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痛みを感じるほどに愛する

「痛みを感じるほどに愛する」

2016年5月29日

「痛みを感じるまでに、自分が傷つく程に与え尽くしてください。」マザー・テレサの言葉です。痛みを感じるまでに、自分が傷つく程に、愛を与えなさいと言っています。この言葉は、相手の苦しみを、自分の苦しみとして受け取る時の痛みを言い表した言葉だと、ずっと思っていました。愛の痛みとは、心をちぎってあげるために生じる痛みだと思っていました。しかし最近それだけでないのではないかと示されました。私たちは、大きな困難や苦しみの中のいる方に、少しでも寄り添いたいと願います。しかし、そう願って相手の方と接する時、いつも、この方の苦しみに十分に寄り添えていない、十分に共感できていないことが示されます。イザヤ書53章が語っている「苦難の僕」のように、私たちの病を担ってくださり、私たちの痛みを負ってくださった、主イエスならどうされるだろうか。きっとその方が起きている時だけでなく、寝ている時も一時も離れずに、その方の頭に手を置いて祈り続けられるだろう。私にはそれはできない。愛が足りない。痛みを覚える程に愛するとは、自分の愛の足らなさに心が痛む、愛の足らなさに苦しみを覚える。それ程までに愛することではないでしょうか。

「祈りの手」

2016年5月22日

受付にある「とりなしの祈りの箱」に貼られている絵はアルブレヒト・デューラーというドイツの画家の「祈りの手」という作品です。この絵にまつわるエピソードです。貧しい鍛冶屋の子デューラーと同じように貧しいハンス。二人は画家になりたいという強い望みを持っていました。しかし絵の具を買うお金さえありません。ハンスが提案します。一人ずつ交代で勉強しよう、一人が働いてもう一人を助け、画家として成功したら交代しよう。まず君が先に勉強しなさい。デューラーは感謝して絵の勉強に行きました。ハンスは早朝から深夜まで鉄工所で重いハンマーを振り上げて必死に働きデューラーを支え続けました。やがてデューラーの絵が売れるようになったので、デューラーはハンスと交代するため帰ってきました。しかしハンスの手は長年の重労働で、とても絵筆など持てない程に変形していたのです。それを見てデューラーは自分を責め、苦しみます。ハンスはそんなデューラーが苦しみから解放されるようにと祈るのです。自分のために祈るハンスを見てデューラーは言います。「君の手を描かせてくれ。君のこの手の祈りで僕は生かされているんだ。」こうして名画が生まれたのです。

「反省、謝罪、悔い改め」

2016年5月15日

淀川キリスト教病院理事長の柏木哲夫医師の言葉を紹介させていただきます。「反省だけならサルでもできる」。この言葉の意味は、「謝罪という実際の行動を伴わない、口先だけの反省ならサルでもできる」ということだと思います。本当の反省は謝罪という行動を伴う必要があるのです。反省は自分に向けてするもの、謝罪は他の人に向けてするもので、方向性が異なります。反省はしていてもなかなか謝罪できないのが、人間の本性のように思います。子供でも、親が「謝りなさい」と言ってもなかなか謝りません。大人なら尚更です。反省していてもなかなか謝罪できないのです。反省という内向きの方向性が、謝罪という外向きの方向性を取った時、初めて本当の反省になります。反省とよく似た言葉に「悔い改め」があります。悔い改めも内に向かう方向性を持っていますが、反省が人と人との横の関係で起こるのに対して、悔い改めは人と神との縦の関係で起こります。そして反省が謝罪という形で人に向かうのに対して、悔い改めは行動の変容という形で神に向かいます。このように見て行くと「行いのない信仰は空しい」(ヤコブの手紙2:20)という聖書の言葉の重みが伝わってきます。

「本当の豊かさと本当の貧しさ」

2016年5月8日

「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれ、「幸福の伝道師」とも言われたウルグアイの前大統領、ホセ・ムヒカさん(80)。大統領の給料の9割を貧しい人に寄付したため、自身の生活費は月10万円程度であったそうです。公邸には住まず、町まで遠い農場のトタン屋根の家から、30年前に友人からもらった愛車を自分で運転して仕事に出掛けたと言います。夫人と一緒に花や野菜を育てることを一番の楽しみとしたムヒカさんは、世界で一番豊かな大統領であったかもしれません。ムヒカさんの言葉、『貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことである。』北欧のある詩人が、まるでムヒカさんの生き方を言い表したような詩を書いています。『食べ物はお金で買えるが 食欲は 買えない/薬はお金で買えるが 健康は 買えない/ベッドはお金で買えるが 睡眠は 買えない/化粧品はお金で買えるが 美しさは 買えない/別荘はお金で買えるが くつろぎは 買えない/快楽はお金で買えるが 喜びは 買えない/友達はお金で得られるが 友情は 買えない/使用人はお金で得られるが 誠実は 買えない/静かな日々はお金で得られるが 安らぎは お金で買えない』

「私は災いを恐れない」

2016年5月1日

熊本県益城町の熊本東聖書キリスト教会は今回の大地震によって全壊しました。救援に駆けつけたある牧師が見たところでは、周囲の建物の中でも東教会の被害が一番ひどかったそうです。教会の豊世武士牧師の娘さんの美文さんは、風呂場のドアの下敷きになり手が挟まれて身動きが取れなくなりました。相次ぐ余震の恐怖に怯えながら暗闇と瓦礫の中で、正座したままの姿勢で5時間も閉じ込められていたそうです。大きな余震によって壁が顔の間近に倒れてきた時は、もうダメだと思ったそうです。恐怖の只中で美文さんの心に神様の言葉が響いてきました。それは詩編23編4節の御言葉でした。「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」この御言葉を何回も繰り返して自分に言い聞かせて、自らを励まし続けたそうです。美文さんのことはTBSのニュースでも放映されました。救援隊によって助け出されるまで豊世牧師はひたすら祈り続けました。豊世牧師は「この試練の中で神様はどのように働きかけられているのかを尋ねていきたい。そして試練と同時に逃れる道をも必ず備えていてくださるという約束を信じていきたい」と語っています。