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微笑み

「微笑み」

2013年11月24日

フレデリック・フェイバーという人がこんなことを言っています。「微笑みはたくさんのものを与えます。でも費用はかからず、受け取る人を豊かにします。与えたからといって与えた人が乏しくなることはありません。微笑みは一瞬のことですが、その記憶は永く残ります。微笑みを必要としないで生きていけるほどの豊かな人、強い人はいません。また微笑みによっても豊かにならない程貧しい人もいません。微笑みは、家庭では幸せを創り出し、ビジネス社会では善意を育み、友情のしるしになります。微笑みは、疲れ果てた人に安らぎを、失望した人に励ましを、悲しみにくれる人には光をもたらします。自然で最高のトラブル解毒剤です。微笑みは買ったり、借りたり、盗んだりすることはできません。人に与えなければ何の価値もないものです。疲れ果てていている人は、あなたに微笑をくれないかもしれません。でも、その時こそあなたの微笑を分けてあげてください。何故なら、微笑を与えることのできない人ほど微笑みを必要としている人はいないからです」。茅ケ崎恵泉教会がいつも微笑みに満ち溢れるために、主イエスの微笑みにいつも覆われていたいと願います。

「父母は見捨てようとも」

2013年11月17日

1961年の夏。13歳の少年が、お母さんに「ここで待っていなさい」と言われ、フロリダの暑い太陽の下でお母さんの帰りを3日間待ちました。しかし、お母さんは二度と戻って来ませんでした。3日間同じ場所にいる彼に、一人の人が声をかけました。「何か食べるものいらない?それからねえ、青年キャンプに行かない?」。「それ何?」。「きっと君も気に入るよ。君と同じ年の子がたくさんいて、スポーツをしたり、礼拝もあるんだ」。この人は、少年の参加費を支払ってキャンプに参加させてくれました。そのキャンプの水曜日の夜、彼は、人生を全く変える決定的な瞬間を経験しました。生まれて初めてイエス・キリストの十字架と復活の話を聞き、祭壇の前にひざまずいて祈りました。「イエス様、私の罪をお赦しください。私の人生をあなたにおささげします」。やがて彼は教会に住まわせてもらい、成長して牧師となりました。現在、ニューヨークのスラム街で3万人の子どもを導くビル・ウィルソンがその人です。詩編27編10節の御言葉はこう言っています。「父母は私を見捨てようとも、主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます」

「ドナウの跳ね橋」

2013年11月10日

ドナウ川に一本の跳ね橋がかかっています。この跳ね橋の管理人は、橋げたのそばの小屋に小さな息子と二人で暮らしていました。船が近づいて来ると、レバーを引いて太い鉄のワイヤーを巻き上げ、橋を跳ね上がらせて船を通していました。ある日、大きな遊覧船が橋に近づいてきました。船が汽笛を鳴らし、管理人はワイヤーを巻き上げるためにレバーを引きました。その瞬間、なんと息子がワイヤーボックスの上に乗って遊んでいるのに気が付きます。このままでは息子がワイヤーに巻き込まれて命を落としてしまいます。彼は慌ててレバーを止めようとします。でも船が近づき過ぎているので、今止めたら確実に船が橋に衝突し多くの人の命が失われます。瞬間の決断で、彼は「坊やごめん」と叫びつつ、息子の命を犠牲にします。何も知らない船の乗客は、手を振って楽しそうに行き過ぎていきました。この物語が実話なのか、フィクションなのか分かりません。しかし、父親を神様、息子をイエス・キリスと考える時に、この話は私たちの心に迫ってきます。多くの人の命を救うために、独り子を犠牲にした父なる神様の大きな痛みを深く思うことなく、私たちは毎日をただ安穏と過ごしていることはないでしょうか。

「神の国はなお我にあり」

2013年11月3日

10月31日は宗教改革記念日でした。1517年10月31日に、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に「95カ条の論題」を張り出たことから宗教改革が始まりました。宗教改革者ルターは優れた讃美歌作家でもありました。彼の作った讃美歌の中で最も有名なものは、讃美歌21の377番「神はわが砦、わが強き盾」でしょう。この讃美歌が作られたいきさつについてはいろいろな説があります。一つの説は、1527年にヴィッテンベルクにペストが大流行したことと関連があると見ています。この時ルターは重い病から癒された直後で、妻のカテリーナは二番目の子の出産を間近に控えていました。多くの人々がペストで倒れて行くのを見た友人たちは、疎開するようにルターに強く勧めました。しかし、ルターは「私は羊たちが最も必要とする時に、彼らを捨てて逃げる雇い人とはなりたくない」と言って、妻子と共にふみとどまりました。彼はその時、ペストの猛威の中で、この讃美歌を作ったと言われています。3節にあるように「悪魔、世に満ちて」いる力を感じながら、信仰と祈りによってそれを克服し、最終的な勝利を歌ったのが、この讃美歌なのです。