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柏牧師:過去の礼拝説教

「苦しみさえ恵みに変える信仰」

2014年12月07日 聖書:フィリピの信徒への手紙 1:27~30

今、私たちは、聖日礼拝において、フィリピの信徒への手紙を少しずつ読み進んでいます。今朝はその三回目です。この手紙は、使徒パウロが、フィリピの教会の信徒たちに宛てた手紙です。フィリピの教会は、パウロ自身が立てた教会です。ですから、フィリピの教会の信徒たちは、パウロが生み出した信仰の子どもたちであるということができます。

今朝の箇所でパウロは、その愛する子どもたちに対して、キリスト者としてどう生きるべきか、ということについて、心を込めて語っています。親が子に語るように、教え諭しています。

先ず初めに、「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」とパウロは勧めています。「キリストの福音に、ふさわしい生活を送る」。これは、キリスト者の生き方の基本です。今更言われなくても分かっているようなことです。しかしパウロはここで、その分かり切ったことに、敢えて「ひたすら」という言葉を加えて、そのことを強調しています。この「ひたすら」という言葉は、「一つの弦」という言葉から来ています。「ただ一筋に、それだけを心を込めて弾く」、という意味の言葉です。

「G線上のアリア」の愛称で親しまれている、バッハの名曲があります。元々はバッハの管弦楽組曲第3番、第2楽章のアリアとして書かれたものを、後に、ドイツのバイオリニストのアウグスト・ウィルヘルミが、一番低いG線だけで弾けるように編曲したものだそうです。当然ですが、この曲を弾く時、バイオリニストはただG線だけに集中すると思います。他の3本の弦の事は考えずに、ただG線一筋にすべてをかけます。そのように、「ただ一筋にキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。ただそれだけに、心を込めなさい」。パウロはそのように勧めているのです。他の事に心を煩わせるようなことをしてはいけない。キリスト者が、その信仰の歩みにおいてただ一筋に追い求めること。それは、「福音にふさわしい生活」を送ることなのだ。パウロはそう言っているのです。

では、その「福音にふさわしい生活」とはどういう生活なのでしょうか。

ここにある「ふさわしい」という言葉は、商品の「値段にふさわしい」という意味の言葉です。つまり、福音という値段にふさわしく生活しなさい、という事です。私たちを、商品に例えるなら、私たちには「キリストの福音」という値札、プライスタグが付けられている、というのです。値札というのは、「これを買うには、これだけの代価を支払わなければいけません」という表示です。

では、「キリストの福音」という値段は、どれ程の価値があるのでしょうか。

パウロは、別の手紙で「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです」と言っています。

私たちが救われたということ。それを神様の側から見た場合には、神様が私たちを獲得した。ご自分のものにされた、ということです。では、私たちを買い取るために、神様はどんな値段を払われたのでしょうか。独り子である主イエスの命という、とてつもなく高価な代価を支払われたのです。

私たちは、主イエスの十字架の死という、代価をもって買い取られた者なのです。ですから、私たち一人ひとりに、「キリストの命」という値札が付けられているのです。「この人は、キリストの命と同じ値段なのですよ」、という値札が付けられているのです。ですから、「福音にふさわしく生活する」ということは、キリストの命という代価によって買い取られた者らしく生きるということです。

そして、もし、私たち一人一人が、「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送る」ならば、教会の中に問題や争いが生じることもなくなると思います。様々な教会の規則や決まり事も、殆ど必要なくなります。この御言葉一つで、十分だからです。私たちは、そのような教会を目指して、共に歩んでまいりたいと思います。

さて、パウロは、フィリピの教会の人たちが、ひたすらキリストの福音にふさわしく生きているなら、私は次の三つのことが聞けるだろうと言っています。

パウロが聞きたいと願っている一つ目のことは、フィリピの教会の人たちが、「一つの霊によってしっかり立っている」ということです。ここにある「一つの霊」というのは、言うまでもなく「聖霊」のことです。

教会に様々な人がいたとしても、共通しているのは、誰もがこの聖霊によって導かれて、主を信じる者とされた、ということです。皆が、同じ聖霊に導かれて、同じキリストという一つの身体に属しているのです。

それが「一つの霊によって」ということです。

「しっかり立つ」という言葉は、軍隊で歩哨に立っている者が、自分の持ち場を守って一歩も譲らない、という意味の言葉です。キリストの福音にふさわしい生活から、一歩も踏みはずすことがないように、ということです。そのことを目指して、皆が、一つの霊によって一致するのです。

パウロが聞きたい二番目のことは、フィリピの教会の人たちが、「心を合わせて福音の信仰のために共に戦っている」ということです。パウロは、一つの霊によってしっかり立っているならば、自然に心を合わせて共に戦うようになる筈だと言っています。

「心を合わせる」ということは、考え方を全部同じにしなさい、ということではありません。

それは丁度、オーケストラのようなものです。オーケストラには様々な楽器があります。様々な楽器は、皆それぞれ、異なった個性の音を出します。しかし、全体として美しいハーモニーを奏でます。そのように、それぞれの個性を活かしつつ、心を合わせなさい、というのです。

