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祈るなら待たなければなりません

「祈るなら待たなければなりません」

2019年8月4日

先週の礼拝では、パウロがカイサリアで二年間も監禁され、ローマへの伝道を待たされた出来事から御言葉に聴きました。パウロはひたすらに祈りつつ待ったのです。このことで想い起す詩があります。ポーランドのトゥヴァルドフスキー司祭の詩です。「祈るなら、ちょっと待たねばなりません。すべてのものには時があります。絶えずおねだりばかりしているような人は望みに生きることをやめています。待つこともできないならば、祈らないでください」という詩です。ドイツと旧ソビエトに挟まれて非常に厳しい困難の歴史を歩んだポーランド。そういう中で生きた神父が「祈るなら、ちょっと待たねばなりません」と言っています。この「ちょっと」という言葉の現実は、どれほど重たいものであったのでしょうか。度重なる困難の中を歩んだキリスト者の言葉です。神を信じるものにとって、言葉にし難いほどの困難も「ちょっと」なのです。そしてその「ちょっと」を待てないくらいならば「祈らないでください」と言っているのです。「待つこともできない」とは祈りの答えを聴く耳を持っていないということ。そういう祈りは祈りではない。せっかく祈るのなら、ちょっと待ちましょう。