MENU

「やってみよう」と「どうせだめさ」のはざまで

「「やってみよう」と「どうせだめさ」のはざまで」

2020年9月27日

礼拝で時間をかけて「山上の説教」を学んでいます。山上の説教には、実行困難と思われる勧めが次々に出て来ます。「敵を愛せよ」、「思い悩むな」、「人を裁くな」等々。こういう言葉に出会うと、とても私には無理だ、という思いに覆われます。しかし自由学園の創立者で「友の会」を始めた人でもある羽仁もと子さんは、こう言っています。『私どもの心の中は絶えず二つの動力が凌ぎ合い、綱引きをしています。一つの動力は「やってみよう」、もう一つの動力は「どうせ駄目さ」。「やってみよう」という思いが心の中から生まれて来ると、すぐ後に「どうせ駄目さ」という思いが追いかけて来て、どんどん大きくなり「やってみよう」という思いを呑み込んでしまう。私どもの毎日の生活を支配しているものは、「やってみたって、どうせ駄目さ」という諦めです。…しかしどんな時でも、「よし、やってみよう」と言って立ち上がるのが、神に作られた人間としての本当の姿なのです。』私たちが「どうせ駄目さ」という思いに捕らわれた時は、自分は今、本当に全能の神様の御前に立っているか、と反省したいと思います。そして主の助けを信じて小さな一歩を踏み出したいと思います。