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神は待ち望むべきもの

「神は待ち望むべきもの」

2019年12月22日

非行少年の教育・指導を行っている北海道家庭学校の第五代校長であった谷昌恒先生はその著書の中でこう言っています。「求め尋ねて神は得られるものではない。神は待ち望むべきものである。そしていつか神に満たされている自分を発見する。空虚に耐え、さびしさをこらえ、ひたすらに待ち望んで、ふとあるとき、自分がうしろから支えられていることに気づく。それを信仰と呼ぶ。」谷先生の言葉は、祈りを通して,祈りの中でこそ、神と出会うことができるということなのでしょうか。電車への飛び込み自殺未遂で両足の膝から下を失い左手も失った田原米子さんは、絶望の中で生まれて初めて祈りました。「神様、もしあなたが本当におられるなら、信じさせてください」。その晩、彼女は自殺未遂以来、初めてぐっすり眠れたそうです。そして翌朝目覚めた時、全てが変わって見えたそうです。神様に出会うとはそういう事ではないでしょうか。「分からせてください。いえ、信じさせてください」と祈って待ち望む。その時、私たちはうしろから支えられていることに気づかされるのです。うしろから支えられているから、前を見ることができるのです。それを信仰と呼ぶのだと思います。