MENU

神様の言葉

「神様の言葉」

2014年6月29日

質問好きのエマヌエルという男の子の話です。 彼は、神様はどんな言葉で話されるのかを知りたくて、 方々を旅して尋ねて回りましたが、答えてくれる人は誰もいませんでした。そこで、答えを求めて外国に出かけることにしました。ある夜ベツレヘムという村に辿り着いたところ、宿屋に部屋が見つかりませんでした。そこで彼は夜露を防ぐところを探して、村の外の洞窟へやってきました。 中には既に夫婦と子供がいました。彼がそこを立ち去ろうとしたとき、若い母親が言いました。「どうぞ、お入りなさい、エマヌエル。私たちはあなたが来るのを待っていたのですよ」。自分の名前を言い当てられて驚いている少年に、彼女は更に言いました。「あなたは神様がどんな言葉でお話しになられるのかを尋ねて、長い間世界中を旅してこられましたね。今、あなたの旅は、終わろうとしています。今夜あなたは、神様がどのような言葉でお話しになるか、あなた自身の目で見ることができるでしょう。神様は愛の言葉で話されるのですよ」。神様は、私たちを愛するために造られました。ですから、神様のお言葉は愛で満ちているのです。幼な子イエスは、神様の愛のお言葉そのものなのです。

「あなたはどのクリ」

2014年6月22日

クリスチャンにも様々なタイプがあります。ジョーク好きのある牧師がこんなことを言っていました。「デモクリ」:あれでもクリスチャン?でも、そんな私を救ってくださる主の恵みの素晴らしさ!/「コックリ」:説教が始まると同時に寝る。いいですよ、主にあって眠る人は幸いです。そのような平安はクリスチャンに与えられた大きな恵み!/「ヘソクリ」:いざという時に、力を発揮する。「へーそーか、クリスチャンだったのか」と周りの人が納得する。/「ビックリ」:エッ、あの人クリスチャンだったの、と死んでから驚かれたりする。/「クリクリ」:普段は潜水艦のように潜っていて、クリスマスの時だけ浮上する。それでもいいですよ。来てくれれば。/「ガックリ」:いつも自分の罪の深さを嘆いて、ガックリと肩を落として歩いている。そんなに嘆かなくても良いですよ。主イエスはそんなあなたを愛しています。/「コンクリ」:鉄筋コンクリートのように、コチコチなクリスチャン。そのコチコチで他人を裁かなければ、とても立派です。/「コソクリ」:あの人こそ、クリスチャン!愛と慰めに満ちた人。他にも思いついたタイプがあったらこっそり教えてください。どんなタイプのクリスチャンでも、主イエスは受け入れてくださいます。

「心の内と外」

2014年6月15日

以前、若者の間でヒットした曲の歌詞にこんな一節がありました。「片一方は天使でもう一方は悪魔で、分裂しそうなんだ。抗鬱剤をちょうだい。暗い未来を防ぐんだ。永い迷宮みたいな青春だ」。若者が、自分が分からない、といって悩んでいるのです。天使のような自分がいると思うと、悪魔のような自分もいる。私たちは、皆、こういう二面性に苦しんでいます。マシューという人気コメディアンの一座が、ある町に巡業してきました。その町の病院へ、一人の青白い顔をした人が診察を受けに来ました。診察した後、医師は言いました。「どこも悪いところはありません。気分転換に、マシュー劇団の喜劇でも見たら、心配事も吹き飛んで元気になりますよ」。その人は「駄目だと思いますよ」と力なく言いました。「大丈夫です。きっと良くなりますよ」、医師がそう言うと、その人は、「マシューというのは、この私なのです」と言ったというのです。人を笑わせておきながら、自分では心に空しさや悲しみを抱えている。これが人間の現実です。そんな私たちに、主イエスは語り掛けられます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。

「スティーブン・サットンの人生」

2014年6月8日

5月14日に、スティーブン・サットンさんという19歳のイギリス人の青年が亡くなりました。スティーブンさんは15歳の時に結腸直腸癌と診断され、3年間で7回の外科手術と4種類の化学療法を受けましたが、2012年に治る見込みがないと告げられました。彼は、その時から生き方がものすごく前向きになったと言っています。2013年1月に、彼は「スティーブンの物語」というページをネット上に立て上げ、そこで死ぬまでにやりたい46の目標を公表しました。「人生は、生きた時間の長さではなくて、成し遂げた数で測る」と語った彼は、その目標の3分の2を成し遂げました。目標のトップは、他の若年癌患者のために1万ポンド(約170万円)の寄付を集める、ということでしたが、驚くほど大きな支援の輪が世界中に広がり、今やなんと7億円にも達しようとしています。スティーブンさんは言っています。「人生は時には公平ではない。そのことが、世界をより良い場所にしたいという僕の意欲を高めてくれる。悪いことは必ず起こる。でもそれにどう向き合うかで自分という人間が決まる」。三浦綾子さんも言っています「人は自分の運命を選ぶことはできないが、その人生を選ぶことはできる」。

「」

2014年6月2日

今日はファミリー礼拝の日、教会は神の家族であることを覚える日です。そこで、1か月前の5月5日(子どもの日)に、このコラムで取り上げた「子育て」について、再び考えてみたいと思います。子育ての目標は子どもの自立である、という持論の続編です。ある牧師が、子育てに関する大切なポイントを四つ挙げています。
(1)前提:子ども(の命)は神様のもの。
(2)親の定義:親はその命をお預かりし育てる者。
(3)目標:自立させること。
(4)最終段階:神様にお返しし(キリストに結びつけ)、隣人に仕えるため、社会に送り出す。
これら四つをまとめて言うと、こうなります。「子育てとは、神のものである子どもを預かり、自立に向けて育て、神にお返しし、社会に送り出すこと」。更にこれを、クリスチャンホームに特化して言えばこうなるでしょうか。「子育てとは神様からの賜物である子どもを預かり、自立した信仰者に向けて育て、キリストに結びつけ、隣人に仕えるため世に遣わすこと」。虐待問題などで親権の正当性が論じられている昨今の日本社会において、このような考え方が親子関係の根本に置かれることを願わずにはいられません。

「評価よりも愛が自信を育てる」

2014年6月1日

少し前に読んだ本に、探偵社に持ち込まれる調査依頼の中で、「自分を調査して欲しい」という依頼が、一年に二千件を超える、と書いてありました。自分が他人からどのように評価されているか、この先どれくらい出世できるかを調べて貰いたいのです。そういう依頼者の90%は、地位があって、自信のありそうな人たちだそうです。褒められ、評価されることによって駆り立てられ、頑張ってそこそこ成功した人は多くいます。しかし、それは、あくまでもうまくいった時、という条件付きです。本当の自信とは違います。本人は、失敗することを常に恐れています。自分の存在そのものに自信を持てないと、私たちは、自分の価値を高めようと、外側を必死になって飾ろうと努めます。一方、愛されるということは、良い時も悪い時も、その行動の善し悪しとは関係無しに、ありのままの自分がそっくり受け入れられることです。神様は、「周囲の評価がどうであろうとも、私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」、と言ってくださっています。この神様から与えられる平安の中で生かされ、神様に対する信頼に依って立っている人こそ、本当に自信のある人なのだと思います。