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リンゴの木を植えた人

「リンゴの木を植えた人」

2018年10月14日

アメリカ開拓史上の伝説的人物にジョン・チャップマンという人がいます。ジョンはリンゴの種をいっぱいに積んでアメリカ中西部を巡り歩きました。旅の目的は未開拓地の人達にリンゴの木を贈ることでした。ジョンは裸足で歩き、コーヒー豆の麻袋をコートにして、帽子代わりに壊れた鉄の鍋をかぶっていたと言われています。質素で親しみやすい人柄とその善い行いから多くの人々に慕われ、いつしか「ジョニー・アップルシード」と呼ばれるようになりました。彼は大量のリンゴの種を蒔きました。しかし移動しながらでしたので、種が成長して実がなることを見ることはありませんでした。しかし何年か後に移住してきた人々は、豊かに実ったリンゴの実を食べることができたのです。福音の種も同じです。先人が蒔いた御言葉の種がやがて実り、後の人たちが感謝と共にそれを頂いている。それが教会なのです。ですから私たちも次の世代に向けて、自分は花も実も味わえなくても御言葉の種を蒔き続けるのです。新会堂も私たちが使わせて頂ける期間はそれ程長くはないかもしれません。しかし次の世代、更に次の世代の方々が豊かに使ってくださることを願って建築を進めていくのです。

「受け入れることの大切さ」

2018年10月7日

「主よ、私たちに、変えることのできないものを受けいれる冷静さを与えたまえ。変えることのできるものを、変える勇気を与えたまえ。そして両者を識別する知恵を与えたまえ」。これは有名なラインホルト・ニーバーの祈りです。この祈りを日本に紹介した大木英夫先生は原文の順序を逆にして「変えることのできるものを変える勇気を与えたまえ」という言葉を先に置いて翻訳しました。その理由として、日本人は諦めるのが得意だから挑戦する勇気を初めに持ってきた、と言われたそうです。なるほどなぁ、と思います。しかし、開いた心で受け入れることは、挑戦すること以上に難しく、また大切なのではないか、とも思わされます。藤木正三牧師はこう言っています。「開いた心は神を受け入れて信仰となり、隣人を受け入れて愛となり、自分を受け入れて望となるのです」。信仰・希望・愛は、いずれも受け入れることによるのだというのです。愛することは難しいと言われています。しかしそれ以上に難しいのは、愛されていることに気づき、その愛を受け入れることではないでしょうか。まず神様の愛を受け入れることがなければ、その愛を隣人に分け与えることはできないのですから。