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王の養子になった農夫

「王の養子になった農夫」

2019年1月13日

世継ぎに恵まれないある王が、ふれがきを出しました。王家の一員となりたい若者は申込書を持って宮殿に集まれ、と。必要な資格は二つ、神への愛と隣人への愛でした。一人の若い貧しい農夫も申込書を出したいと思いましたが、ぼろ服を着たわが身を見れば身の程知らずのようです。しかし、彼は一生懸命に働いて稼ぎ、新しい服を手に入れ、その服をまとって、さて王家に入れるものかどうか、運だめしに出かけました。宮殿までの道のりも半ばにさしかかった頃、若者は道端で寒さに震えているあわれな物乞いに出会いました。気の毒に思った若者は、服を取り替えてやりました。またぼろ服に戻ってしまったからには、宮殿に行っても仕方がないという気はしましたが、村からはるばる出むいて来たのだから…とにかく予定通り旅を続けようと、若者は考えました。こうして、彼は官殿にたどり着き、ご家来衆にあざけり笑われたものの、王に目通りすることができました。ところが、驚いたことには、王をみれば、彼が道で出会ったあの物乞いではありませんか。しかも、若者が与えた服を着ているのです。王は玉座から降り、若い農夫を抱いて言いました。「よく来てくれた。わが息子よ。」

「イエス様なら?」

2019年1月6日

ある牧師が説教の準備をしていました。それは主イエスの生涯を辿りながら、私たちもその道を歩もうという内容のものでした。説教準備に集中していた時、突然みすぼらしい姿をした人がやって来ました。仕事を失って生活に困窮していた人でした。「牧師先生、助けてください」と頼みましたが、その牧師は「説教の準備で忙しい時に、なぜ邪魔するのか」と思って、その人を門前払いにしました。次の日、牧師は用意した原稿で立派に説教しました。その時、また例の失業者が教会に現れて、自分の苦しみを訴えながら礼拝堂の入り口で倒れてしまいました。そして、何と彼はその数日後、息を引き取ってしまいました。その牧師は強い衝撃を受けました。説教を準備し続けるのが良かったのか、それとも説教準備は放っておいて、彼を助けた方が正しかったのか。彼は胸を痛め、「もしもイエス様だったらどうなさっただろうか」と真剣に考えました。それ以来、すべての状況の中で「もしもイエス様ならどうなさるだろうか」ということを、念頭に置いて生きるようになりました。新しく与えられた2019年、私たちも「イエス様ならどうなさるか」と、自らに問いつつ歩んでいきたいと思います。