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過去の礼拝説教

「宣べ伝えずにはいられない」

2013年08月11日 聖書:コリントの信徒への手紙一 9:16~23

8月の前半は、日本の国にとって大切な記念日が続きます。8月6日は広島の原爆記念日、8月9日は長崎の原爆記念日でした。そして、8月15日は終戦記念日です。

8月15日は望戸さんのお誕生日でもあるのですが、実は、もう一つの大切な記念日であることをご存知でしょうか。

464年前に、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本におけるキリスト教宣教の第一歩が踏み出された日。それが8月15日なのです。

私的なことで恐縮ですが、私個人にとっても、この時期は大切な日が続きます。

8月2日は私たち夫婦の婚約記念日、3日は家内の誕生日、4日は私の父の召天記念日、そして8日は私の誕生日でした。

実は、8月8日は私にとって、もう一つの記念日なのです。私が、献身の志を与えられたのが8月8日なのです。

今から11年前の8月8日、私は軽井沢で行われていた夏期アシュラムに参加していました。その時、何度も何度も献身への招きの声を聞いたのです。

しかし私は、「主よ、この歳になってとても無理です」、と言って断わり続けました。

しかし断っても、断っても、その声はますます大きくなって迫って来ました。

その神様の声に、無理やり押し出されるようにして、献身を決意しました。

そうせざるを得ないような状況に引きずり込まれていった、というのがその時の偽らざる気持ちです。

献身の決意とは、いつも喜び勇んで、晴れ晴れとした気持ちでなされるとは限りません。

勿論そういう方もおられるでしょう。しかし、自分の意志を越えて、否応なしにそういう思いに導かれてしまった、という方も多くおられるのではないでしょうか。

何か知らない大きな力に押されて、抵抗したにも拘わらず、踏み出さざるを得なかった、という方が案外多いのではないかと思います。

以前、アメリカ人の友人から、こんな話を聞きました。

テキサス州のある大富豪が大勢の客を招いて、自宅でパーティーをしました。

広大な庭にあるプールを囲んでのパーティーでした。

宴もたけなわといったところで、その大富豪が、集まった人にこんなことを言いました。

「皆さん、もし、皆さんの中で、このプールのこちらから、あちらまで泳ぎ切った人がいたら、私の愛する娘か、または、私の別荘か、どちらか好きな方を差し上げます。」

家の庭にあるプールですから、それ程大きなプールではありません。

もし、そのプールを泳ぎ切ったら、ミステキサス以上とも言われている美人の娘さんか、或いは時価何億円もする豪華な別荘の、どちらでも好きな方を上げようというのです。

それを聞いた人たちは、色めき立ちました。

ところが、その大富豪は、にやりと笑って、こう続けました。

「ただし、このプールには、アマゾン川から採ってきた、あのピラニアという恐ろしい魚がたくさん放たれています。もう何日も餌を与えていません。お腹を空かして、餌の来るのを、今か今かと待っています。 さぁ、どうですか。このプールに飛び込む勇気のある人はいませんか。」

その言葉を聞いて、みんなが「何だ、そういうことだったのか」といって、がっかりしました。その時、突然ある人が、ザブーンとプールに飛び込んだのです。

そして、必死になって泳いで、何ヶ所かピラニアに噛みつかれながらも、何とか無事にプールの向こう側まで泳ぎ着きました。そこにいた人たちは、その人の勇気を褒め称えました。

