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一致とは補完し合うこと

「一致とは補完し合うこと」

2020年9月6日

5年前に召された藤木正三牧師の断想集の言葉です。「話し合ってゆくうちに相違している立場が一致点を見出すかに思える場合があります。しかし厳密に問うてゆくと、やはり相違点は残っています。もし一致が同一を意味するなら、完全な一致というものは恐らく存在しないでしょう。そのような存在し得ない一致を求めるから、時には自説の押し付けをし、時には虚構の一致に妥協するのです。一致とは、相違しているものが同一になることではなくて、それらが補完し合うことなのです。…人は、一つの目標や思想や信仰を目指すことにおいて、一つにはなれません。それは政治や宗教運動の歴史を見ても明らかです。…人は、共通の事実を内に自覚するまでは、一つにはなれないものではないでしょうか。そして、恐らく罪をおいてほかに、その共通の事実に出会い得ないでありましょう。」藤木先生の言葉にアーメンです。私たちが本当に一つになれるのは、私たちは皆、神様の前に、等しく罪人であり、主イエスの十字架によって、初めて罪赦された者である、という共通の事実を自覚した時だと思います。その自覚に立った時、初めて相違点を認めつつ、補完し合う一致が実現するのです。