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たとえ離れていても

「たとえ離れていても」

2022年3月6日

コロナ禍の中で「ソーシャルディスタンス」という言葉が広く聞かれるようになりました。それまでは苦難の時は身を寄せ合い、手を取り合って励ましてきました。しかし今回の苦難ではそれができません。逆に、離れていなさいと勧められています。今、私たちは、体は離れていても心と心を寄せ合って励まし合うことを求められています。しかし離れている時が長くなると、いつしか心までも離れてしまうのではないかと不安になります。ここで使徒パウロのことを考えて見ましょう。パウロは福音宣教のために一つの地に長く留まることができず、生まれたばかりの愛する教会を後の人に託して次の地へと旅立ちました。どんなにか心残りであったでしょう。ですから愛する教会員に「体では離れていても、霊ではあなた方と共にいる」(コロサイ2:5)、「顔を見ないというだけで心が離れていたわけではないのです…なおさら、あなた方の顔を見たいと切に望みました」(第一テサロニケ2:17)と語っています。パウロは祈りを通して霊的には共にいるという確信を持ちつつも、それでも尚、顔を見たいと切に願っています。パウロの気持ちを共有しつつ、パウロの祈りに自らの祈りを重ねます。