教会にも、様々な個性や癖を持った人たちがいます。しかし、それでよいのです。茅ヶ崎恵泉教会に集る人たちが、皆一つの色に染まる必要はありません。皆それぞれに、神様から与えられた、個性、賜物に生きていて良いのです。しかし、それらが一斉に鳴る時には、美しい調和の取れた響きが、生まれなければなりません。私たちは、主イエスという指揮者の下で、「茅ヶ崎恵泉教会交響楽」を演奏しているのです。

「茅ヶ崎恵泉教会交響楽」が、調和の取れた、美しいハーモニーとなるためには、一つの決まりごとがあります。それは、「一つの霊によって立ち、心を合わせる」ということです。一つの霊によって立って、心を合わせて福音のために戦うのです。

信仰生活とは静かな、穏やかなものと思っておられる方は、信仰生活を戦いと呼ぶことに、違和感を覚えられるかも知れません。しかし、信仰生活には、多かれ少なかれ戦いという側面があります。

この世にあって、キリスト者として、真剣に、誠実に、御言葉に生きていこうとする時、程度の差はあっても、どのキリスト者も戦いを経験します。その戦いから逃げるのではなく、その中で悩み、苦しみながらも、尚も、立つべき所に、しっかりと立ち続ける。それが信仰の戦いです。

パウロが聞きたいと願っている、三番目のことは、フィリピの教会の信徒たちが、「反対者たちに脅されてたじろぐことはない」ということです。フィリピの教会の兄弟姉妹、あなた方は、脅されてたじろぐことなく戦って欲しい、とパウロは願っているのです。「反対者たちに脅されてたじろぐことのない」、信仰の勇者として、想い起こす人がいます。恵泉女学園の河井道園長です。

戦争中、学徒動員が発令され、学生は工場で働くことになりました。河井道園長は、工場長と話し合って、就業前に毎朝礼拝をすることを許してもらいました。彼女自身も、作業着を着て手ぬぐいを持って、生徒たちと共に早朝礼拝を始めました。工場の始業時間は8時でしたが、生徒たちは30分前に集まって毎日礼拝を守りました。工場によっては礼拝する場所がないので、真冬の凍てつくような中庭に集まって、外で礼拝をささげたこともありました。

ある日、河井園長は府の教育局に呼ばれて、礼拝を止めるように勧告されました。その時、河井園長は静かに、しかしきっぱりと言い切りました。「礼拝は止められません。礼拝を止めるくらいなら、私は学校をする意味がありません。学校を止めます」。この河井園長の気迫に担当官は驚いて、礼拝を黙認することにしました。そして礼拝は、終戦まで、一日も欠かさず守り続けられたそうです。

このように、この世の権力に脅されても、たじろがずに立ち続けること。そこに、信仰者の本当の戦いがあるのです。

最後まで神様に信頼し、人間の勝利ではなく、神様の勝利を確信する。そのことが、敵対者にとっては、滅びのしるしであり、信仰者にとっては、救いのしるしなのだとパウロは言っています。

ここで、心に留めたいことは、信仰の戦いは、一般の戦いとは違う、ということです。

人の目には敗北であるように見えても、神の目には勝利である、ということがあります。

その最も良い例が、主イエスの十字架です。主イエスは十字架につけられて殺されました。これは、人間の目から見れば敗北です。しかし、神様の目から見れば、それは罪に対する全き勝利なのです。

ですから、信仰の戦いの場合は、勝つということは、必ずしも苦しみがなくなる、ということを意味しません。苦しみの中にも勝利がある、ということがあるのです。

そのことについて、パウロは29節で、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」と述べています。信じることが恵みである、という事は分かります。しかし、ここでパウロは、「苦しむことも、恵みとして与えられている」というのです。

「サラダ記念日」という歌集を出した、歌人の俵万智さんがこんなことを書いています。

『自分が結婚する相手として、「この人となら苦労しないだろう」と思う人を選ぶか、「この人となら苦労してもよい」と思う人を選ぶか。自分は、後者を選ぶ』。なかなかいい言葉だと思います。

「この人となら苦労しても良い」と思う。それは、「この人と一緒なら、たとえ苦労があったとしても、苦労とは思わなくなる」ということだと思います。苦労が、苦労でなくなってしまう、ということです。こういう結婚であれば、実際に苦労することになっても、夫婦の絆はより一層強まるでしょう。

しかし、「この人となら、苦労しないで済みそうだ」ということで結婚したなら、予想に反して、苦労に出会った時には、「こんな筈ではなかった」と逃げ出すことになるかもしれません。

その人を心から信頼し、心から愛する時には、その人と一緒なら苦労しても良いという気持ちになります。同じ様に、主イエスを心から信じ、心から愛するならば、主イエスと一緒なら苦労しても良い、という気持ちに導かれる筈です。

