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クリスマスの歌(5)メサイア

「クリスマスの歌(5)メサイア」

2016年12月25日

ヘンデル作曲によるメサイア。日本では、クリスマスに演奏されますが、ヨーロッパではイースターに演奏されることが多いそうです。茅ケ崎恵泉教会はクリスマスにも、イースターにも、ハレルヤ・コーラスを合唱します。日本とヨーロッパ、両方の慣習を取り入れていると言えます。救い主イエスの御業を讃えるこの曲は、実は、作曲者ヘンデル自身が主イエスによって癒され、見事に立ち直った証しの作品なのです。当時、ヘンデルは破産状態にありました。その上、脳出血で倒れ、最悪の状況にあったのです。ヘンデルの友人のチャールズ・ジェネンズは、落ち込んでいるヘンデルを励ます最高の方法は、彼が全力を注いで、作曲できる台本を書くことだと思い、旧約聖書の預言の成就としてイエス・キリストの降誕・受難・復活を描いた台本を書いて、ヘンデルに送りました。ヘンデルは、その台本によって奇跡的に立ち直って、僅か24日間でメサイアを書き終えたのです。作曲の途中で、彼は何度も、涙を流したそうです。ハレルヤ・コーラスを書いている時も、彼は目に涙をためながら、こう叫んだそうです。「私の目の前に天の国が開かれ、偉大な神ご自身の姿が見えたような気がする!」

「クリスマスの歌(4)暗き闇に星光り」

2016年12月18日

讃美歌278番「暗き闇に 星光り」はクリスマスで歌われますが、教会暦では1月6日の公現日の讃美歌とされています。作詞者のレジナルド・ヒーバーは英国国教会の牧師です。彼は伝道先のインドの地で、42歳で召されるまでに、300の讃美歌を書きました。彼の死後、彼の讃美歌集が発表されましたが、発表されるや20人ほどの作曲家たちが、この讃美歌のために曲を作りました。その中で一番優れていたのがジョン・ハーディングの曲でした。ヒーバーは、大地主の息子として、裕福な家庭に育ち、幼い頃から優れた知性に恵まれていました。しかし彼は優しい心の持主で、貧しい人を見ると直ぐお金を与えてしまうので、親は小遣いを渡す時は、それをポケットに縫い付けたと言われています。外国伝道への熱い思いを持っていた彼は、1823年にインドのカルカッタの主教となって赴任します。先に生後6ヶ月で長女を失い、次女も病弱であったので、彼にとって厳しい決断でした。しかし着任すると彼は、全力を尽くしてインドの貧しい人々のために尽くし、短い生涯をその地で終えたのです。278番の4節は歌っています。「貧しき身の、歌と祈り、主は喜び、受けたもう」。

「クリスマスの歌(3)ああベツレヘムよ」

2016年12月11日

讃美歌267番「ああベツレヘムよ」の作詞者は、聖公会の牧師であったフィリップス・ブルックスです。1865年のクリスマスイブ。彼は、ベツレヘムの聖誕教会のイブ礼拝に出席していました。底冷えのする石の教会での五時間でしたが、彼の心は幼な子イエスを慕う気持ちで燃えていました。それから三年後、彼はその時のことを想い起こしつつ日曜学校の生徒たちのために、この讃美歌を作りました。そして日曜学校の校長でオルガニストのルイス・レッドナーに作曲を依頼しました。しかしレッドナーにはどうしても良い曲が浮かんできません。弱り切って寝込んだ土曜日の夜、耳元で囁く天使の声が聞こえて目が覚め、示されたメロディーを書き取って、やっと日曜日に間に合ったそうです。この歌は5節でこう歌っています(英文の直訳)。「私たちの心に入り、今日、私たちの中に生まれてください」。これは今年のクリスマスのテーマ「主をお迎えしよう~心の戸を開いて~」を、祈りの言葉に言い換えたものです。17世紀の詩人シレジウスはこのように歌っています。「キリストがベツレヘムに千回生まれようとも、あなたの心に生まれなければ、あなたの魂は救われません」。

