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謙遜な作曲者・岡野貞一

「謙遜な作曲者・岡野貞一」

2017年9月24日

「うさぎ追いし/かの山/小鮒釣りし/かの川」。この唱歌は高野辰之作詞、岡野貞一作曲によるものです。二人は「もみじ」「春の小川」「おぼろ月夜」「春が来た」「故郷の空」など、多くの名曲を生み出しています。その割には、岡野貞一の名は知られていません。それは、彼が自分の業績を家族にすら明かしていなかったからだと言われています。家族も葬儀の席で初めて彼が数々の名曲の作曲者だったと知ったほどですから、彼の謙遜振りは徹底しています。岡野は63歳で召されるまで東京・本郷中央教会(中村和子姉の母教会)の礼拝奏楽者・聖歌隊指導者として42年間仕えました。彼のオルガンは終生伴奏者に徹した弾き方だったと伝えられています。岡野の葬儀が行なわれた翌週の教会週報には次のような文が掲載されました。「岡野先生は42年に亘って教会の最も忠実なオルガニストでした。東京音楽学校教授として、日本の音楽界の指導者として非常な激職にあったにも拘らず、聖日の礼拝には必ず出席されオルガンを通して礼拝を援けられ、その上聖歌隊をご指導くださいました。先生の黙々としてなされた全てのご奉仕が主によって永遠に祝福せられることと信じます。」

「ミサ曲となった荒城の月」

2017年9月17日

瀧廉太郎作曲の「荒城の月」が、ベルギーでミサ曲として用いられていることをご存知でしょうか。1986年、ベルギーに滞在していた芦田竜介神父と出会って、初めてこの曲の存在を知ったマキシム・ジムネ神父は「旋律の並外れた質の高さ」を絶賛し、シュヴトーニュ修道院でのミサ曲として編曲しました。カトリック教徒と東方正教徒の融合を目指して設立されたこの修道院で、スラブ語で歌うにふさわしいと確信したのです。しかも教会の聖礼典の中で最も重視される聖餐式で、このミサ曲が歌われ、現在も年に数回賛美されているそうです。瀧廉太郎は「荒城の月」を作曲したと同じ年に、東京・麹町の博愛教会(現、日本聖公会聖愛教会)で洗礼を受けています。教会では青年会の副会長をし、礼拝の奏楽も担当していました。大塚野百合さんは、「荒城の月」は瀧が教会に通い始めた頃に作曲された曲だからこそ、曲想に深い平安が漂っているのではないかと記しています。その曲が、現代になってベルギーでミサ曲として用いられるとは不思議な主の導きを感じます。早世したため残念ですが讃美歌は残していません。しかし「荒城の月」は、彼の信仰の証しとも言えるのではないでしょうか。

「驚くべき愛」

2017年9月10日

インドの昔話です。ある男性が愛する女性に結婚を申し込みました。ところがその女性は彼の気持ちを弄んで愛情の証明として色々なことを要求しました。彼女にとってはゲームだったのです。そして最後にこんな惨いことを要求しました。「私を誰よりも愛していることを証明するために、あなたの母親を殺して、その心臓を持って来なさい」。男性は何週間も悩みましたが、遂に覚悟を決めて母親を殺し、その心臓を彼女のところに持って行こうとしました。森の中を急いで走っていると転んで心臓を落としてしまいます。慌てて拾い上げて再び行こうとすると、心臓の中から声が聞こえてきました。「わが息子よ、大丈夫かい。転んで怪我をしなかったかい」。勿論、実話ではありませんが、母親の子供に対する愛を良く表している話です。しかし、聖書が記している神様の愛はこれより遥かに大きなものです。「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。(ローマの信徒への手紙5:8)」主イエスは私たちが罪人で、神様に敵対していた時に、私たちのために死んでくださったのです。

「八木重吉が最後に住んだ家」

2017年9月3日

12年前に高砂緑地に建てられた八木重吉の詩碑。その詩碑を建てるために尽力された川井盛次さんご夫妻が、先日突然教会を訪ねて来られ「重吉が最後の1年を過ごした家の井戸が、この近くに残っている筈ですがどこだか分かりますか」と聞かれました。「残念ながら存じません。教会員の小川宣二さんがおられれば分かるでしょうが…」とお答えしました。確かに記録を見ると、重吉は最後の1年を当時の十間坂(今の共恵)で過ごし、第二詩集「貧しき信徒」を編纂しています。重吉は結核のため29歳で召天しましたが、「死ぬ瞬間まで/生きる!/という努力を捨てない」と、最期まで懸命に道を求めて生きました。「美しく生きたい/すべての人を愛したい/自分を捨てて キリストを第一として生きたい」と願いながらも、それができない自分に苦しみつつ、数多くの素晴らしい詩を残しました。死を目前にした重吉は、手を上に差し伸べて「イエス様!」と大声で叫ぶようになったと伝えられています。「わが詩よ いよいよ拙くあれ/キリストの栄 日毎に大きくあれ」 これは重吉の絶筆とも言える詩です。このような素晴らしい詩が、教会のすぐ傍で詠まれたことを忘れないようにしたいと思います。