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過去の礼拝説教

「神の言葉はつながれていない」

2013年06月23日 聖書:テモテへの手紙二 2:1~13

今年は徳川幕府によってキリシタン禁制の高札が立てられてから400年目の節目の年です。この高札は明治維新後も、なお暫く掲げられ、厳しい迫害が続きました。欧米諸国からの批判を受けて、明治政府が高札を撤去したのは明治6年、1873年のことでした。

その間、260年に亘って、キリスト教は邪宗門として厳しく弾圧されてきたのです。

しかし、キリシタン禁制の高札が撤去された後も、日本の社会はキリスト教を快く受け入れたわけではありませんでした。

様々な形での、キリスト教に対する差別、迫害、嫌がらせは、その後もずっと続きました。

そして昭和に入り、日本が急速に軍国主義への足取りを速めていく中で、キリスト教に対する風当たりは更に強まり、遂に「昭和の宗教弾圧」と呼ばれる事件が起こりました。

1942年6月26日の早朝、全国のホーリネス系諸教会の教職が治安維持法違反の容疑で一斉に検挙されました。最終的に、海外も含めて教職134名が検挙され、そのうち75名が起訴されました。拷問にも似た厳しい取調べと、過酷な獄中生活のために、6名の牧師が獄中死、1名が釈放直後に召されました。

今週水曜日は、7名の殉教者を出したこのホーリネスの弾圧から、71年目の記念日に当たります。

そこで今朝は、ホーリネスの弾圧という出来事が、現代に生きる私たちに、どのようなことを教えているかについて、御言葉からご一緒に聴いていきたいと思います。

先ほどテモテへの手紙二 2:1~13を読んでいただきました。このテモテへの手紙二は、使徒パウロが、愛する弟子テモテを励ますために書き送った手紙です。

この手紙を書いた時、パウロはローマの牢獄に捕らわれていました。それまでにもパウロは、何度も投獄されては、その都度、不思議な出来事によって釈放されてきました。

しかし今回は、パウロ自身も殉教の死が近付いていることを感じ取っていたのだと思います。ですから、父親が息子に遺書を書き残すような思いをもって、テモテに語り掛けています。

生涯独身で、子供を持つことがなかったパウロは、テモテを実の子のように愛しました。

そのパウロの気持ちが、2章1節の「わたしの子よ」という呼び掛けに表れています。

パウロは、少し気の弱いところがあるテモテを励まして、「わたしの子よ、あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい」と語りかけています。

先生であり、また信仰の父でもあるパウロが捕らえられて牢に繋がれている。殉教の死も近いかもしれない。

テモテは、そのことを思って気弱になっているかもしれない。でもどうか、私が捕えられていることを恥とせずに、むしろ、キリスト・イエスの恵みによって強くなって欲しい。

パウロは、そのようにテモテに呼びかけています。

今日の箇所の1ページ前に記されている、1章8節でパウロはこう言っています。

「だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください」。

ここでパウロは、自分のことを「ローマ帝国の囚人」とは言っていません。

「主の囚人」であると言っています。自分は、主によって捕らえられているのだ。福音のために繋がれているのだ、と言っています。

だから、テモテよ、あなたは恥じてはならない、と言っています。

テモテよ、あなたは私のことを、実の父親以上に慕ってくれている。その私が捕らわれて、獄につながれている。

愛するテモテよ、お前はそのことの故に、気弱になっているかも知れない。もしかしたら、そのことを恥じているかも知れない。しかし、どうかこのことを恥じたりしないでほしい。