パウロは、「あなたがたは、キリストを信じることだけでなく、彼のために苦しむことも、恵みとして与えられている」、と言っています。

俵万智さんの言葉で言うなら、「主イエスと一緒なら、苦労してもいい。いえ、主イエスと一緒なら、苦労も苦労でなくなる。むしろ、主イエスとの絆が強まって恵みになる」、ということです。

パウロが言っている、苦しむことも恵みとは、苦しみそれ自体が恵みである、ということではありません。

そうではなくて、その苦しみの只中において、共に苦しんでいてくださる主イエスと出会い、主イエスと結びつくことができる。そのことが恵みである、ということです。

「主イエスが共にいてくださる」という恵みは、じっと動かずにしていては分かりません。一歩踏み出す時に、初めて、主イエスも共に歩いていてくださる、ということが分かります。十字架の上で、尚、この私のために、執り成しの祈りをしてくださる。この主イエスの恵みは、自分も、自らの十字架を背負って歩み出すときに、初めて分かるのです。信仰の戦いを戦っていく中で、共に戦ってくださる主イエスの御声を、聞くことができるのです。「あなたは決して一人ではない。私が共にいる」。この御声を聞くことができるのです。どんな時も、主は決して、私を見捨てず、共にいてくださる。これに勝る恵みはありません。

この恵みに生き抜いた人がいます。宮沢賢治の詩、「雨ニモマケズ」のモデルであると言われている、斉藤宗次郎という人です。

彼は、岩手県の花巻で、禅宗のお寺の三男として生まれました。成長して、小学校の教師になりましたが、教師をしていた時に、内村鑑三の強い感化を受け、クリスチャンになります。

彼は、やがて、小学校で、戦争に反対する非戦思想を教えたとして、教職を首になってしまいます。禅宗の実家からも勘当され、世間からも、「ヤソ、ヤソ」と呼ばれて、激しい迫害に遭います。町を歩いていて、何度も石をぶつけられたことがありました。

迫害は家族にまで及びました。ある日、長女の愛子ちゃんは、「ヤソの子ども」と言われていじめられ、お腹を蹴られ腹膜炎を起こしてしまいました。そして、それから暫くして、僅か9歳でこの世を去りました。

教職を追われたため、新聞配達と、牛乳配達をして、生計を立てました。

毎朝3時に起きて、夜9時まで働きました。雨の日も、風の日も、雪の日も、新聞紙の入った、重い風呂敷を背負い、一日40キロの道を、新聞を配達して廻りました。配達しながら、10メートル行っては神様に祈り、さらに10メートル行っては神様に感謝し、木陰や、小川のほとりで祈りをささげたといいます。

配達の途中で、子供たちに会えばアメ玉をやり、病気の人があれば、その枕元に行って慰めの言葉をかけ、困った人たちの悩みや訴えを聞いて、相談に乗りました。

雪の日には、小学校の前の雪かきをして道をつくり、小さい子は抱っこして校門まで送ったと言います。自分の娘を蹴って死なせた子どもたちのためにも、心から仕え続けました。

彼は、配達を終わった後に、宮沢賢治が勤めていた花巻農学校にしばしば立ちより、賢治と話し合ったそうです。この斉藤宗次郎の生活振りを見た宮沢賢治が、「本当はこういう人になりたかった」という思いをこめて、「雨ニモマケズ」という詩を書いたのではないか、と言われています。

皆から、非国民となじられ、木偶の坊と蔑まれても、黙々として地域の人々に20年も仕え続けました。その彼が、花巻を離れて東京に行くことになりました。花巻を離れる日、誰も見送りになど来ないと思っていました。ところが、駅に行ってみると、そこには、町長を始め、小学校の校長、町の実力者、そして神主さんまで、町中の人が来ていて彼を見送ったと言います。

彼は、ひたすら福音にふさわしい生活を目指しました。そして、キリストのために苦しむことも、恵みとして受け取る生き方を貫き通しました。

彼にとっての恵みとは、花巻を離れる日に、町中の人が見送りに来た、ということではありません。苦労したけど、最後に報われて、やっと恵みを受けたということではありません。

そうではなくて、「非国民」、「ヤソの木偶の坊」、となじられ、罵られ、そのために職を失い、愛する娘をも失ってしまった。そのような、苦しみの中にあっても、主が共にいてくださったこと。そのことが、恵みであったのです。苦しみを通して、共にいてくださる、主に出会った。共に苦しんでくださる、主の愛に触れた。

それが恵みであったのです。これは、世間で考える楽しみや、恵みとは異なります。

この恵みに立ち続け、この恵みから一歩も逸れずに、神と人に仕え続けた生き方。

彼のその生き方が、宮沢賢治を動かし、賢治の詩を通して、多くの人々に、今も感動を与え続けているのです。「キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」とは、このようなことを言うのではないでしょうか。

最後に、瞬きの詩人、水野源三さんの、「苦しまなかったら」という詩を、紹介させて頂きます。

「苦しまなかったら」   水野源三

もしも私が苦しまなかったら

神様の愛を知らなかった。

もしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら

神様の愛は伝えられなかった。

もしも主なるイエス様が苦しまなかったら

神様の愛はあらわれなかった。