MENU

新しい聖書―訳語の変更(その3)

「新しい聖書―訳語の変更(その3)」

2019年3月17日

新しい聖書の翻訳作業で重要な議題となった言葉があります。それはローマの信徒への手紙3章22節などにある言葉で、新共同訳では「キリストを信じることにより」と訳されている「ピスティス・クリストウ」という言葉をどのように訳すかでした。この言葉は「キリストへの信仰」とも「キリストの真実」とも訳すことが可能なのです。そこで新しい聖書では、基本は「キリストへの信仰」としながらも、限定した部分に限って「キリストの真実」と訳しています。限定した部分とは、先程のローマ3:22の他に、ローマ3:25、26、ガラテヤ2:16~20、3:22~26、エフェソ3:12、フィリピ3:9などです。ローマ3:22は新しい聖書では「神の義は、イエス・キリストの真実を通して、信じる者すべてに現わされたのです」となっています。また、ローマ10:11の「主を信じる者は、だれも失望することがない」という言葉は、「主を信じる者は、恥を受けることがない」と訳されています。原文のギリシア語本来の意味と、旧約聖書からの引用であることを考えての変更です。以上はほんの一例ですが、翻訳を担当された先生方は一つ一つの言葉に真剣に向き合い、聖霊の導きを求めつつ作業を進められたのです。

「新しい聖書ー訳語の変更(その2)」

2019年3月10日

新しい聖書における訳語の変更は沢山ありますが、特筆すべき箇所のみをいくつかご紹介します。ヨハネによる福音書の最後の21章で、主イエスはペトロに「私を愛しているか」と三度尋ねられています。しかし初めの二回は神様の愛アガペーの動詞形のアガパオー、三回目は人間の友情などのフィリアの動詞形のフィレオーと、言葉が違っています。従来はその違いを表していませんでした。新しい聖書では三回目のフィレオーを「慕う」と訳して違いを表しています。「三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、私を慕っているか。』」17節はこのように訳されています。次にヨハネによる福音書13章12節、「さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席について言われた」。ここにある「席に着く」という言葉の原語は「横たわる」という意味です。当時の食事は横臥して取ったからです。「席」と訳すとテーブルの椅子に着くようなイメージになるので、新しい聖書では当時の文化を伝えるために「横たわる」という意味を残しています。「こうしてイエスは弟子たちの足を洗うと、上着を着て、再び横になって言われた。」新しい聖書ではこう訳されています。

「新しい聖書ー訳語の変更」

2019年3月3日

新しい聖書では、いくつかの重要な訳語の変更があります。先ず神様の名前ですが、新共同訳では「わたしはある」という名だと訳されていますが、新しい聖書では「私はいる」と訳されています。神は祖先と結んだ契約に従ってイスラエルの民と共にいて、エジプトから導き出すお方であるという文脈から「私はいる」と訳されています。口語訳聖書で「らい病」と訳されていた言葉は、新共同訳では「重い皮膚病」となっていました。その言葉は新しい聖書では「規定の病」と訳されています。律法で規定された病という意味です。創世記1章27節、「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」この御言葉は「神は人を自分のかたちに創造された。神のかたちにこれを創造し/男と女に創造された。」と訳されています。旧約聖書にある「嗣業」という難解な言葉は「相続地」となっています。詩編23編1節の「主は羊飼い」は、以前の「主は私の羊飼い」に戻っています。新しい聖書はこうなっています。「主は私の羊飼い/私は乏しいことがない。主は私を緑の野に伏させ/憩いの汀に伴われる。」やはりこの訳の方が私には親しみがあります。