なぜなら、私は、主によって捕らえられているのだから。パウロは、そう言っています。

ホーリネスの弾圧があった時、検挙されて獄につながれた牧師先生たちは、勿論、言葉に言い尽せぬ程の苦しみを味わいました。

しかし、そのご家族も、大変辛い思いをされたのです。夫や父親が検挙されたことで、肩身の狭い思いや、恥ずかしい思いをした家族も多かったのです。

名古屋で弾圧に遭われた田中敬止牧師のご長女は、当時18歳でした。この方が、後にこう語っておられます。

「私たちは、月に一度父に面会に行きました。しかし、入っていくのには勇気が要りました。周りを見回し、見ている人がいないことを確かめながら、走るように入って行きました。

私は、既に13歳の時に洗礼を受けていましたが、キリストの名によって苦しみを受けている父のことも、そしてキリストご自身をも、誇ることができなかった私でした。」

キリストのために囚われていた父親のことを恥じていた自分。この方は、その後も長い間、そのことの故に自分は偽善者だという思いに、責められ続けたそうです。

そして、ある時、神様の前に涙をもって、心からの悔い改めをして、赦しの御声を聞き、その思いから漸く解放されたそうです。

この方のお気持ちは、良く分かります。弾圧に遭った牧師も、その家族も、決して華やかな英雄ではありません。苦しみながら、悩みながら、涙しながら、時には恥ずかしい思いを忍びながら、必死に生き抜かれたのです。

現在の日本には、かつてのような宗教弾圧はありません。

しかし、この世にあって、御言葉を割り引くことをせずに、額面通りに真正面から受け取って、本気で従っていこうとするなら、様々な困難に遭います。

キリスト者の生き方は、世間一般から見て要領の良い、いわゆる得な生き方ではありません。馬鹿正直で、損な生き方。時には、不器用な生き方とも見られるかもしれません。

しかし、そんな生き方をしているからと言って、気弱になることも、恥じることもありません。

今日の御言葉の冒頭、2章1節で、パウロはテモテに、「わたしの子よ、あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい」、と言っています。

これは、テモテだけでなく、私たちすべてに対しても語られている言葉です。

「強くなりなさい」という言葉は、原文では受身で書かれています。「強められなさい」と書かれているのです。

自分の努力や意志によって「強くなる」のではなくて、「キリスト・イエスにおける恵みによって強められなさい」、と言っているのです。

弾圧のような厳しい状況にあっては、自分の努力や意志による強さだけで、それに立ち向かうには限界があります。

自分の力に頼る強さは、ある限界まで来ると、ポキッと折れてしまいます。

しかし、主イエスの恵みにすがって生きる時の強さは、しなやかな強さです。それは、弱そうに見えても折れない強さなのです。

なぜなら、主イエスの恵みは、どんな時にも決して絶えることなく注がれているからです。

3節で、パウロは、クリスチャンを兵士に譬えて、「キリスト・イエスの立派な兵士として、わたしと共に苦しみを忍びなさい」と言っています。

パウロはテモテに、あなたは、主イエスという司令官のために戦う兵士になって欲しい。

主イエスに喜んでいただくことだけを願って戦う兵士になって欲しい。そのように語りかけています。

このキリストの兵士ということで思い出す人がいます。森山諭という牧師です。

森山先生も、ホーリネスの流れを汲む牧師ですが、弾圧の当時は未だ牧師になっていませんでしたので検挙からは免れました。

戦後、牧師となられて荻窪栄光教会を立てられ、多方面において尊く用いられた器です。

この森山先生のお父様は、福島県のある町の在郷軍人の会長をしていました。

森山先生が、献身して神学校に入りたいといった時、その父親は「この家から耶蘇の坊主が出た」というのでは、世間に対しても、ご先祖様に対しても顔向けが出来ない」と言って、やおら日本刀を持ち出して、それをずばりと抜いて、先生の目の前に突き出したそうです。

そして、「そこに直れ、お前を切って、わしも切腹する」と言ったそうです。

こうすれば、きっと泣いて謝って、献身を諦めるだろうと思ったのです。

しかし、森山先生はすっと首を突き出して、「どうぞ切って下さい。お父さんは、天皇陛下のためなら喜んで命を捨てるでしょう。私は、キリストの兵士です。キリストのためなら、喜んで死にます。お父さんに殺されるなら本望です」。そう言って、首を差し出したのです。

