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絶えず祈れとは

「絶えず祈れとは」

2015年4月26日

祈りについて更に考えてみましょう。聖書は、私たちに「絶えず祈る」ことを勧めています。しかし、実際の生活の現場で、いつも祈っているということは不可能です。仕事もし、食事もし、睡眠もとらなくてはいけません。では「絶えず祈る」とはどういうことなのでしょうか。私はこう考えています。「絶えず祈る」とは、私たちの心の一番奥深い所が、いつも神様に向かって開かれていることではないでしょうか。ですから、何かあると短い祈りが自然に出てくる。困った時には「神様、助けてください」。悲しい時には「神様、慰めてください」。弱った時には「神様、力を与えてください」。孤独な時には「神様、そばにいてください」。そして、嬉しい時には「神様、感謝します」。こういう短い一瞬の祈りが、思わず口に上る。それが、「絶えず祈る」ということではないでしょうか。そういう祈りを「Flash Prayer、フラッシュ・プレヤー」というそうです。カメラのフラッシュのような一瞬の祈りです。三浦綾子さんは、これを「射祷」と名付けています。そして、この「射祷」が自然に出てくることが、信仰を活き活きとしたものにすると言っています。私たちも、射祷の恵みに与りましょう。

「祈りについて」

2015年4月19日

今年度の主題聖句は、ひたすら祈ることを勧めています。しかし、私たちは、しばしば、どう祈ったら良いか分からないと思う時があります。加藤常昭師はこう言っています。「祈りを学ぶとは、祈り方や言葉を身に付けるのではなく、裸になることです。祈る前から、あなたの思いをすべて知っておられる方が求めるのは、ただ一つ。それは、あなた自身。祈れない私を主は知っていてくださる!だからこそ、私たちは、このお方に心を注ぎ出すことができるのです。」使徒パウロは、「私たちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって、執り成してくださる」と言っています(ローマ8:26)。そうであるなら、私たちは、立派な祈りができないと苛立ったり、他人の祈りを裁いたりすることから解放され、祈れないことを知っていてくださり、切なるうめきをもって執り成していてくださる神様に、ありのままの自分をさらけ出しましょう。そうすることを通して、私たちは祈りの言葉を見出すようになります。どう祈ったら良いか分からないから祈らない、ではなくて一言「神様!」と叫んでみましょう。祈りには、上手とか、下手とかの区別はないのです。

「カオイダン村の奇蹟」

2015年4月12日

1979年に、犬養道子さんがある難民キャンプを訪れた時のこと。野外病院に一人の子がいた。親・兄弟は死んだか、殺されたか、はぐれたのか。一語も口にせず空をみつめたまま。いくつもの病気に蝕まれていたが、その子は薬も流動食もてんで受けつけなかった。幼な心に「これ以上生きて何になる」と絶望を深く感じていたのだろう。「衰弱して死んでゆくだけしか残っていない。可哀想に」。国際赤十字の医師団が匙を投げた。その時から、ピーターというボランティアの青年がその子を抱いて座った。子の頬を撫で、接吻し、耳もとで子守歌を歌い、二日二晩、ピーターは用に立つ間も惜しみ、全身を蚊に刺されても動かず、その子を抱き続けた。三日目に反応が出た。ピーターの眼をじっと見て、その子が笑った!「自分を愛してくれる人がいた」、この意識が石のごとくに閉ざされていたその子の顔と心を開かせた。ピーターは喜びと感謝のあまりに、泣きつつ食と薬をその子の口に持って行った。その子は食べた!薬も飲んだ。そしてその子は生きたのである。「愛は食に優る。愛は薬に優る。愛こそは最上の薬なのだ、食なのだ」。主任の医師が深い声で言った。(「人間の大地」より)

「おはよう」

2015年4月5日

頌栄教会(東京都世田谷区)の会員である、林あまりさんという詩人が作られた「おはよう」という詩を紹介させて頂きます。『「おはよう」と のんびり明るい声がする 道の向こうで待っている人/この声は― 低くて澄んだ、やわらかな― 世界で一番なつかしい声/右手を上げて白い衣のそのひとは ちょっぴりいたずらそうに笑った/傷だらけの・・・、日に焼けた・・・、高い甲・・・、/指が長くて・・・、まちがいない・・・、先生の足!/わたくしに、まずわたくしに会いに来てくださったのですか、/このわたくしに―。/どのようなお姿でしょうとわかりましたのに あなたはあんまりあなたのままで/最悪の夜のあとでも朝が来る怒りを 三度味わったのち/あぁわたし あれから初めて泣いている こんなにも死んでいたのだ、わたしは/なんだろう このいい香り 先生のほほえみのたびに、まばたきのたびに/お命じになる静かな瞳は変わらない いいえ。前より、強く、やさしく―/もう死など死ではなくなり いつだってあなたはわたしと共におられる】。今朝も「おはよう」と爽やかに語りかけてくださる主に、「おはようございます!」と元気よく応えていくお互いでありたいと思います。