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宝石よりも大切なもの

「宝石よりも大切なもの」

2014年11月30日

一人の巡礼者が村外れで野宿していた。そこへ突然、村の男が駆けつけてきてこう言った。「宝石、宝石。宝石をください!昨夜、夢で天使のお告げがあったのです。夕暮れに村外れに行けば巡礼者に会える。その人が宝石をくれるから、私は大金持ちになれると」。巡礼者は袋の中から石を一つ取り出して男に差し出した。「それは多分このことでしょう。二、三日前に森の小道で見つけたのです。どうぞ持っていって下さい」。男は石を見て驚いた。何とそれは、大きなダイヤモンドだった。彼はダイヤモンドを受け取り村に帰った。しかしその晩、一睡もできずに夜を過ごした。日が昇ると、男は巡礼者のところに行ってこう言った。「あれほど喜んでダイヤモンドを手放せるのだから、あなたはよほどすごい宝をお持ちに違いない。私はその宝の方が欲しいのです」。今日の午後、バザーが開かれます。もし収益が与えられるなら、その恵みを感謝して頂きたいと思います。しかしバザーを通して、主は、収益以上の恵みを与えてくださると思います。教会と地域との絆が強められ、そして教会員相互の信頼と一致が更に深められるという恵みです。その方が遥かに大切な宝なのではないでしょうか。

「言葉に宿るいのち」

2014年11月23日

クリスチャン作家の椎名麟三は、「言葉のいのちは愛である」と言いました。言葉によって愛が伝えられ、人を生かすことになるからです。こんな恐ろしいエピソードがあります。ある皇帝が何とも残酷な実験を思いつきました。もし赤ちゃんが何も言葉を聞かされなかったら、一体何語を話し出すだろうか。それを知るために、多くの赤ちゃんを集めてこう命令しました。「ミルクや食事は十分に与えよ。しかし絶対に話しかけるな」。一年、一年半と時が経ちました。赤ちゃんたちは何かを話し出したでしょうか。当然ですが、何も話し出しませんでした。そして可哀そうなことに、二年くらいの内に赤ちゃんは皆、死んでしまったのです。人は食べ物がないと生きてはいかれません。でもそれだけでなく、言葉を掛けられなければ、生きていけないのです。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」、と主イエスが言われた通りです。言葉なしには人は死んでしまうのです。ということは、「言葉のいのちは愛」なのですから、愛がなければ人は生きていけないということです。私たちが活き活きと生きるために、お互いに愛の言葉を掛け合う群れとなりましょう。

「神の子として生きる平安」

2014年11月16日

どの親でも、一度はお子さんの反抗期に悩まれたと思います。子どもに期待すればするほど、期待を裏切られた時に、悲しみと怒りと焦りが湧いてきます。上手く乗り越えていく秘訣の一つは、親自身が幸せに生きる事ではないでしょうか。親が上に立って、子どもをよく育ててやろうと乗り出すと、かえって問題がややこしくなっていくように思います。自分は子どもにとっては親であるけれども、自分も神様にとっては一人の子どもに過ぎない。そして神様は、キリストにあって、私を一人前の大人にするために、子どもを用いて訓練してくださっている、と受け止めたらどうでしょう。私は何でも分かっている万能の親ではなく、神様の前には一人の人間、一人の子どもです。ですから、神様の子どもとして、神様に心を注ぎ出し、約束を信じ、決して、神様は悪いようになさらないと信頼して生きることが、平安の秘訣ではないかと思います。お子さんは、反抗しつつも、親の反応を確かめています。そして、自分の反抗に対しても、平安をもって応えてくれる親に安心するのです。そして、いつの間にか親の平安が、子に転嫁されていきます。善にして、善をなされる主に、委ねてまいりましょう。