さて、一体この人は、どちらを選ぶだろうか。皆が、固唾をのんで、その人の言葉を待っていました。すると、ずぶ濡れになったその人が、こう叫びました。

「一体、誰が、私をプールに突き落したんですか!」

この人は、誰かに背中を押されて、無理やりプールに飛び込んだのです。

ですから、もう夢中で、必死になって泳いで、やっと向こう側に泳ぎ着いたのです。

さて、この話は、私たちキリスト者が、神様によって召し出される時の姿をよく表していると思います。

私たちが、信仰に招き入れられる時、或いは教会において様々な奉仕を担っていく時、更には伝道者として献身していく時、このような体験をすることが多くあると思います。

考え抜いた末に決断したというよりも、むしろ自分の意志に関わりなく、そうせざるを得ないような状況に追い込まれていった。

何か、大きな力に押し出されて、気が付くとプールに飛び込んでいた。

洗礼を受ける時も、教会で奉仕をする時も、また、献身して神学校に進む時も、自分の意志でそう決めたというよりも、見えない大きな手で後ろから背中を押されたので、飛び込まざるを得なかった、というのが案外真実に近いのではないかと思うのです。

信仰には、このように神様の方から一方的に働きかけてくる不思議な出来事があります。

自分の意志というよりも、そうせざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

もし、そうであるあるなら、それを誇ることなどできません。また、何らかの報いを求めることも出来ません。

先ほど読んで頂きましたコリントの信徒への手紙一の 9章16節で、パウロはこのことを語っています。

「もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです」。

パウロは、自分がしたいから伝道しているのではないというのです。

したいとか、したくないとか、そういう自分の考えや意志を飛び越えてしまっているのです。

他の箇所でパウロは、私が、命懸けで伝道するのは「キリストの愛が、私を駆り立てているからだ」と言っています。

「駆り立てている」という言葉は、挟み込んでいるという意味です。

キリストの愛に、両側からギューと挟まれて、押し出されてしまう。だから、伝道せざるを得ないのだ、と言っているのです。

そのように、せざるを得ないことをしているのだから、それは誇りにはならないのです。

更にパウロは、「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」、とさえ言っています。パウロにとって、伝道しないことは「不幸」であり、「苦しみ」なのです。

この御言葉は直訳すれば、「あぁ、なんと不幸なのでしょう、福音を伝えないでいたら」なります。或いは「あぁ苦しい、福音を伝えないでいるなんて」、と訳すこともできます。

それほどまでに迫られているのです。

以前の口語訳聖書では、「わざわいだ」と訳されていました。

「あぁ、わざわいだ、もし、伝道しないでいるなら」。

あんなにも大きな恵みをいただいていながら、あんなにも尊い救いを与えられていながら、それを伝えないなら、私はわざわいだ、とパウロは言っているのです。

ですから、伝道するほかないのです。他に選択肢がないのです。

私たちは、伝道することは、大変なことだ、と思います。

しかしパウロにとっては、伝道しないでいることの方が、よっぽど大変なのです。

伝道していなければ、私が私でなくなってしまう。

パウロは、そのような思いでいたのだと思います。

福音を述べ伝えている時に、一番自分らしく生きていると思っていたのではないでしょうか。

そうなりますと、報酬を得るとか、得ないとか。そういうことは、もう問題ではなくなってしまいます。そういうことからは、もう自由になっているのです。

福音とは喜びの知らせです。その喜びが、パウロを突き動かしているのです。

そして、その喜びこそが、パウロの報酬なのです。

「幸せとは、報酬のない行為に対する報酬である」と言った人がいます。

「幸せとは、報酬のない行為に対する報酬」。素晴らしい言葉だと思います。

この言葉をパウロに当てはめて言えば、「幸せとは、伝道という、報酬のない行為に対する報酬である」、となるのではないかと思います。

パウロは、この世的な報酬がない伝道という業を通して、限りない幸いを得ているのです。

パウロは、報酬を得ることから自由にされているだけではありません。

自分は「だれに対しても自由だ」、と言っています。

「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです」。

この世のものに頼らずに、神様のみを頼りにした時に、人間は、本当に自由になれます。

人を恐れず、また、この世の権力を恐れずに、どんなことでも出来る者とされます。

それが、キリスト者に与えられている自由です。

そのような自由に生きているパウロは、また同時に、すべての人の奴隷になった、とも言っています。私は、与えられた自由をもって、すべての人の奴隷になった、というのです。

