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過去の礼拝説教

「教会におけるそれぞれの役割」

2019年04月07日 聖書:使徒言行録 18:24~28

先程、外山真理姉に、使徒言行録の18章24節~28節を、読んで頂きました。

今朝はこの御言葉から、「教会を支える愛と謙遜」について、聴いていきたいと思います。

「あれ、今朝の御言葉のどこに、教会を支える愛と謙遜が、語られているのだろうか」。

そう思われる方も、おられるかもしれません。

しかし、私は、今朝の御言葉を黙想していた時、教会における愛と謙遜の大切さを、示されたのです。これからご一緒に、そのことを探っていきたいと思います。

使徒言行録は、18章23節から、パウロの第三回伝道旅行について語っています。

第三回伝道旅行は、スタート時点では、第二回の時と、同じようなコースを辿っています。

シリアのアンティオキアを出発したパウロは、今回も、デルベ、リストラ、イコニオンなどの町を、訪れました。それらの町に建てられた、生まれたばかりの教会の、信徒たちを励まし、その信仰を守ることが、訪問の目的でした。この点も、第二回伝道旅行と同じでした。

ただ前回は、その後、思いがけない、聖霊の導きがあって、ギリシアのマケドニア州と、アカイア州での伝道へと、導かれていきました。

しかし、今回は、エフェソを中心とする、アジア州での伝道が中心となっています。

エフェソは、アジア州で最も大きな町で、政治的にも、商業的にも、大変重要な町でした。

そのエフェソに、前回は僅かな期間しか、滞在できませんでした。しかし、僅かな期間であっても、エフェソの人々は、パウロを温かく歓迎してくれました。

ですから、パウロは、今回は真っ先に、エフェソに行きたかったと思います。

でも、そのはやる心を抑えるようにして、各地の「弟子たちを力づけ」るために、ガラテア地方や、フルギヤ地方の諸教会を、まず巡回訪問したのです。

しかし、パウロがそうしている間に、一人の人物がエフェソに現れ、熱心に伝道し始めました。その人の名は、アポロ。アポロは、アレキサンドリア生れの、ユダヤ人でした。

アレキサンドリアは、エジプトの北部、ナイル川のデルタ地帯にある港町です。

新約聖書の時代には、約百万人の人口を擁していて、ローマに次ぐ大都市でした。

また、文化的にも高い水準を誇っていて、アテネと並んで、二大学問都市とされていました。

このアレキサンドリアには、多くのユダヤ人が住んでいて、紀元前三世紀には、ここで、旧約聖書がギリシア語に翻訳されています。

それが七十人訳と言われている、ギリシア語の旧約聖書です。

アレキサンドリアは、当時のギリシア・ローマ世界では、エルサレムよりも、遥かに先進的な町で、旧約聖書の研究においても、大変進んでいた町だったのです。

アポロは、そういう町で生れ育ちました。しかも、学識のある雄弁家で、聖書に通じていた、と書かれています。

この時は、未だ、新約聖書は書かれていませんから、この聖書とは、旧約聖書のことです。

アポロは、学問の都アレキサンドリアで、旧約聖書を詳しく学び、しかも、学識のある雄弁家であったのです。ですから、彼は、大変魅力的な伝道者であったと思います。

25節には、「彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていた」、とあります。

「主の道を受け入れていた」というのは、彼が既に、信仰を持っていた、ということです。

更に、アポロは、主イエスのことを、一人静かに信じているだけでなく、人々に向かって大胆に語る人でした。アポロは、特別な賜物に、恵まれた人だったのです。

このアポロは、コリントの教会の成長に、大きく貢献しました。

既に、学びましたように、コリントで最初に伝道したのは、パウロでした。

しかし、その後、他の伝道者たちもコリントで伝道し、その結果、教会の中に、派閥のようなものが、できあがってしまったようです。

パウロはコリントの信徒への手紙一の1章11、12節で、「わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』『わたしはキリストに』などと言い合っているとのことです」、と記しています。

ケファというのは、使徒ペトロのことです。ペトロもまた、コリントで伝道したのです。

ここに、偉大な使徒である、パウロやペトロと並んで、アポロの名が挙げられています。

これは、コリント教会の中に、パウロやペトロよりも、アポロに心を寄せている人々が、少なからずいた、ということを物語っています。

アポロは、そのように、魅力的で、力ある伝道者でした。しかし、彼には、重要なものが一つ、欠けていました。

それは、霊的経験の深みに、欠けていたという点です。聖霊に満たされるという、体験をしていなかったのです。

それを、御言葉は、「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」、と表現しています。

彼は、バプテスマのヨハネによる、「悔改めのバプテスマ」しか、知らなかったのです。

「悔い改めのバプテスマ」は、主イエスの名による、新しく生まれ変わるバプテスマ、つまり「新生のバプテスマ」とは、本質的に違うものでした。

彼は、主イエスが、旧約聖書に預言されているメシアである、という知識は持っていました。

ですから、ナザレのイエスこそ、メシアであると、力強く説教しました。

しかし、主イエスによる救いの本質を、しっかりと握り締めていた訳ではありませんでした。

私たちの罪を贖うために、主イエスが身代わりとなって、十字架にかかってくださったこと。

更に永遠の命の希望を、確かにするために、その主イエスが、復活してくださったこと。

そして、天の父なる神様の許に昇られ、今も生きて、私たちのために、執り成しをしてくださっていること。これらの救いの本質を、自分のものとして、確かに掴んでいなかったのです。

