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拒絶された命懸けの愛

「拒絶された命懸けの愛」

2020年3月8日

東日本大震災から間もなく9年が経ちます。当時、私は清水ヶ丘教会に仕えていましたが、教会の隣に住んでおられる方のことがずっと気になっていました。お一人でお住まいなのできっと不安を覚えておられるだろうと心配していました。その方は教会に対して良い印象を持っておられないので、私の気持ちをどう伝えるか分からないままに日を過ごしていました。ある日、祈りの中で示されて、買いだめのために品薄になっていたお米のレトルトパックをいくつか持って、お宅を訪ねました。しかし案の定「今頃、何しに来たんだ」とお叱りを受けてしまい、持って行ったお米も、それに添えたカードも受け取って頂けませんでした。予想していたこととはいえ、やはり悲しい思いに覆われました。しかし、その時ハッと思わされたのです。主イエスはお米のパックどころではない、ご自身の命をささげてくださったのに、人々は主イエスの命懸けの愛を受け止めることが出来なかったのです。ですから主イエスは、最後までお一人で十字架に向かわれたのです。私たちも思いやりが受け止められないという経験をする時があります。でも、そのような時は、十字架の主を見上げていきたいと思います。