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時が解決するとは

「時が解決するとは」

2017年6月4日

小児科医で、尼僧からクリスチャンとなり、現在は信徒伝道者として広く用いられている藤井圭子さんの講演記録からの引用です。『今から17年前、医師になって1年足らずの息子が事故死し、その3ヶ月後に、私をこよなく愛してくれた母が相次いで主の御許に召されました。愛する者と別れる悲しみ、苦しみは言語に絶するものがあります。世間ではしばしば「時」が悲しみを薄れさせてくれると申しますが、それは「時」が漠然とそうしてくれるのではなく、実は周囲の愛する人々とのやさしい触れ合い、交わり、出来事が「時の経過」のなかで、積み重ねられていくことによって、初めて悲しみ、苦しみが癒され、和らげられるのだということを、私は知りました。神様は、私の周囲に、こんなにいっぱい愛する者を与えてくださり、そして私もこんなに皆から愛されている。神様から愛されているという幸せ、神様の愛を実感しました』。悲しみを薄れさせてくれるのは、単なる時の経過ではなくて、その間に積み重ねられた周囲の人々の愛の業だというのです。教会において、そのような愛の業に、とりわけ主イエスの愛に取り囲まれている幸いを覚えます。教会は愛と慰めの家なのですから。