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人生は出会いによって決まる

「人生は出会いによって決まる」

2019年4月28日

終戦の翌年、14歳の尻枝正行少年は、宮崎県都城の町を茫然としてさまよい歩いていました。正行少年のお父さんは戦死し、家も焼かれて、一家四人は生き延びるのに必死の毎日でした。正行少年は建設中の教会の前を通りました。そこにはピカピカ光る釘が山積みにされていました。正行少年は思わずしゃがみこんで、自分のリュックにその釘を入れていました。その時、黒い服を来た外国人にいきなり首筋を押さえられました。一瞬にして彼は真っ青になりました。まぶたには薄暗い刑務所に入れられた自分と、悲しげな母親の姿が浮かびました。ところが驚いたことに、その外国人は彼を捕まえようともしないで、彼のリュックに入るだけの釘を更に入れてくれたのです。そして何も説教をせず「足りなかったら、またいらっしゃい」と言ってくれたのです。その夜、正行少年は一睡もできませんでした。自分は釘を盗もうとしたのに、その釘を惜しみなく与えてくれた外人さんの太い手と澄んだ青い目が、彼の頭から離れませんでした。そして「あの人のようになりたい」と決心し、翌日から彼は教会に通い始めました。釘泥棒の少年はやがて神父になり、後にバチカンで働くことになったのです。

「受難週とイースターの守り方」

2019年4月21日

ヨーロッパとアメリカではイースターの守り方に違いがあるという人がいます。ヨーロッパでは、金曜日に献げられる受難日礼拝に出席する人が多いそうです。受難日礼拝で主イエスの十字架の贖いの意味を深く確かめ、その恵みに感謝した後、イースター礼拝に出席する人が多いそうです。アメリでは受難日礼拝に出席する人はあまり多くないようです。しかしイースター礼拝には、きれいな帽子をかぶって多くの人が出席します。日本ではどうでしょうか。教会によっては受難日礼拝は行わずに、その前の木曜日の夜に「洗足の祈祷会」を持っている教会もあります。前任の清水ヶ丘教会でも「洗足の木曜日の祈祷会」を持っていました。また、神学生時代に派遣された西川口教会でも「洗足の祈祷会」を持っていました。その時、右隣の方の靴をティッシュやハンカチで実際に拭って、「十字架と復活の主が○○さんと共におられますように」と言います。すると相手の方が「そして××さんと共におられますように」と応えます。そして、次は拭われた方がその右隣の方の靴を拭います。そのようにして洗足の輪が、次々に繋がっていくのです。静かな感動の輪が広がっていったのを想い起します。

「丘の上の主の十字架ー讃美歌303番」

2019年4月14日

19世紀後半のアメリカにチャールズ・フィニーや大衆伝道者D.L.ムーディーなどによる信仰復興運動(リバイバル)が起きました。その時、広く歌われたのはゴスペル・ソングでした。その中でもアメリカにおいて、今もなお広く愛唱されているのが、今朝の礼拝で歌う讃美歌21の303番「丘の上の主の十字架」です。1960年にクリスチャン・ヘラルド誌が全米で愛唱讃美歌の調査をしたところ、この讃美歌が第一位で、第二位は「慈しみ深い友なるイエスは」でした。また、かつてオハイオ州のコロンバスのラジオ局が宗教音楽に限定せずに好きな曲の募集をしたところ、この讃美歌が第一位で、その得票数は他の全ての曲の得票数の合計をも上回るという圧倒的な人気を博しました。その人気と魅力のためにアメリカでは「奇跡の讃美歌」と呼ばれています。この曲を作詞・作曲したジョージ・ベナードは、炭鉱夫の息子として生まれ、16歳の時に落盤事故で父を失い、母と4人の姉妹を養いました。この苦労が彼の信仰に磨きをかけたと言われています。彼は24歳で救世軍に加わり、その後メソジスト教会の牧師となりました。アメリやカナダを広く伝道し生涯に300以上のゴスペル・ソングを作ったのです。

「栄えの主イエスのー讃美歌297番」

2019年4月7日

今朝の礼拝で歌う讃美歌21の297番「栄えの主イエスの」は、イギリス讃美歌の父と呼ばれているアイザック・ウォッツの作詞です。(次の298番「ああ主は誰がため」も彼の作詞です。)彼はイギリスで牧師となり12年間牧会しましたが病弱のために隠退し、後は36年間文筆活動を続け優れた讃美歌600編余りを作りました。297番の歌詞は、アイザック・ウォッツが教会の音楽に何かが欠けていると感じていた時に、父親に促されて挑戦して作った詩と言われています。「主よ、キリストの死の他に何かを誇ることが無いように、私を魅了しようとする虚しいものすべてをささげます」と歌っているこの詩は、ガラテヤの信徒への手紙6章14節「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」の見事なパラフレーズとなっています。19世紀のイギリスの文芸評論家マシュー・アーノルドは、この詞は「英語の讃美歌のうち最も美しいもの」と賞賛しています。作曲はアメリカのローウェル・メーソンです。この旋律は日本でもプロテスタント宣教の初期からよく歌われ、また唱歌の旋律としても用いられており、1881年の「小学唱歌」の初版で既に収録されています。