうではありません。

他の宗教と比べて、キリスト教が、ダントツに優れている、ということではないのです。

それでは彼は、何を根拠に、このような断言を、しているのでしょうか。それは、彼自身の救いの体験によることです。

神様は、私たちを、愛の対象として、造ってくださった。それなのに、私たちは、背き続けている、そんな私たちを、尚も、どこまでも赦し、どこまでも愛してくださる神様。

私たちのために、その命を、ささげてくださった神様。背き続ける私たちを、滅ぼすのではなく、逆に、ご自身が、十字架にかかって、私たちの罪を、すべて負って、代って死んでくださった神様。そして復活してくださり、私たちに、永遠の命の希望を与えてくださった神様。

そんな神様は、このお方、イエス・キリストの他にはいない。

もし他にも、そういう方がいるというなら、救いは色々とある、と言っても良いでしょう。

しかし、そのようなお方は、他にはいない。

そのような神様は、天下に、このお方しかいないのです。ペトロは、そう言い切ったのです。

生まれつき立つことも、歩くこともできなかった、あの男の人が、ただ主イエスの御名によって、立ち上がることができたように、ペトロ自身もただ、主イエスの御名によってのみ、新しく歩み始めることができたのです。

「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」。この確信、この断言は、彼自身の救いの体験から来ています。ですから、誰も、反論できなかったのです。

13節には、ペトロとヨハネの、大胆な態度を見た議員たちが、彼らが、無学な普通の人であることを知って、驚いたとあります。

ペトロもヨハネも、もとはガリラヤの漁師です。特に学問をした訳でもありません。

また、家柄が良かった訳でもありません。ごく普通の庶民なのです。

しかし、ペトロもヨハネも、そして足を癒された男も、イエス・キリストの名によって救われ、全く変えられた者たちでした。

このペトロの救いの確信と、実際に、足を癒された人の姿を、目の前にして、最高法院の議員たちは何もできません。彼らは、ペトロとヨハネを、罰する理由を、見出すことができなかったのです。

ペトロとヨハネは、足の不自由な人を癒す、という善い業を行ったのです。そして、その奇跡は、エルサレム中に、知れわたっていたのです。この事態に、彼らは困惑しました。

「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。」

足の不自由な人が癒された。その事実は、エルサレム中が知っていて、否定の仕様がない、と議員たちは、言っています。では、どうしたらよいのでしょうか。

答は、簡単です。それならば、主イエスを信じればよいのです。

でも、彼らは、そうしません。主イエスを、信じることができません。なぜでしょうか。

もし、そうすれば、自分たちが、間違っていたことを、認めなければならないからです。

すべての人の救い主である、主イエスを、まことの神を、自分たちは、十字架にかけて殺してしまった。その、大きな過ちを、認めなければ、ならなくなるからです。

それはできない。それは、認められない。だから、意地でも、信じない。では、どうしたらよいだろうか。

この時、彼らにできたことは、権力を振りかざして、脅かすこと。それだけでした。

ペトロとヨハネは、議員たちから、「今後は決して、イエスの名によって話したり、教えたりしてはならない」、と脅されます。

普通であれば、最高法院の議員から脅されれば、皆、従うのです。従わないと、ユダヤ社会で、生きていけないからです。

この時も、議員たちは、ペトロとヨハネが、大人しく従うと、思っていました。最高法院の権力に、逆らうことができるユダヤ人など、一人もいない、と思っていたのです。

ところが、これに対して二人は、「私たちは見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」、と答えたのです。

主イエスの、言葉と行いに示された、救いの出来事は、二人が実際に、体験したものでした。それは二人にとっては、理屈ではなく、事実であったのです。その事実が、彼らを動かし、語らせているのです。

彼らは、見た事を語り、聞いた事を伝える使命を、主イエスから託され、そのために生かされていました。その使命を放棄するなど、とても出来ない、と彼らは答えたのです。

この二人に対して、議員たちが成し得たことは、この世の権力で、もう一度、二人を脅かすことくらいでした。

既に彼らは、救いの事実を前にして、完全に負けていたのです。彼らは、成す術も無く、ペトロとヨハネを釈放します。

権力者たちの、脅しの言葉に対して、ペトロとヨハネは、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください」、と逆に彼らに、問いただしています。

教会は、成立の当初から、このような、信仰の戦いをしてきました。生まれたばかりの教会が、このような信仰の戦いを、しなければならなかったのです。

しかし、ペトロとヨハネのように、権力者の脅しにも、堂々と福音の力をもって、立ち向かった信仰の勇者たちがいました。

その人たちのお陰で、福音の真理は守られ、伝えられてきました。そして、二千年もの歳月を経て、私たちにも、届けられました。私たちは、そのお陰で、救われたのです。

教会に対する迫害や弾圧は、決して、大昔の出来事ではありません。

この日本においても、僅か76年前に、大きな弾圧がありました。

1942年6月26日の早朝、全国のホーリネス系諸教会の牧師134名が、治安維持法違反の容疑で、特別警察(特高)によって、一斉検挙され、激しい弾圧を受けました。

終戦によって釈放されるまでに、7名の牧師が、そのために殉教しました。

冒頭で紹介した李基豊牧師も、韓国で同じ様な弾圧に遭い、厳しい拷問の末殉教しました。

今日の午後、私は、弾圧記念聖会に出席しますが、弾圧記念聖会で、よく語られるエピソードがあります。

車田秋次という牧師は、「天皇と神とどちらが偉いのか。終末の時は、天皇も、神によって裁かれるのか」、と厳しく問い詰められました。

車田先生は「天皇も人である以上罪人です。裁きは免れません」、とはっきりと答えました。

担当検事は、「貴様、そんなことを言えば、命はないことが、分かっているのか」、と机を叩いて、脅しました。

その時、車田先生は、静かに、こう答えました。「神の法と、人の法とが、相反する時には、私たちは殉教するしかありません。」

今、私たちは、このような弾圧や迫害を、経験していません。しかし、日常生活の中で、絶えず問われています。「あなたは、神に従っているか、それとも、人に従っているか。神の前に、正しく立っているか」。

果たして、私は、神に聞き従っているだろうか。神の前に、正しく立っているだろうか。神がこの私に、なしてくださったことを、証ししているだろうか。

私たちが救われるべき名は、天下に、イエス・キリストの名の他に、与えられていません、と力強く語っているだろうか。

皆さん、今朝、私たちは、自分自身に、今一度、問い掛け、新たな歩へと、踏み出したいと思います。