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夏目漱石と聖書

「夏目漱石と聖書」

2017年7月23日

鈴木範久先生が書かれた『聖書を読んだ30人』からの抜粋です。「夏目漱石の小説『三四郎』の最後の方で、三四郎が教会の前で美禰子を待っていると、礼拝を終えた美禰子が姿を現す。結婚の決まった彼女は三四郎に向かって聞き取れないような声で呟いた。「われは我が愆(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」。これは詩編51編3節の言葉だが、直接には聖書からではなく『日本聖公会祈禱書』から取ったのではなかろうか。漱石の用いた聖書で唯一、所在が判明しているのは英文聖書である。漱石が1900年秋、イギリス留学に向かう船上で、旧知のミセス・ノットから贈られた聖書である。その聖書に漱石が線を付したところを見ると、男と女、親と子、結婚にかかわる聖句が目立つ。漱石と聖書との関係は、男女、夫婦をめぐる問題、そこに集約される人間の罪の問題であったような気がしてならない。一見、キリスト教や聖書よりも禅にひかれた漱石であるが、この視点から改めて見直す必要があるかもしれない。」漱石が男女や夫婦の関係に集約される人間の罪の問題を、聖書から教えられたとするなら、もう一歩進んで、罪からの救いをも、聖書から学んで欲しかったと悔やまれます。