それを見て、お父さんは、ゾーッとしたそうです。

でも振り上げた刀を下ろすこともできずに、「あぁ、お母さんが止めに来てくれないかなぁ」、と祈るような気持ちでしばし佇んだそうです。

タイミングよく、お母さんが「あなた止めてください!」と言って、仲裁に入ったので、お父さんは、内心ではやれやれと思いながらも、口では「今日のところは、お母さんに念じて命は助けてやる」、と言って刀を納めたということです。

後から聞いた話しでは、その時お父さんは「さすがにうちの息子は立派だ。あれは本物だ。本当に立派なクリスチャンだ。俺もクリスチャンになる」と言ったそうです。

そして、本当に洗礼を受けて、礼拝に熱心に出席するようになられたそうです。

明治初期の受洗希望者たちには、今のような洗礼準備会はしなかったと伝えられています。ただ一言、「あなたは、キリストのために死ねますか?」との問いに、「はい、死ねます」と答えて、名前を書いて血判を押した。それだけだったそうです。

私たちが、自らを省みた時にどうでしょうか。この問いに、「はい」と答えられるでしょうか。

私たちは、このような先輩たちの信仰を受け継いでいるということを、今一度覚えたいと思います。

キリストの兵士として、自分を召集したキリストの命令にどこまでも従い、キリストを喜ばせることに専念する生き方。それが、クリスチャンの姿であると、パウロは教えています。

さて、今日のメッセージの中心聖句は、9節です。「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。」

「神の言葉はつながれていません」。今日の説教の題にさせて頂いた御言葉です。

今日は、この御言葉をしっかりと握り締めて帰ってください。私がくどくどと申し上げたことはすべて忘れても結構ですから、この御言葉だけは忘れずにお持ち帰りください。

先ほども申し上げた通り、弾圧に耐えた牧師たちは、決して英雄ばかりではありません。

悩み、苦しみ、不安を覚えていた先生方も多いと思います。人間ですから、それは当然です。しかし、そういう中にあっても、信仰を捨てることはありませんでした。

ホーリネス教団横浜教会の牧師で、獄中で殉教された菅野鋭牧師は、検事とのやり取りの中でこのように答えています。

「聖書はすべての人間が罪人であるとあるが、間違いないか」。「間違いありません」。

「それでは天皇陛下も罪人なのか」。「日本人として天皇陛下を良い悪いとは言えませんが、はっきり申し上げて天皇陛下が人間である限り罪人という以外にありません」。

「そうしたら、天皇陛下もキリストを信じないなら救われないのか」。「天皇が人間である限りイエスの贖罪が必要です」。

こんなことを言えば殺されることが分かっていながらも、はっきりとこう答えたのです。

車田秋次という牧師は裁判の時、次のように語りました。

「もし国の法律と神の法律が矛盾することがある場合は、自分は国の法律以上に神の律法に従う。結局、殉教するしかない」。

裁判を傍聴した車田先生の娘さんは、この言葉を深く心に刻んで、生涯忘れることがなかったそうです。

このような言葉をどうして語れたのでしょうか。信仰が強かったからでしょうか。意志が人一倍堅かったからでしょうか。確かに、それもあるかも知れません。

しかし、先ほども申し上げた通り、自分の力に頼る強さには限界があります。そのような強さは、ある限界まで来ると、ポキッと折れてしまいます。

しかし、主イエスの恵みに生かされる強さは、しなやかな強さです。折れそうで折れない強さです。これらの先生方は、極限状態にあっても、御言葉の恵みに支えられて、耐えることが出来たのです。獄中にあっても、御言葉は先生方を守り続け、支え続けたのです。