救いの恵みを、自分のものとして、掴み取るには、聖霊の働きが、必要なのです。

しかし、彼の主イエスに対する信仰は、頭の中の知識に留まっていて、自分の血となり、肉となってはいませんでした。信仰が、彼の内に、活き活きと、生きてはいなかったのです。

アポロは、エフェソの町で、ユダヤ人の会堂に入って、大胆に話し始めました。

その説教は、彼の学識と聖書の知識とを、十分に活用して、雄弁に行われました。

一般の聴衆は、その力強い言葉に、魅了されたかもしれません。

しかし、それを聞いて、彼の説教に、重大な欠陥があることに気付いた、一組の夫婦がいました。プリスキラとアキラの夫婦です。

コリントにおいて、パウロの協力者であった、プリスキラとアキラは、パウロと共に、コリントからエフェソに、移り住んでいました。

そして、パウロがエルサレムに上った後も、エフェソに留まって、伝道を続けていたのです。

26節には、こう書かれています。「このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した」。

パウロから、丁寧な信仰の訓練を受けていた彼らには、アポロが語っていることと、パウロの語る福音との違いが、直ぐに分ったのです。

美術鑑定などで、本物か偽物かを見分けるには、大切なこつがある、とよく言われます。

それは、たくさんの本物を見る、ということだそうです。たくさんの本物を見ていると、偽物が直ぐに見分けられるそうです。

これは、いつも見ているものとは違うな、と直ぐに分かるというのです。

でも、偽物ばかり見ている人は、たまに本物を見ても、違いに気づかない、というのです。

プリスキラとアキラは、パウロが語る福音の真理を、繰り返して聞いていました。

ですから、アポロの語る、主イエスのメシア像には、何かかが欠けている、と直ぐに分かったのです。

そこでこの夫婦は、アポロを自分たちの家に招待して、もっと正確に神の道を説明しました。

パウロから受けた教えを、アポロに、丁寧に、そして正確に、説明したのです。

ここで、感心するのは、この夫婦が、アポロに接した態度です。

二人は、アポロの説教を聞いて、彼の福音理解が、不正確であることを知っても、会衆の前で、それを指摘するようなことはしませんでした。

或いは、陰で、こそこそと噂をする、というようなこともしませんでした。

この夫婦は、人を批判するだけの、評論家ではなかったのです。

教会が建て上げられ、福音が前進することを、心から望んでいたのです。

彼らは、この有能な伝道者を、傷つけずに、導きたいと切に願いました。

神様が遣わした、大切な器であるアポロが、正しく成長し、間違いのない信仰に立って、福音宣教に励んで貰いたい、と心から願いました。

ですから、自宅に招き入れ、他の人のいない所で、謙遜な態度をもって、説明したのです。

今の教会に当てはめれば、アポロは教師です。そして、プリスキラとアキラは信徒です。

教師、或いは牧師が、間違っている時、信徒は、どのように対応すべきなのでしょうか。

プリスキラとアキラの取った行動は、その答えを与えてくれています。

二人は、飽く迄も、アポロを教師として敬い、信徒としての謙遜をもって接しました。アポロを傷つけることを避けて、誰もいない所で、丁寧に、愛をもって、間違いを指摘したのです。

アポロは、この夫婦の、愛に満ちた配慮に、どれ程、感謝したことでしょうか。

ですから、アポロは、二人の助言を、素直に受け入れることができました。

「私は教師だ。教師が、なぜ信徒の言うことを、聞かなければいけないのだ」、というような、高慢な態度を取ることはありませんでした。

アポロもまた、教会の一員として、謙遜に学ぶことのできる人であったのです。

プリスキラとアキラも、そしてアポロも、謙遜を身に付けた、人たちであったのです。

何故、彼らは、そんなに、謙遜でいられたのでしょうか。

それは、主を愛していたからだと思います。主の御体なる教会を、愛していたからです。

教会のことを、第一に考えていたからです。自分の思いが、成し遂げられることが、第一ではなく、主の教会が建て上げられることを、第一としていたからです。

そのような思いは、一人一人が、主の御前に、心からへりくだる時に、生まれてきます。

一人一人が、主を愛し、主の御心を、謙遜に尋ね求めていく時、その愛と謙遜が、教会員の間にも広がっていくのです。

そのような愛と謙遜に生きている時、教会は豊かな恵みに満たされます。

プリスキラとアキラによって、アポロは、その信仰を軌道修正されて、伝道者として大きく成長しました。謙遜なクリスチャン夫婦の愛は、こうして一人の伝道者を、正しく成長させることができたのです。

