MENU

自分の価値観を強要する過ち

「自分の価値観を強要する過ち」

2016年1月31日

現在カナダには、約140万人の先住民族が暮らしているそうですが、その多くは、今も差別に苦しんでいます。カナダ合同教会は、1986年にカナダの先住民族に謝罪し、次のような謝罪文を発表しました。「私たちは、西洋の習慣や文化が、キリストの福音の深さ、広さ、奥行きを指し示すものであると誤解していました。私たちは、福音を受け入れる条件として、私たちの文化を強要しました。私たちは、あなた方を私たちのように変えようとし、そうすることで、あなた方の存在意義を示す幻を壊すことに加担しました。その結果として、あなた方も、そして私たちも貧しくなり、私たちの内にある創造者の似姿は歪み、ぼやけてしまいました。こうして私たちは、神が本来意図された私たちの姿ではなくなってしまいました。私たちをお赦しください。」もし、私たちが、この謝罪文にあるようなへりくだった心を持つなら、民族間だけでなく、すべての人間関係を歪めている争いは、この地上から消え去ることでしょう。かつての日本の植民地支配の失敗も、現在の泥沼のような中東紛争も、他人に自分の価値観を押し付けようとする、身勝手な思いが引き起こした不幸と言えるのではないでしょうか。

「目標と使命」

2016年1月24日

人は目標か使命を持って、それぞれの人生を歩みます。目標は自分で選ぶもの、或いは自分で作り出すものです。自分に選択の自由があるので、都合が悪くなると変えることができます。それに対して、使命は神様から与えられ、祈りの中で示されるものです。ですから、都合が悪くても、相手が変えてくれない限り変えられません。「使命とは、生かされている所で誠実であろうとする構えが、自然に見出し、止むを得ないこととして担い、そして果たしていくものです。それは、何かをするというよりは、担わされる受け身のことであり、避けてはならないとする誠実さのことです。使命を生きる人には、そういう受け身の誠実さから滲み出る一種の自然さがあります。恐らく本人は、自分のしていることを、使命などとは考えていないことでしょう(藤木正三牧師)」。自分で作り、変えられる目標。他者から与えられ、自分では変えられない使命。この二つには大きな違いがあります。しかし、自分の思いで作った目標に向かって、ひたすらに歩み、挫折を繰り返しても、尚も追い求めていく時に、それが、いつしか他者から与えられた使命であると感じるようになることがあるかもしれません。信仰生活においてそのようなことが起きるなら大きな恵みです。

「蛇のように賢く鳩のように素直に」

2016年1月17日

今年は申年です。3日の礼拝説教で猿の賢さについて触れましたが、聖書において賢い動物として紹介されているのは、猿ではなくて蛇です。主イエスは「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」と言われました。私たちが蛇の賢さと聞いて、真っ先に思い浮かべるのは、あの創世記3章で、エバを言葉巧みに誘惑して、神の言葉を疑わせ、罪に陥れた蛇の狡猾さです。では「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」とは一体どういうことなのでしょうか。主イエスは、神の言葉を疑うような賢さを尊ばれたのだろうかと戸惑いを覚えます。これについてある牧師がこう言っています。「私たちは、蛇のように賢く自分自身を疑わなければならない。その言葉が、神の言葉であるかを疑うのではなくて、それを聴く私が、自分の損得や都合で神の言葉を取捨選択していないを厳しく吟味する。それこそが蛇の賢さである。そしてそれが神の言葉であると確信したなら、鳩の素直さをもってその御言葉に聞き従う。それこそが、主イエスの御言葉の持つ真の意味だと思う」。この年、私たちは、蛇のように賢く自分を吟味して、鳩のように素直に神の言葉に従うお互いでありたいと願います。

「新しいことが芽生えている」

2016年1月10日

元旦礼拝を守れなかった方のために説教のポイントを要約します。『神様は茅ヶ崎恵泉教会に対して「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」と語り掛けてくださっています。私たちは昔のことを懐かしみ、今を嘆きやすい者です。昔は教会学校に100人を超える子供たちが集まった。昔はご婦人方が朝早くから集まって食事を作り愛餐会を楽しく行った。昔は皆で遠くにハイキングに行った。泊りがけの修養会もして楽しかった。勿論、それらの恵みに感謝することは大切なことです。しかし茅ヶ崎恵泉教会はもはや恵みから落ちてしまっているのでしょうか。もう神様の恵みは以前ほど注がれなくなってしまったのでしょうか。そんなことは無い筈です。神様は必ず新しい御業を為してくださいます。新たな恵みを用意してくださっている筈です。そして、それは既に芽生えているのです。それは皆さん方お一人お一人の人生においても芽生えています。皆さんのご家庭にも芽生えています。新しく与えられたこの年、神様が茅ヶ崎恵泉教会に用意されている新しい恵みを共に尋ね求めてまいりましょう。喜びと期待を持って、主がなされる新しいことに応えてまいりましょう。』

「猿知恵とまことの知恵」

2016年1月3日

新しい年、2016年を迎えました。この年が、皆様にとって、恵み多き年でありますようにお祈りいたします。今年は申年です。旧・新約聖書全体で「猿」という漢字は、たった二回しか出てきません。列王記上10:22と歴代誌下9:21です。どちらもソロモン王の栄華をたたえる記事です。ソロモン王が南スペインのタルシュシと交易するための船団を持っていて、その船団が三年に一度、金、銀、象牙、猿、ひひを積んで入港したと記されています。当時、猿は、金、銀、象牙と並ぶ珍しい貴重品であったようです。恐らく、知恵があるために喜ばれたのでしょう。人は知恵を尊び、喜びます。しかし、世の中には知恵に溺れて不幸になる人もいます。世界一の知者と言われたソロモン王は、結局、知恵も知識も空しく、「知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増す(コヘレト1:18)」と言っています。人間にとって大切なことは、知恵を得ることよりも、それを正しく用いることだ、ということなのでしょう。聖書は「主を畏れることは知恵の初め」であると言っています(箴言1:7)。この年、浅はかな「猿知恵」ではなく、主を畏れる「まことの知恵」を求めていきたいと願います。