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空っぽの手に

「空っぽの手に」

2018年5月27日

代田教会の平野克己牧師が次のような文を書いておられます。「わたしは北陸の金沢にある教会で、8年間、牧師として仕えました。ある時、近くにある教会の説教を助けに行きました。説教が終わって献金が行われました。一人の背中が丸くなった年老いた女性が祈りを捧げてくれました。『神様、今私たちは、捧げ得るものをすべて捧げて、この手を空にしました。この空っぽの手に、あなたの恵みを与えてください。』わたしはびっくりしました。わたしたちはどうも、空っぽな自分ということを恥じてしまいます。けれど、その時わたしたちは忘れているんです。神様、そして主イエスキリストが、どんなに豊かな方であるかということを。信仰というのは、空っぽになることです。空っぽになって、自分の中に信仰を探すことさえやめてしまうことです。神よ、空っぽのこのわたしに、あなたが恵みを満たしてください。わたしの信仰は弱いのです。どうか満たしてください。あなたは豊かな方でいてくださいます。だからわたしはあなたと共にいたいのです。あなたのおそばにいさせてください。そしてどうぞ、わたしを満たし続けてください。主イエスキリストによって祈ります。アーメン」