その後、アポロは、アカイア州へ、つまりコリントへ渡ることを希望しました。

プリスキラとアキラは、かつての仲間である、コリント教会の人々に、彼を歓迎してくれるようにと、紹介状を書いて、彼を送り出しました。

アポロは、コリントに着き、力強く伝道をしました。28節にあるように、聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを、説き伏せたのです。

コリントの教会は、パウロが去った後、このアポロの指導の下に、成長していきました。

ですから、パウロは、コリントの教会について、「わたしは植え、アポロは水を注いだ」、と言っているのです。アポロの働きによって、コリントの教会は、大きく成長しました。

しかし、一方では、大きくなったコリント教会には、派閥のようなものができてしまいました。

先程の引用のように、「わたしはパウロにつく」、「わたしはアポロに」、「わたしはケフアに」、というような状況に、なってしまったのです。

アポロ自身には、パウロに対抗して、自分の派閥を作ろう、などというような意図は、全くなかったと思います。

しかし、未熟であった、コリントのクリスチャンたちは、伝道は神様の御業である、ということが、十分に理解できていませんでした。

その結果、パウロ派やアポロ派というようなものを、作ってしまったのです。

それでは、パウロは、アポロのことを、どのように見ていたのでしょうか。ライバルとして警戒し、敵視していたのでしょうか。

パウロは、コリントの信徒への手紙一の3章で、こう言っています。

「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くために、それぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。

わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。私たちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです」。

このパウロの言葉を読んで驚かされるのは、パウロがアポロに対する、自分の優位を主張していないことです。

パウロは自分のことを、種を植えた者にたとえ、アポロを、水を注いだ者にたとえています。

しかし、「自分が種を植えなければ、コリントの教会は生まれなかった。だから種を植えた者の方が上だ」、などとは言っていません。

そして、「成長させてくださったのは神です」、と最も大切なことを、謙遜に語っています。

「成長させてくださるのは神です」。この真理は、意外と見失われ易いものです。

コリントの教会に、パウロ派や、アポロ派などが、起こったように、今日の教会でも何々派、何々派というような、党派が生まれ易いのです。

そして、神様が、様々な人を用いて、私たちの信仰を育ててくださった、ということを忘れて、私は何々先生の薫陶を受けた者だとか、私は何々長老に導かれた者だ、というようなことを誇りにして、互いに対抗意識を燃やす。そのようなことが、起こり易いのです。

しかし、そのように、教会に党派が生まれるのを見て、一番悲しまれているのは、教会の頭なる主イエスご自身です。

「私の体は、バラバラになってしまっている」、と主は嘆かれています。

また、教会員に、「私はあなたの派閥です」、などと言われたなら、そう言われた牧師自身も悲しみます。そう言われて、喜ぶ牧師など、一人もいません。

コリントの教会が、党派心や、対抗意識に満ちているのを見て、パウロもアポロもペトロも、どれ程、悲しんだことでしょうか。

そのことを憂慮してか、アポロは、コリントの教会から身を引いて、エフェソに帰り、その後は、どんなに要請されても、再びコリントには、戻ろうとしなかったのです。

教会から、謙遜さが失われると、愛の交わりも失われて行きます。教会を支えるものは、この謙遜に裏付けられた、愛なのです。

先週、ホーリネスの群の年会に出席した時、ある牧師から、こんな話を聞きました。

その牧師が、ロスアンゼルスの教会を訪れた時のことです。その教会に、主イエスが、弟子たちの足を洗っている、有名な像があるというので、礼拝後に見に行きました。

像を見るために、行列ができていましたが、その行列が、なかなか前に進みません。

不思議に思いつつ、並んでいました。そして、やっと、その像の前まで来ました。

その像の主イエスは、弟子たちの足を洗うために、下を向いています。ですから、上から見ていたのでは、主イエスの御顔が、全く見えないのです。

見ると、像の傍らに、こう書かれていました。「もし、あなたが、イエスの顔を見たいなら、跪いて、イエスの顔よりも、自分の顔を低くしなければなりません。」

そうなんだ、自分が、主イエスよりも、低くならなければ、御顔を見ることはできないのだ。

そう示されて、地面に跪いて、主イエスの顔を、下から見た時に、愛と慰めに満ちた、その御顔を、初めて見ることができた、というのです。

皆さん、私たちは、どのように、主イエスを、見ているでしょうか。自分は立ったままで、跪いている主イエスを、上から眺めているだけでしょうか。

それなら、主イエスの愛と慰めに満ちた御顔を、見ることはできません。

本来、天の高みにおられる筈の主イエスは、限りなく低くなられて、私たちの足を、洗ってくださっているお方なのです。

その主イエスに、お会いするためには、私たちも、同じように、低くならなければ、ならないのです。主イエスの謙遜に、主イエスの愛に、倣わなければ、ならないのです。

愛する兄弟姉妹、私たちは低くなりましょう。謙遜と愛をもって、お互いに仕え合いましょう。

その時、茅ヶ崎恵泉教会は、本当の意味で、「愛と慰めの共同体」となるのです。