これもまた、奴隷になることを強いられた、と言っても良いのかも知れません。

福音がそれを強いた。福音の恵みがそうさせた。自分に自由を与えた福音の恵みが、自分に奴隷になることを強いている。しかし、私はそれを喜ぶ、と言うのです。

普通、奴隷には一人の主人がいるだけです。

しかしパウロは、できるだけ多くの人を得るために、すべての人の奴隷なったというのです。すべての人を救いたかったからです。

ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。

律法に支配されている人に対しては、律法に支配されている人のようになりました。

律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。

弱い人に対しては、弱い人のようになりました。

不思議なことに、ここでパウロは、「強い人に対しては、強い人のようになった」とは言っていません。それだけ、「弱い人のようになった」という言葉が重要とされているのです。

「弱い人に対しては、弱い人のようになりました」。福音のために相手の立場に徹底的に立とうとしているパウロの気持ちが、この言葉からほとばしり出ています。

「弱い人に対しては、弱い人のようになりました」。

この御言葉は、原文では、「弱い人に対しては、弱い人になりました」と書かれています。

他の人の場合は、「その人のようになった」と書かれているのですが、弱い人に対してだけは、「ように」ではなくて、「弱い人そのものになった」と言っているのです。

実際にパウロは、弱い人と共に、弱い生き方を生きました。

弱い人と共に、自分も肉を食べないと宣言し、テント作りという労働をしながら、福音宣教の業に務めました。パウロは、これらのことが、弱い人を福音に導くために必要であると思った時に、迷わずにそれを実行したのです。

すべての人を救いたいと願っているパウロの言葉は、更に続きます。

「すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」。これは、本当に素晴らしい言葉です。

人を福音に導くために、すべての人に対してすべてのものになり、どんなことでもする、とパウロは言っているのです。

一人でも多くの人を得るために、どんなことでもする、と言っています。

この生き方は、ご自分を低くされて、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまでへりくだられた、主イエスの生き方に倣うものでした。

主イエスは、神としての身分に固執されることなく、自ら僕の身分となられ、最も小さな者と共に歩まれました。失われた小羊一匹を救うために、どこまでも探し続けられました。

