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今こそ日本にキリストを

「今こそ日本にキリストを」

2020年1月19日

内村鑑三の言葉です。「キリストを道徳上の教師と見るなら、キリスト教ははなはだ厭うべきものとなる。何故なら彼の教えるところはあまりに理想的にして、肉なる弱き我らの到底及ぶところではない ことをさとるからである。しかしながらキリストを罪人の救い主と見るなら、キリスト教は非常に慕わしきものとなる。何故ならば、かかる救いは我らが何よりも要求するところのものであって、これあれば、汚れたる我らも多少聖き生涯を送り得べしとの確信が我らの心に湧き出づるからである。我はまことに教師としてのイエスを仰ぐのではない、罪人の救い主 としての彼にすがるのである。」またこうも言っています。「日本国の大困難、その最大困難とは何でありますか。それは、日本人がキリスト教を採用せずして、キリスト教的文明を採用したことであります。これが我が国今日凡ての困難の根本であります。…キリスト教文明とは読んで字のごとく、キリスト教によって起こった文明であります。しかるに、日本人はキリスト教的文明を採用し、その根本たり、原因たり、その精神たり、生命たるキリスト教そのものを採用しないのであります。」まさに今こそ耳を傾けたい言葉です。

「最大の危機は愛の欠如」

2020年1月12日

救世軍の創立者のウィリアム・ブース大将は20世紀を迎えようとしている時にこう言っています。「来たる世紀が直面する最大の危機は、聖霊なしの宗教、キリストなしのキリスト教、悔い改めなしの罪の赦し、再生なしの救い、神なしの政治、そして地獄なしの天国となるであろう。」ブース大将の警告は、今まさに聞かれるべき言葉であると思います。加えて現代が直面している最大の危機は、個人から国家間にまで及んでいるエゴイズムの蔓延ではないかと思います。ある人がこう言っています。「エゴイズムとは自分の欲望を満たそうとすることではない。腹が減っている時にパンを食べることはエゴイズムではない。エゴイズムとは他人を犠牲にしても自分の欲望を満たそうとすることである。飢えている人が傍らにいる時に最後のパンを食べてしまうことがエゴイズムである。」これを言い換えれば「愛の欠如」だと思います。これこそが現代の最大の危機です。ブース大将はこういう言葉も残しています。「使命、富、友人、名誉などを失うのは、大きな損失である。しかし、愛の心を失うことこそ最大の損失である。思想も金銭も音楽も学術も、愛なくしては人を感化し得ないであろう。」

「まことの希望をもって」

2020年1月5日

新しい年の初め、私たちは新たな希望に満たされます。一人一人に異なった希望があることと思います。しかし、大江健三郎さんは希望についてこのようなことを書いています。「希望というのは、もともとあるものとも言えない。無いものとも言えない。地上の道のようなものだ。地上にはもともと道はない。歩く人が多くなればそれが道になる。人が歩くことで道ができるように、私たちが希望を持つことから希望は生まれる。だから、私たちは希望を持たなければならないのだ。」大江さんの言うように、まず私たちが確かな希望を持つことから、希望が生まれてくるのであれば、私たちはその希望の根拠をどこに求めればよいのでしょうか。この世の現実は、絶望的ともいえるような閉塞感に満ちています。ですから私たちの希望の根拠は、この世の現実を超えたところにある筈です。この世の現実の背後にあって、歴史を支配され、歴史を真に動かしておられるお方がおられます。そのお方が、私たちのために、将来と希望を与える平和のご計画を立ててくださっています(エレミヤ書29:11)。そのお方を信じることによる希望は、私たちを欺くことはないのです(ローマの信徒への手紙5:5)。