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過去の礼拝説教

「クリスマスの平和」

2013年12月24日 聖書:

オーストリアのザルツブルグの北にオーベルンドルフという小さな村があります。

1818年のクリスマスの前日、その村の教会のパイプオルガンが鳴らなくなってしまいました。この知らせを聞いて、2人の若者が苦境に立たされました。

一人は、この教会のオルガニストのフランツ・グルーバーという人です。

もう一人は、この教会の若き牧師のヨーゼフ・モールです。

モールは、その教会に赴任したばかりでした。ですから、その年のクリスマス礼拝を、特別に恵みに満ちものとしたいと願っていました。

それなのに、よりにもよって、その前日にパイプオルガンが故障してしまったのです。

モールは、乱れる心を静めようと、一人で村はずれの丘に登って祈りました。

熱心に祈った後で、美しく輝く星空と、麓の村の平和な夜景を眺めていました。

その時、讃美歌の歌詞が心の中にほとばしり出て来ました。急いで家に帰って、一気に歌詞を書き上げました。

そして、翌日の朝、グルーバーのところに持って行って、作曲を依頼しました。

その夜の礼拝では、ギターの伴奏で、モールとグル―バーのデュエットの賛美が献げられました。その時歌われた讃美歌がこの曲です。

【きよしこの夜の1節を賛美】

ほぼ即興で作られたこの曲でしたが、その美しい歌詞と清らかなメロディーは、礼拝に集まった人々の心を強く捕えました。

そして、人から人へと伝えられ、世界で最も愛されるクリスマスの讃美歌となったのです。

絶体絶命のピンチの中で、あの様に清らかな讃美歌が作られたことに、私は深い感動を覚えます。

もし、私がモールであったら、どうだったでしょうか。きっと焦り狂って、讃美歌を作るどころではなかったと思います。

パイプオルガンを逆恨みして、「この役立たずなオルガンめ」と、蹴飛ばしたくなる思いに駆られていたかもしれません。

どうして、モールはそんな危機的な状況の中で、あんなにも清らかで、美しい歌詞を書くことが出来たのでしょうか。

どうして、グルーバーはあんなに澄み切った曲を作ることが出来たのでしょうか。

私は思います。恐らく二人は、その時、二千年前のベツレヘムの家畜小屋を、訪ねていたのです。二人は、飼い葉桶に眠っておられる幼な子イエス様の傍らに立っていたのです。

そして、飼い葉桶の周りに流れている、慰めと平和の空気を胸に吸い込んでいたのです。

そうなのです。飼い葉桶の幼な子の周りには慰めと平和があるのです。

その平和がモールとグルーバーを覆い包んだのです。

皆さんも、この時の家畜小屋の状況を思い浮かべてください。

そこにいるのは、ガリラヤのナザレという田舎の村からはるばると旅をしてきた、名もなく、貧しく、疲れ切ったマリアとヨセフです。

医者もおらず、何の設備もない所で、赤子を出産したばかりの弱く、無力な若い夫婦です。

突然のように、「あなたは神の子の母となります」と告げられて、戸惑いながらも、「御心のままに」と言って、それを受け入れたおとめマリアです。

そして、やはり唐突に、幼な子イエス様の育ての父となりなさい、と天使によって命じられて、大きな決断を強いられたヨセフです。

そんな大変な思いをして生んだ神の御子です。神の御子なのですから、本来なら、それに相応しく整えられた環境で出産する筈です。しかし、マリアが出産したのは家畜小屋です。

クリスマスのことを描いた絵や、ページェントでは、ほのぼのとした家畜小屋の情景が描かれていますが、実際には洞窟のような家畜小屋でした。

そこは冷たく、暗く、家畜の排泄物などで汚れていました。柔らかなベッドもないので、家畜のえさ箱である飼い葉桶に幼な子を寝かせました。

おおよそ神の御子がお産まれになるのに、相応しい環境ではありません。

いえ、それどころか神の御子の誕生には、最も相応しくない場所でした。

「なぜですか。どうしてですか。こんな筈ではなかったのに」、と呟くのであれば、この時のマリアは、まさにそう呟くことが許される状況にいました。

私は、神様のご命令によって、神の御子を産んだのです。それなのに、なぜこんなに暗くて、寒くて、汚い所で産まなければならないのですか。なぜ生まれたばかりの赤ちゃんを、飼い葉桶の藁に寝かせなければならないのですか。

マリアは神様に対して、そのような文句を、言うことが許される立場にいました。

でもマリアは一言も文句を言っていません。聖書には、この時マリアは、「これらすべての出来事を心に納めていた」、と書かれています。

マリアは、受け入れ難いような状況を受け入れ、すべてを心に納めていたのです。

何故そんなことが出来たのでしょうか。

それは、他ならぬ神の御子が、飼い葉桶に寝ておられるからです。

全世界を造られ、すべてを支配されておられるお方が、こんなにまで小さくなられて、こんなにまで弱くなられて、そして、こんなにまで貧しくなられて、飼い葉桶に寝ておられる。

幼な子イエス様は、最も低い所で、最も貧しい御姿で寝ておられます。何故でしょうか。

それは、私たちすべてを受け入れてくださるためです。

もし、このお方が立派な宮殿に生まれていたなら、ごく限られた人しか会いに行けなかったでしょう。もし、ちゃんとした宿屋に生まれていたなら、当時、汚れた者と看做され、差別を受けていた羊飼いたちは、礼拝できなかったでしょう。

