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高齢祝福の祈り

「高齢祝福の祈り」

2018年9月16日

先週の礼拝で高齢祝福の祈りを献げさせて頂きました。礼拝に出席されている80歳以上の信仰の先輩方に立って頂き、拍手をさせていただきました。そして、先輩方がとてもお元気で、今も教会を支えていてくださっていることを改めて思わされました。テトスへの手紙2章3~5節には、教会におけるご高齢の婦人に対する勧めが語られています。それを読みますと、初代教会においても、ご高齢のご婦人方が教会において重要な役割を果たしていたことが分かります。かつてインドで長年働かれたブラウン宣教師が、一時帰国した時に、こういう質問を受けました。「あなたがインドで、最も欲しいものは何ですか」。すると彼はこう答えたそうです。「それは、おばあさんです」。当時インドの教会には、年を取った婦人が少なかったそうです。ブラウン宣教師は、そこで初めて、ご高齢のご婦人たちの働きの尊さ、その存在の大切さを知らされたというのです。ご婦人だけではなくて、勿論男性も含めて、教会においてご高齢の方々の果たされる役割は、大変重要です。どうか先週祝福を受けられた先輩方が、いつまでもお元気で、教会を支えて頂きますように心からお祈りさせていただきます。

「変えられた人生」

2018年9月9日

ノエル・モリスという宣教師の話です。ある時、モリス先生はロシアのハバロフスク駅構内で二人の強盗に襲われました。顔を殴られバッグも取られてしまいました。しかし近くに警官がいたので、直ぐに一人の強盗を捕まえることができました。モリス先生は犯人にロシア語の新約聖書と小さな伝道パンフレットを渡しました。先生は裁判における証言で、自分を襲った男に対して「イエスの御名によってあなたを赦します」と言い、彼に対して寛大な判決を与えてくれるように訴えました。犯人には前科があったため4年の実刑判決が下されました。暫くしてその男から一通の手紙が、モリス先生のところに届きました。その手紙は「主イエス・キリストにある兄弟へ」という言葉で始まっていました。続いてこう書かれていました。「私は刑務所であなたから貰った聖書を読み、また、何人かのクリスチャンから福音を聞き、イエス・キリストを受け入れました。そしてイエス・キリストの貴い対価によって買い取られたことを知りました。主は私の人生を変えてくださいました。そして清め、私の行いと考え方を変えてくださったのです。私はもう、以前の生活に戻りたいと思わなくなりました。」

「忘れる」

2018年9月2日

先週は河野進牧師の「忘れる」という詩を紹介させて頂きました。同じ題で関根弘興牧師がこんなことを書いておられます。『私たちは忘れてはいけないものを直ぐに忘れ、忘れた方がいいものはいつまでも覚えているものです。忘れるという字は、心を亡くすと書きます。主イエスは「あなたの宝のあるところにあなたの心もある」と言われました。ですから「忘れられない」ということは、そこにあなたの「心」があるということなのですね。子どもの頃、色々なものを宝物にしていました。ビンの蓋とかシールとか、何でこれが宝物なんだろうと思うものばかりです。でも子どもにはそれが宝なのです。なぜならそこに心を置いているからです。しかし大人になれば、それらは忘れ去られてしまいます。なぜならそこに心が亡くなってしまっているからです。私たちは忘れたい過去を宝のようにしまいこんでいることがあります。多くの忘れたい記憶や痛みを持っています。頭で「忘れるぞ」と思っても、なかなか忘れられないものです。しかし心をそこから別のものに移すことができれば忘れることができます。過去の様々な痛みの記憶を、聖書の御言葉と置き換えてみてはいかがでしょうか。』