そして最後は、最も呪われた者がつけられる十字架に、自ら進んでかかってくださいました。苦しむ人、悩む人、孤独な人たちの友となられました。その人たちを救うためです。

一人でも多くの人を得るために、主イエスは、どんなことも厭わずになさいました。

そして遂には、十字架の死をも受け入れられたのです。

このように一人でも多くの人を救おうとされた主イエスの思いを、その御心を、パウロは自分自身のものとして引き受けていこうとしているのです。

それが自分に課せられた十字架であると捉えて、自ら背負っていこうとしているのです。

戦前、蒙古伝道に赴き、そのまま消息を絶った澤崎堅造さんという方がおられます。

澤崎さんは、京都大学の人文科学研究所で学者としての順調な道を歩んでいました。

しかし、日本軍による中国や蒙古の人々に対する虐待を知って、せめてもの償いをしたいという思いに駆られて蒙古の地に赴いたのです。

戦後ではありません、戦争のさなかに、償いの業を始めた人が既にいたのです。

澤崎堅造先生は、蒙古の人たちの中にあって、蒙古の人と同じ服を着、蒙古の人の言葉を語り、蒙古の食べ物を食べ、蒙古人になり切って福音を伝えました。

まさに、蒙古人を得るために蒙古人になり切ったのです。

やがて、ソ連軍の侵入が始まって、軍の上層部を始め日本人が雪崩を打って南へと逃げて行った時に、その流れに逆らうように危険な地に赴きました。

そして、それが最後になったと伝えられています。

この澤崎先生が語った言葉の中に、こういう言葉があります。

「復活後のキリストは自由に歩きたもうた。しかし、それは、十字架から離れたという意味ではないと思う。十字架のみ傷を持ったまま歩みたもうたのである。

今も尚、十字架の木を背負いたもうているのである。

そして、その十字架こそが、罪に染みし私自身ではないだろうか。私はいつも、復活の主の肩に背負われて、主が行きたもうところについていく身となったのである」。

澤崎堅造先生は、今も尚、十字架を背負って歩まれている主イエスの御姿を、霊の目で見ておられます。

そして、その十字架とは、実は罪の中にある自分の姿であると示されたのです。

復活の主イエスは、今も尚、私の罪という十字架を背負って歩んでおられる。

そのように示されたのです。

パウロも同じだと思います。こんな自分が、主イエスの十字架の恵みによって救われた。

主イエスは今も尚、私の罪という十字架を背負いつつ、先立って行かれている。

パウロは、その恵みに押し出されて、主イエスの御足の跡を歩もうとしているのです。

一人でも多くの人を救うために、できることならどんなことでもしようとしているのです。

なぜなら、それが、自分を救ってくださった主イエスの御心だからです。

ところで、「伝道」というと、福音の真理をとうとうと宣べ伝えることだと思いがちです。

しかし、そう思い込んでいると、「口下手で気の弱い私には伝道は無理だ。もっとそれに向いている人にお任せしよう」、という思いに陥ってしまいます。

確かに、大胆に福音を宣べ伝えることは大切です。

しかし、伝道とはそれだけではありません。

こんな私が、キリストの愛によって赦され、救いに入れられている。

伝道は、先ずそのことを、感謝と喜びをもって認めることから始まります。

置かれているそれぞれの場で、キリストの愛を喜び、キリストの愛に活かされ、その幸いに生きること。それがもう既に伝道なのです。

伝道の基本は、私たち自身が、福音によって幸せであることです。喜んでいることです。

どうしてあの人はあんなに嬉しそうにしているのだろうか。どうしてあの人はあんなに幸せそうなのだろうか。私もあの人のようになりたい。

周囲の人がそういう思いを少しでも抱くなら、それは百万の言葉にも優る伝道です。

また、教会を訪れた新来者を、笑顔をもって迎え「よくいらっしゃいました」と一言声を掛ける。それはもう既に立派な伝道です。

自分の周りの人の救いのために祈る。これも尊い伝道です。

悩みの中にいる人に対して、「一度教会に行ってみたら。教会に行くと元気が出ますよ」、と一言言えるならば、それは強力な伝道です。

伝道には、こうでなければならない、というような決まりはありません。それぞれに出来ることを精一杯すれば良いのです。

生涯8000曲もの賛美歌を作った女性、ファニー・クロスビーの墓には英語でこう刻まれているそうです。「She Did What She Could(彼女は自分にできることを為した)。

彼女は全く目が見えませんでした。全く目が見えない彼女は、しかし、神様の恵みに満たされて、喜びの人生を生きていました。その喜びを、何とかひとりでも多くの人に伝えたくて、たくさんの詩を書いたのです。その詩が多くの人々を励まし、慰め、救いへと導きました。

私にはそんな美しい詩を創る才能などない、と言って諦めないでください。

神様は、お一人お一人に、その人でなければ出来ない務めを与えられています。

何もできなくても、祈ることは出る筈です。「She Did What She Could(彼女は自分にできることを為した)。自分にできる小さなことを、大きな愛をもってすれば良いのです。

もし、「茅ヶ崎恵泉教会って、どんな教会ですか」と聞かれたなら、私たちはどう答えるでしょうか。 「伝道への熱い思いに満ちている教会です」。

もし、そう答えることが出来るなら、まことに幸いに思います。

福音を伝えずにはいられない。そうせざるを得ない。この思いが、今も脈々として息づいている。そのような茅ケ崎恵泉教会を目指して、共に歩んでまいりたいと思います。