しかし、誰もが礼拝できるために、誰もが近づくことができるために、イエス様は家畜小屋の飼い葉桶に生まれてくださいました。

その神の御子の御姿を見た時、マリアの心の中から、一切の不平も、不満も、呟きも消え去っていったのです。

私たちの人生にも、なぜですか、どうしてですか、こんな筈ではなかったのに、と呟きたくなる時があります。そんな時は、この飼い葉桶に産まれてくださった、御子イエス様のことを想い起こしてください。

このイエス様の御姿には、どんな人をも受け入れる温かさがあります。どんな人をも迎え入れる平和があります。

このようにして、父なる神様は、最愛の独り子イエス様を私たちに与えてくださいました。

最も大切なものを私たちにくださいました。

背き続ける私たちの罪を、イエス様が全部背負って、十字架に架かってくださるために、神様は最も大切な独り子を、このようなお姿で与えてくださったのです。

最も大切なものを与えるということは、その相手が最も大切な存在である、ということです。最も愛している相手だからこそ、最も大切なものを与えるのです。

神様にとって、私たち一人ひとりが、最も大切な存在なのです。

そのような大きな愛に出会った時、私たちの心から不平や、不満や、呟きは消え去ります。

そして、平和が私たちの心を支配します。そのことを示してくれるエピソードがあります。

カナダのある町の町はずれに刑務所がありました。

冬の寒い日、その刑務所の高い塀の外の寂しい道を12、3歳の少女が一人、粗末な外套の襟を立てて、行ったり来たりしていました。

ちょうど、刑務所の所長さんが、そこを通りかかりました。そして、「どうしたの?」と、声を掛けました。

少女は、怯えたように、小さな声で言いました。「わたし、この中にいるお父さんにクリスマスプレゼントを届けに来たのです」。

「じゃあ、私が届けてあげよう。ちゃんとあなたが届けに来たことを話して、渡してあげるから、早く家にお帰り。風邪をひかないようにね」。

その少女のお父さんは、強盗犯人で、その刑務所でも有名な、嫌われ者でした。

乱暴で、直ぐに喧嘩をし、規則を守らず、看守たちの言うことを聞かず、手のつけられない囚人でした。

所長さんは、自分で、その少女のプレゼントを渡しに行って、こう言いました。「さあ、君の娘さんが、この吹雪の中を届けに来たクリスマス・プレゼントだよ。開けてごらん」。

でも、そのお父さんは一言も口をきかず、包みを開こうともしません。そして、恐い顔をして、所長さんをにらみつけています。

所長さんは、優しく言い続けました。「君の娘さんの心のこもったプレゼントなんだよ。さあ開けてごらん」。やっと、お父さんは、ノロノロとリボンをほどき、小さな紙の箱を開けました。

箱を開けたお父さんは、「あぁー、これは!」と大きな声をあげました。

なんと、その箱の中には、目も覚めるようなきれいな金髪の巻き毛が入っていました。

少女は、自分の髪の毛を、惜しげもなく、ばっさりと切って、箱に入れたのです。

そして、娘さんからのカードが添えてありました。そこにはこう書かれていました。

「愛するお父さん。クリスマスおめでとうございます。

私はお父さんに何か良いプレゼントをと考えたのですが、お金がありません。

お父さんも大好きだった、私の大切な髪の毛を、クリスマスのプレゼントとして贈ります。

私の愛するお父さん、早くうちに帰って来てちょうだい。私はいつまでも待っています。

お母さんもいなくなったので、わたしは今、伯父さん叔母さんの所にいます。

二人とも、お父さんのことを良く言いません。

でも、お父さん、私にとって世界でたった一人のお父さん、私はお父さんが大好きよ。

どんなに辛くても、寂しくても、私はお父さんを待っています。

お父さん、お体を大切にね。私は毎晩毎朝、神様にお父さんのことを祈っています」。

手紙を読んでいるうちに、この男の目から、涙がどっと溢れ出て、子供のように泣き出しました。涙が後から後から流れ、本当に長い間、このお父さんは泣き続けました。

自分の一番大切な金髪の巻き毛を献げた娘さんの愛が、荒れてすさんだお父さんの心に平和をもたらしたのです。

その時から、このお父さんは、生まれ変わったように良い人になって、刑務所でも模範的な囚人になったそうです。

この話は、リーダースダイジェストという雑誌に載っていた実話です。

最も大切なものさえ与える愛は私たちを変えます。私たちを新しく造り替えます。

そして、私たちの心に平和をもたらします。

神様は、私たちのことを愛していてくださいます。ですから、一番大切なものを、私たちにくださったのです。そのことを知る時、私たちの心に平和が訪れます。

ヨーゼフ・モールやフランツ・グルーバーのように、絶体絶命のピンチにあっても、清らかな讃美歌を作ることが出来る真の平和に満たされます。

Silent Night, Holy Night. 静かな夜、聖なる夜。幼な子イエス様が眠る飼い葉桶の周りにはこの平和が満ちています。

イエス様は、私たちに、この平和を与えるために来てくださったのです。

クリスマスは、この平和を頂く時です。この平和に満たされる時です。

今宵、私たちは飼い葉桶のイエス様を、心の中にお迎えし、クリスマスの平和に満たしていただきましょう。