「クリスマスの歌(2) 日本人が創った讃美歌」

2016年12月4日

クリスマスの讃美歌の中に、日本人によって作詞、作曲された讃美歌が二つあります。一つは、268番「朝日は昇りて 世を照らせり」です。この曲は日本で二番目にプロテスタントの牧師となった奥野昌綱の作詞、鳥居忠五郎の作曲によるものです。奥野はヘボン宣教師の日本語の教師として、日本最初の和英辞書の作成を手伝い、更に聖書翻訳の仕事も手伝いました。その過程で、聖書の言葉に深く感動するようになり、明治五年に洗礼を受けました。彼は讃美歌の翻訳や創作にも深く関わり、266番の他にも、543番(旧讃美歌537番)の歌詞も作っています。もう一つは、251番「羊はねむれり 草の床に」です。この讃美歌の美しい歌詞は三輪源造の作詞によるものです。そしてこの曲も鳥居忠五郎が作曲しました。この讃美歌の素晴らしさに感動した一人の宣教師がいました。敬和学園の校長を務めていたジョン・モス牧師です。彼はこの讃美歌を英訳して、母国アメリカに紹介しました。静かで清らかな旋律は、米国でも愛され、現在、五種類の英語の賛美歌集に収録されています。これからも、日本人が作った讃美歌が、世界中の人々に愛唱されるようになることを願っています。

「クリスマスの歌(1)、鳥の歌」

2016年11月27日

スペインのカタロニア地方の民謡に「鳥の歌」という曲があります。カタロニア出身のチェロ奏者パブロ・カザルスは、この曲を特に愛し、編曲して世界に広めました。この曲は、クリスマスの歌ですが、喜びを響かせるというよりは、澄んだ静けさと、不思議な哀愁を湛えています。奥山正男さんがこの曲に歌詞をつけていますが、その中で「幼な子イエスは、世の罪を身に負って、十字架で死ぬために生まれてくださった」と歌われています。クリスマスの喜びが、主イエスの受難と結びつけられて歌われているのです。カザルスは1961年11月に、ホワイトハウスでこの曲をケネディ大統領の前で演奏しています。東西冷戦が激化する中で、この曲に祈りを込めて平和を訴えたのです。平和の主のご降誕を賛美するのに、もっとも相応しい曲と思ったのでしょう。カザルスは、カタロニアの小鳥は、皆、「ピース、ピース]と鳴く、と言ったそうです。元々の歌詞には、様々な鳥たちの歌が紹介されています。その中でヤマウズラはこう歌っています。「私はあの家畜小屋の中に、私の巣を作るつもりです。あの幼な子を眺めるために、マリアの腕の中で、幼な子がゆれているのを見るために」。

「命を救ったシール」

2016年11月20日

ある雑誌に書かれていた実話です。ニューヨークのある高校で、先生が三年生全員に、その子の長所を書いたシールを作って胸に貼ってあげました。その日からクラスの雰囲気が一変しました。三日後にその先生は、新しいシールを三枚ずつ渡しながら、「あなた達も、誰かに同じようにしてあげなさい」と言いました。一枚のシールがある社長の手に渡りました。帰宅後、その社長は息子にこう語り掛けました。「いつも仕事が忙しくてゆっくり話す時間もなかったね。勉強のことで叱りつけたこともあったね。でも、お父さんは、お前のことを世界一の息子だと思っているよ。世界一の息子へと書いたシールを、お前に貼っていいかい」。息子は静かに頷きました。シールが胸に貼られると、その息子は大きな声を出して泣き始め、一時間も泣き続けたそうです。泣き止んだ彼はこう話し出しました。「実は、僕は今夜自殺しようと思っていたんだ。誰からも愛されていないと思ったから。でも、お父さんが僕を愛していてくれることが分った。だから、もう自殺はしないよ」。自分は愛されている、という実感がなければ誰も生きる事ができません。お互いに愛し合い、生かし合う群れを目指しましょう。

