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謙遜に十字架を背負う

「謙遜に十字架を背負う」

2019年9月29日

らくだは一日を始める度に、また終える度に、主人の前にひざまずくと言います。すなわち、一日の仕事を終える時間になったらくだは、主人の前にひざまずいて、背負っていた荷が降ろされるのを待ちます。また新しい日が始まれば、再び主人の前にひざまずいて、主人が背負わせる荷を担うのです。 主人はらくだの事情をよく分かっています。ですから、らくだが背負うことが出来るだけの荷を載せてくれます。らくだは主人が背負わせてくれる荷を拒むことはありません。このらくだはあなたです。そして主人は神様です。神様はあなたの事情を誰よりもよくご存じです。そしてあなたが担うことが出来るだけの荷を、あなたに背負わせてくださいます。この時、あなたはどんな姿で荷を受けますか?らくだのように謙遜な姿ですか?鳥にとって羽は重いものですが、それがあるからこそ飛ぶことができます。船にとって帆は重いものですが、それがあるからこそ航海することができます。あなたにとって、十字架が重荷と思われる時があるかも知れません。しかし、それによってあなたは、無条件で、そして無制限に罪を赦され、永遠の命の約束を与えられ、天国への道を歩ませて頂けるのです。

「しずけき河のきしべを」

2019年9月22日

シカゴにホラティオ・スパフォードという弁護士がいました。1871年の大火によって全財産を失った彼は、再建のため妻と四人の子をヨーロッパへ帰します。ところが妻たちを乗せた船は、大西洋の真ん中で帆船と衝突して沈没してしまいます。スパフォード夫人は奇跡的に救助されましたが、四人の子どもたちは助かりませんでした。数日後に夫人は夫に、「私だけ助かった」と電報を打ちました。この悲しいニュースを受けたスパフォード弁護士は、「主は御心のままになされたのです」とポッリと言ったと伝えられています。そのときの信仰を歌った歌が、旧讃美歌1編の520番です。「しずけき河のきしべを、すぎゆくときにも、うきなやみの荒海を、わたりゆくおりにも、こころ安し、かみによりて安し」。彼が、この讃美歌を作るまでに、どんなに深く、どんなに辛い祈りの戦いがあっただろうかと思わされます。一瞬にしてすべてを失ったヨブのように、「主よ、なぜですか」という激しい祈りの戦いがあったと思います。その戦いを経て、十字架の上で自分のために苦しまれている、主イエスと出会ったのだと思います。そしてこの讃美歌が生まれました。「こころ安し、かみによりて安し」。

「愛されるよりも愛そう」

2019年9月15日

聖フランシスコの平和の祈りの中に「愛されるよりも愛する者に」という言葉があります。文化人類学者で東工大教授の上田紀行さんも、近著『愛する意味』の中で同じようなことを述べています。上田氏は仏教研究家で、若手僧侶の会「ボーズ・ビー・アンビシャス!」のアドバイザーですが、その主張には宗教の垣根を越えて共感するものがあります。彼は、現代の日本人が生きる意味や幸せをなかなか実感できないのは、「愛されたい」、「評価されたい」ことに執着しているためだと言っています。その傾向は近年の「成果主義」導入で強まったと見ています。日本人は元来、人の目を気にしがちなのに、評価されなければ居場所すらなくなってしまうという、成果主義を導入したために過剰反応したというのです。上田氏は「愛がほしければ愛するしかない」と意識転換を訴えています。そして自分の内部に宿る「愛する」エネルギーを発見することの大切さを説いています。しかし聖書は、「愛する」エネルギーは自分の内部に宿っているのではなく、十字架の主イエスの許からくると言っています。この愛を受け入れることが「愛されたい」という渇きを癒す唯一の道であると言っています。

「自分の未来を知っていますか」

2019年9月8日

ビリー・グラハム牧師の集会で、ある人がこのような質問をしました。「あなたは、将来についてたくさんの説教をしてくださいましたが、それではあなたは、あなた自身の未来についてもご存知なんですか?」その質問に対してビリー・グラハム牧師は、このように答えました。「私は、私の未来については全然知りません。しかし一つ分かっていることがあります。私の未来を誰が掴んで下さっているのかについては、よく知っています。」これは本当に適切な答えです。神様は、私の過去や現在だけではなく、私の未来までも一番尊く、価値あるように導いてくださるお方だからです。ですから、その事実を知っている私たちは、恐れる必要がありません。私よりも私のことをよく知っておられ、私の人生の希望と答えを完全に知っておられるお方が、私の未来の歩みを導いて下さるのです。そのことを知っているならば、私たちは、すべての人生の恐れや不安から解放されます。 大切なことは、自分の未来がどうなるかではなくて、未来がどのようになろうとも、その未来に向かってどう生きるかということなのです。ですから、自分の未来を誰が握っているかを知ることは決定的に大切なのです。

「虫食い南蛮皿」

2019年9月1日

豊臣秀吉の部下の一人に加藤嘉明という武将がいました。絶体絶命の戦で無類の強さを発揮した人物です。彼の強さの原因は命知らずの家来をたくさん持っていたことにあります。ところで彼には一つ宝物がありました。十枚一組の小皿セットで「虫食い南蛮」と名付けられた器です。それは価が付けられないほど高価な物だと言われていました。ところが来客にこの皿を出そうとしていた時、家来の一人がうっかり一枚を割ってしまったのです。皆が息をのむ中、それを知った加藤嘉明は残り九枚を持って来させ、皆の見ている前で全部割ってしまいました。九枚残っている限り、いつ誰が一枚割ったかが、いつまでも語り継がれることになる。彼はそれを避けたかったのです。部下の過ちを跡形もなく消し去るために、彼は家宝を自ら破壊してその咎を覆ってやったのです。ところで神はそれ以上のことを私たちのためにしてくださいました。私たちの罪を覆うために皿ではなく、最愛の独り子を打ち壊してくださったのです。なぜそのようなことをなさったのでしょう。これ以外に罪人が赦される道はなかったからです。このような主人であるなら、心から仕えることができるのではないでしょうか。