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立ち止まるわけ

「立ち止まるわけ」

2018年4月8日

カウンセラーの荻野ゆう子さんが、その著書の中で、不登校や引きこもりの若者たちの、生の声を引用しています。「立ち止まっているのは、そこに立ち止まらないといけないわけがあるんだよ。」不登校やひきこもりの若者が立ち止まっているのは、そこに立ち止まらないといけない訳があるのだと言っています。他の言葉も紹介します。「涙をいっぱいためると、気持ちが動かなくなっちゃうから、今日は泣かせてほしい。」 /「自分が涙を流す場所を持っていれば、誰かの涙の受け皿になれるよね。」/「人それぞれ、けっこう無理してそこにいることもある。でも、そんな自分に気づいてくれる人がいれば、そこが私の居場所。」本当に人を慰め、励ますのは、苦しみや悩みの外にいる人の言葉ではなく、その只中にいる人の言葉なのだと、改めて思わされました。今朝の御言葉は、マグダラのマリアが主の墓の外に立って泣いていた、と書いています。マリアもまた、悲しみの涙をいっぱいためて、気持ちが動かなくなって、立ち止まらざるを得なかったのです。けれども、そんなマリアに、主イエスは「マリアよ」と優しく呼び掛けて、振り向かせてくださり、新しい命を与えてくださったのです。