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新しい聖書

「新しい聖書」

2019年2月10日

近代日本における福音宣教の開始後、聖書はいち早く日本語に翻訳されました。それは教会の正典として用いられただけでなく、言語、文学、思想など日本文化全体の発展にも大きく貢献してきました。聖書協会による翻訳だけでも、1887年の「明治元訳」、1917年の「大正改訳」、1955年の「口語訳」、1987年の「新共同訳」と、およそ30年おきに改訂あるいは新訳がなされてきました。新共同訳聖書は、カトリックとプロテスタントが初めて共同で翻訳したという点で画期的でした。あるアンケートでは日本のクリスチャン人口の80%が新共同訳聖書を持ち、教会数ではカトリック教会を含めて70%が新共同訳を採用しています。しかし、最近の聖書学、翻訳学の進展、ヘブライ語・ギリシア語の原本(底本)の改訂、日本語や社会の変化、訳語の不統一性の問題、などを背景に新しい翻訳への要望が高まり、昨年12月に31年ぶりに新しい聖書が刊行されました。「聖書協会共同訳」と名付けられた新しい聖書は、新共同訳の改訂ではなくゼロから翻訳し直した新しい聖書です。当教会でもいずれ使用することになる可能性が高いと思われますので、これからこのコラムで新しい聖書について紹介していきます。

「神様に近づく」

2019年2月3日

ある人がこんなことを言っています。「人はみな、1本のひもで、神様とつながっています。このひもは、私たちが罪を犯すと切れ、私たちが悔い改めると、神様がそこに結び目を作ってくれます。すると、ひもは前より短くなります。こうして、罪びとは、だんだん神様に近くなっていきます。ですから、だれでも、あやまちと悔い改めの結び目をつづりながら、神さまに近づいていくのです。」先々週の聖書講読・祈祷会において、ルカによる福音書7章36節~50節の御言葉から、罪の赦しと主に対する愛について学びました。そこには金貸しから、500デナリオンの借金を帳消しにしてもらった人と、50デナリオンの借金を帳消しにしてもらった人では、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか、という譬え話が語られていました。ここでの借金は人間の罪を表しています。神様(金貸し)に対する人間の罪(借金)は莫大で、誰もが返済不可能なのです。500デナリオンと50デナリオンの差は、借金の額の違いではなくて、どれだけ罪を自覚しているかの違いなのです。罪を多く自覚している人ほど、その罪を赦してくださった神様を愛するのです。冒頭の「ひも」の譬えと繋がっていると思いました。