「音楽というプレゼント」

2016年11月13日

病気で苦しむ人を訪問し、ハープを演奏して慰めを与える、というボランティアグループ「リラ・プレカリア(祈りのたて琴)」の代表、キャロル・サックさんはこう言っています。「言葉がなくても祈れるように、神様は音楽をくださった。」サックさんが言っているように、音楽は神様が私たちにくださった素晴らしいプレゼントです。言葉に表せない心の奥底にある思いを、音楽は伝えてくれます。色紙に「意」という漢字一字だけをサインする若いヴァイオリニストがいます。辞書によれば「意」という字は、「抑えられて充満している心」を意味しているそうです。意という字は、分解すると「音の心」となります。心に満ちて、ほとばしり出そうな思いを、表現するのが、音の心(音楽の精神)なのです。一方、「歌」という字は、可、可、欠、と書きます。一説によれば、これは、良いな、良いなと喜んで、あくびが出るほど安らいでいる姿を表しているそうです。神様に全き信頼を寄せている時、良いんだ、これで良いんだと、自分の置かれている状況を受け入れることが出来る。その時、真実の歌が生まれるのかもしれません。『主に従う人よ、主によって喜び歌え。』(詩編33:1)

「恵泉教会の遺伝子」

2016年11月6日

人間の遺伝子はその98%までが、皆、同じで、僅か2%の違いで、性格や才能が異なってくるそうです。あるラジオの番組で、司会者が「遺伝子の情報を読み取れるようになったのは凄いことですね」と言いました。するとゲストの科学者が「いや、もっと凄いのは、最初から遺伝子に情報が書き込まれていたことです。つまり書き込んだ方がいるということですね」と返しました。「それはどなたですか」と司会者が聞くと、暫く沈黙がありましたが、結局、神様しかいないだろうということになりました。神様は、私たちの遺伝子を、御心に従ってデザインされ、ご計画のために私たちを生かそうとしておられます。同じように、神様は、教会にも遺伝子をデザインされています。茅ケ崎恵泉教会は、神様からその遺伝子をいただいています。神様は、65年前に、茅ケ崎恵泉教会はこのような教会になって欲しいと願われて、この地に御体なる教会を立てられました。私たちは、その遺伝子を有効に生かしているでしょうか。神様から「もったいないなぁ」と言われてしまう可能性はないでしょうか。私たち一人一人も、そして教会も、与えられ遺伝子を、造られた方の御心に従って活かしたいものです。

「生きる喜び」

2016年10月30日

渡辺和子シスターの言葉を紹介します。『私たちは、この世にあって、いつも喜びに溢れて生きていられる訳ではありません。むしろ、生きることの難しさに悩み、生きることに疲れていることの方が、多いのではないでしょうか。しかし、こういう暗い時間、重苦しい経験は、決して無駄でなく、また無駄にしてはいけないのです。このような経験があって始めて、他人の辛い日々を、少しでも理解することができるのです。河野進という牧師が、このような詩を書いています。「天の父さま/どんな不幸を吸っても/はく息は感謝でありますように/すべては恵みの呼吸ですから」。辛いことも悲しいことも「すべては恵みの呼吸」であって、その中に神の愛が隠されていると信じることこそは、生きる喜びを産み出す一つの秘訣なのです。』愛の主が、どんな時にも共にいてくださり、最後には、すべてを益としてくださると信じる時、不幸を吸っても感謝を吐くという、恵みの呼吸が出来るのでしょう。ある人が、とても落ち込んだ時に、聖書の中の喜びという語を数えたところ、八百もあったそうです。その中の一つ、『主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。』(ネヘミヤ記8:19)

「キリスト者の香り」

2016年10月23日

あるサラリーマンが献身への熱い思いを抱き、母親の反対を押し切って、職を辞して神学校へ進みました。伝道師となり、正教師試験にも合格して、いよいよ按手礼を受ける運びとなった時、体の不調を感じて入院することになりました。教会を出て病院に向かう時、奥さんに「本当のクリスチャンとは、その人がいなくなった後に、キリストの香りが残っている人のことを言うのだろうね」と言いました。それが、彼が教会で口にした最後の言葉となりました。末期の直腸がんと診断された彼に、先輩牧師たちが病床で按手礼を授けました。献身に強く反対していた母親は、苦しみの中でも信仰を貫いた彼の姿を見て、信仰へと導かれ、病室で彼から洗礼を受けました。彼が洗礼を授けたのは、生涯にこの母親だけでした。河野進という牧師が「香り」という題の詩を書いています。『みどりごには母乳の香り/学者にはほんの香り/医師には薬の香り/百姓には土の香り/漁師には海の香り/大工には木の香り/画家には絵の具の香り/信徒にはキリストの香りがただようように。』今朝は、いなくなった後にも、キリストの香りを残された信仰の先輩方を想い起こして、召天者記念礼拝をささげます。