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花子とアンと矯風会

「花子とアンと矯風会」

2014年4月27日

「日本キリスト教婦人矯風(きょうふう)会」という公益法人があります。1886年(明治19年)に設立された日本で一番古い婦人団体です。キリスト教の精神に基づいて、女性と子どもの人権を守り、福祉の向上を目標に掲げて、禁酒・禁煙運動、廃娼運動、婦人参政権獲得運動などの様々な運動をしてきました。現在は、運動だけではなく、アルコールや薬物依存症に関する相談事業や、女性や子どもを守るための緊急避難施設(シェルター)も運営しています。現在放映中のNHKの朝の連続ドラマ「花子とアン」の主役の安東はなのモデルは村岡花子という女性で、『赤毛のアン』などを翻訳した児童文学家です。村岡花子は学生時代から矯風会青年部に属し、また文書部書記として矯風会発行の「婦人新報」の編集にも長年関わってきました。そして、「婦人新報」にエッセイや、小説や、翻訳した作品の紹介など、多くの記事を書きました。赤坂新町にあった矯風会館に下宿していたこともあったそうです。なお、劇中の「修和女学校」は、村岡花子が学んだ「東洋英和女学院」がモデルになっていると思われます。そのようなことを頭に置きながらドラマを見ると、より深く楽しめるかもしれません。

「しばてん」

2014年4月20日

「しばてん」という強い化け物がいたが、村人が力を合わせて退治した。ちょうどそれと入れ違いで村に捨て子として置かれた赤ん坊「太郎」。太郎は村人たちに育てられ、やがて強いガキ大将になった。いつしか「太郎はしばてんの生まれ変わり」と言われるようになり、山に追われてしまう。何年も経って太郎が人恋しさに山から降りてみれば、村は飢饉で、人々は庄屋の蔵に「打ち壊し」を決行するところ。太郎はピンチに陥った村人に加勢してみんなを助ける。村には平和が戻る。しかし、役人が庄屋を襲った犯人を召し取りに来たとき、村人たちはみんなで太郎ひとりに罪をかぶせた。太郎は一言の言い訳もせず、村人たちのことも責めず、ただ黙って役人に引かれて行った。この昔話の太郎の姿は、イエス様のお姿と重なります。太郎に罪をかぶせる時、村人たちは「あいつは化け物だから、首を切られても、にいっと笑っているに違いない」と心の中で言い訳をしました。でも太郎は二度と村に帰ってきませんでした。しかし、イエス様は復活してくださいました。そして、私たちの復活の初穂となってくださり、赦しと希望を与えてくださったのです。主よ、感謝します。主の復活ハレルヤ!

「四肢麻痺のイエス様」

2014年4月13日

アメリカにジョニー・エレクソン・タダさんという方がおられます。彼女は十七歳の時、海でダイビング中に首の骨を折り、四肢麻痺に陥りました。奇跡的に命は取り留めましたが、医者は「あなたの脊椎の損傷は永久的で、四肢麻痺は治ることはありません」と告知しました。それを知って彼女は意気消沈し、死んだほうがましだと願い始めました。しかし、そんな彼女に、ある時友人が言いました。「十字架のイエス様も、あなたと同じように四肢麻痺だったのよ。愛するあなたを救うためにそうなられたのよ」。それを聞いて、彼女は、それ程までにこの自分を愛してくださっている、主イエスの十字架の愛に気付かされました。ベッドに固定されて、ただ天井を見続けているだけの絶望のどん底で、自分のために四肢麻痺となられた十字架の主イエスの愛に、希望と喜びを見いだしたのです。彼女はよき指導者に巡り合い、口に筆をくわえて絵を描く訓練を始めました。やがて彼女は素晴らしい画家となりました。今、彼女は車椅子で全世界を回り、救い主イエス・キリストを伝えています。十字架の愛に真実に出会った時、人はどのような境遇にあっても希望に生きることができるのです。

「愛の一言の力」

2014年4月6日

島秋人という死刑囚がいました。彼は獄窓にあって、これまでの歩みを振り返ってみましたが、人に褒められた思い出は何一つありませんでした。しかし、もう一度繰り返して思い出してみた時、中学校の図工の先生に、「お前は絵は下手だが構図はクラスで一番良い」と褒められたことに気づきました。彼はその先生に手紙を書きました。死刑囚からの手紙に返事を書く人などいる筈がないと思ったのですが、驚いたことに直ぐに返事が来ました。しかも、憶えている筈がないと思った自分のことを憶えていると書いてあるのです。更に驚いたことに、数日後にその先生が面会に来てくれました。その先生は、クリスチャンでした。先生は、何度も何度も面会に来て、島秋人死刑囚に主イエスの愛を語りました。聖書を手渡して読むことを勧めました。島死刑囚は聖書を熱心に読みました。そして、この自分も神様から愛されていることを知ったのです。その時から、島死刑囚は全く変わりました。自分のために死んでくださった方がいる。自分はそれ程までに愛されている。このことを知った彼は、残された僅かな時間を精一杯生きました。そして、模範囚として死刑になっていったそうです。