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幸福と祝福の違い

「幸福と祝福の違い」

2020年9月20日

神学生時代にお世話になった西川口教会の月報に金田佐久子牧師が心に留まる文章を書いておられます。以下は抜粋です。「ニューヨーク・コロンビア大学の盲目の女性教授シーナ・アイエンガー氏が授業でこんな質問をしました。『一流ホテルの、ルーフバルコニーにはプールもあるような超豪華な部屋に住んで、どんな料理でも注文できる。享楽の限りを尽くせる生活だが、一生この部屋から出られないという条件がある。こんな生活をしたい人はいますか』。教授には見えませんが、誰一人手を挙げる気配がないようです。一見幸福そうに見えますが、実際は不幸だと全員が気づいたのでしょう。このように一点の曇りもないような幸福も、一皮むけば不幸なのです。幸福も不幸も背中合わせ。不自由の中にも幸福はあり、一見何不自由なく暮らしているように見える人も、心の中では不幸を嘆いているかもしれません。幸福は状況に左右されます。しかし、聖書が語る祝福は次元が違います。私という存在そのものが神様の祝福の中に置かれるのです。神様が宣言されたら、そこに祝福があり、その祝福は揺るがないのです。主イエスは常に生きておられるので、この祝福は永遠の祝福なのです。」