まさに、神の言葉はつながれていなかったのです。

家族と離ればなれにさせられても、教会を奪われても、拷問を受けて命の危険に晒されても、御言葉が与えられていたから、耐えられたのです。

ある牧師は、冬にはマイナス30度にもなる樺太の留置場の独房に2年間も入れられていました。その先生は、「慰められたのはやはり御言葉でした」、と語っておられます。

また、他の先生は、ほんのひとにぎりの食事しか与えられない中で、御言葉が食事であり、栄養であったと語っておられます。戦後、その先生が召された時、家族に語られた遺言は「どんなことでも御言葉だよ」という短い言葉だったそうです。

愛する茅ヶ崎恵泉教会の兄弟姉妹、「神の言葉はつながれていません」。これは真実です。

私たちの人生にも、様々な困難や苦しみがあります。

病の床に伏して、一体いつ治るのだろうか、もうこのまま治らないのではないだろうか、と絶望的な気持ちに襲われることもあります。

或いは、愛する人を天に送り、耐え難い悲しみと寂しさに覆われることもあります。

何故神様は、私にこのような苦しみをお与えになられるのか、と嘆く時があります。

でも、皆さん、忘れないでください。神の言葉はつながれていません。

どこにも希望が無いと思われるような時にも、神の言葉は私たちと共にあります。

耳を澄ませば、私たちに語り掛けてくださっている主の御言葉を、心の内に聴くことが出来ます。今年与えられた主題聖句の通り、私たちの耳は背後から語られる主の御言葉を聞くことができるのです。

どんな時にも御言葉は私たちと共にあって、私たちの心を主イエスに向けさせてくれます。

困難の中にあっても、苦しみの中にあっても、尚、御言葉を通して、主の御顔の光を受けることが出来ます。そして、そこに希望を見い出すことが出来ます。

今日は、弾圧の記念日ということで、少々暗い話が続きました。

しかし、御言葉に生きる生き方は決して暗い、苦しい生き方ではありません。

それは、感謝と、平安と、希望に満ちた生き方なのです。

最後に、やはり終戦まで獄につながれていた米田豊牧師の有名な言葉を紹介させていただきます。米田牧師が、「弾圧で入獄した際の獄中の感」として記されたこういう言葉です。

「過去を思えば感謝。現在は平安。将来は信頼あるのみ」。

この短い言葉に神の言葉に生きる者の幸いの全てが込められています。

人間的に見れば、過去が感謝だと言えるだろうか。現在は平安などと、どうして言えるだろうか。どんな判決が下るか分からないのに、将来は信頼あるのみとはどういうことか。

そのように思います。しかし、これが、神の言葉に生きる者の姿なのです。

神の言葉がつながれておらず、いつも共にあるので、感謝と平安と信頼の中にいることができる。これが、キリスト者の幸いです。

留置場では、食べる者も満足に食べられない状態でしたから、出所した翌年のお正月に、米田牧師夫人は、食糧事情が困難な中、一生懸命材料を集めて御馳走を作ったそうです。

米田先生はそれを召し上がって「おいしいね」と仰いました。

そして、続けて「別荘のお雑煮もおいしかったよ」と、微笑みながら仰ったそうです。

留置場で、お餅がたった一つだけ入ったお雑煮が出たそうです。

それを「別荘のお雑煮」とユーモアを交えて言われたのです。

「過去を思えば感謝」とはこういうことではないかと思います。普通なら、思い出すだけでも腹わたが煮えくり返るような辛い、理不尽な経験です。

しかし、そういう経験をも感謝に変えてしまう。これが、御言葉に生きる生き方の豊さです。

神の言葉はつながれていません。それは、どんな時にも、どこにあっても、私たちを生かし、感謝と、平安と、信頼を与えてくれます。

「神の言葉はつながれていません」。

この御言葉をしっかりと心の内に蓄えて、「過去を思えば感謝。現在は平安。将来は信頼あるのみ」。このような生き方に倣っていきたいと願います。